故郷の「み ち」


吉原祇園祭を中心に全国の祭りに関する調査・研究をしてきた報告です



吉原祇園祭を想う


  戦後5年経って生まれた自分の記憶では「吉原祇園祭」とは吉原小学校に入ってからのものである。
当時の子供達は祇園祭を「天王さん」と呼んでいた。生まれた所は昭和通、やがて5才頃に近くの大和
町に転居したと母から聞いたことがあるが自分ではよく覚えていない。昭和30年頃の大和町の集合写
真が1枚残っていて、現在の吉原三丁目にある天神社から和田川沿いに西へと来た交差点で「牛や」
の前での写真である。この当時子供の数は多く、屋台の前に並んだ子供達を数えると何と84人もいる
のだ。カメラは南西角からだと思われ、背景の和田橋から和田町方面の風景は全く変わっているが、
「牛や」の建物は当時のままではないだろうか。
  大和町の屋台については平成10年の教育委員会が行った調査では不詳となっているが、2年前に
まとめ上げた小誌「龍に惹かれて」の元となった板倉聖峯師の記録によると、師の手によるものだとわ
かった。昭和9年に本町二丁目と同時に制作されたものを昭和36年8月25日の材木寸法書から推察
すると、現在の屋台はこの時に改築されたものだろう。なるほど手元に残った写真の昭和30年頃に
は、かすかな記憶で屋根は市松模様の障子が2枚乗っていたことを思い出す。改築されて現在のよう
なしっかりとした屋根になり、ただ正面懸魚の鳳凰は写真と現在のものとほとんど違いはなく当時の鳳
凰をそのまま使ったものであろうか。
 子供の数が多い時代なので小学校低学年では全く太鼓の練習をさせてもらえず、5年生か6年生に
なってからやっとバチに触ることができたような気がする。当時の屋台小屋は今の天神社境内ではな
く大和町の通りの中心にあり、屋台を格納した上の2階部分が畳敷きになっていて5月頃から夜になる
と毎晩太鼓の練習をやっていたように思う。ただ子供の頃には誰にも祭りの謂れや天神社の由緒など
全く聞かされていなかった。そして自分でもただ祭り気分の高揚感に浸っていただけであった。それに
しても祭りが近づくと心は沸き立ち妙にそわそわしたもので、太鼓の練習に加われるようになってから
は訳もわからず「ニクズシ」とか「オダワラ」とか言いながら叩いていたことを思い出す。
  中学3年までは大和町の屋台で過ごした少年時代の祇園祭であったが、直接祭りに参加していた
のはそれまでで、高校時代から上和田に転居、やがて25才の時には広見町へと吉原の町を離れて
いくにつれ次第に祇園祭との縁も薄れていき、それから故郷を離れていた20数年間は子供時代のよ
き思い出としてしか祇園祭の存在が頭になかった。
  祇園祭として故郷の祭りを意識し始めたのは数年前のことである。板倉聖峯師の業績を調べていく
うちに現存する吉原の山車・屋台21台の内8台にその手腕を発揮し、弟子として現在も現役でご活躍
の坪井正(宗也)師が手がけた山車が3台と半数以上が板倉門下の作品である。そして、この山車を
中心に毎年6月に行われている吉原の祭りは5社(現在は6社)連合の歴史的な祭りなのである。
  全国で行われている祇園祭の発端は京都祇園祭であることはあまりにも有名であるが、その謂れと
なる牛頭天王・スサノオが主祭神として祀られていなくても、全国各地の祭りは祇園祭・天王祭として
賑わっているようである。元々「備後国風土記」での牛頭天王はスサノオに習合し疫病を防御する神と
して信仰されていて、その総本社として京都の祇園感神院(明治維新で八坂神社に改称)と愛知の津
島神社があった。その後江戸時代に入ると京都の祇園祭は全国に知れ渡っていき、やがて北前船を
通じて東北地方に、また南は九州へ、特に関東地方は利根川周辺の各県で盛んに行われるように
なった。
  八坂神社と同様に牛頭天王を祀る津島天王祭の系統は船祭りとして船で神幸する祭りである。その
形態は様々で水上で神を祀るもの、船で御旅所に神幸するもの、海上の湾内を巡遊するもの、また船
を象った山車で陸上を巡行するものなど天王信仰系の神社は各地それぞれ特徴がある。いずれにし
ても祭りの趣旨は災厄除けや穢れ・疫病を水に流したり追放したりすることである。
  津島神社系の天王祭船祭りは愛知県から静岡県西部地区・西伊豆地方にまで分布し、また関西の
川沿いと海岸地区に広まった。静岡県東部より東へ東北地方の太平洋岸には浜降りの神事が多い。
これは氏子が海岸に行き潮水を浴びて、また神輿を潮水に浸けたりして穢れを払拭することと、潮水を
汲んで持ち帰り町内の氏子各戸に配布して清めるという風習である。
  江戸時代の中期になり関東各地で祇園祭が発展してきた庶民の祭りは、江戸を中心に北関東へと
山車祭りとして伝わっていく。これまで見学に行ってきた祭りの中で埼玉県川越市の氷川神社例大祭
は現代においても神事としてあるものの、もう市民全体の祭りと化してきた。この川越祭の神幸祭は
江戸天下祭の形態を偲ばせる行列であり、神官によって担がれた神輿は山車を後に従えて各町内を
回り還御する。神幸祭の後の付祭りとしての山車引き回しに注目が集まるが、絵巻物のような御神幸
行列こそ祭りの真髄であり文化財指定を受けた所以であろう。
  また御神幸行列で感動した祭りに秩父夜祭がある。京都・高山と並んで日本三大曳山祭の一つと
言われる秩父夜祭は祇園祭とは異なるが、秩父神社へ五穀豊穣を祈願する「お田植祭」から秋の「
収穫祭」を意味するものである。埼玉県西部の山間地に江戸時代寛文年間に始まったとされるもので、
笠鉾・屋台の絢爛たる彫刻や刺繍幕もさることながら、やはり真暗い中を秩父神社から出て御旅所に
向かう御神幸行列の厳かな模様が夜空に開く花火の光で幻想的に浮かび上がるものだ。
  川越・秩父の他三島・藤枝・富士宮など各地の祭りを見学してきて改めて故郷の吉原祇園祭につい
て考えてみる。確かに国指定の文化財となっている川越祭や秩父夜祭などは別格として捉えなければ
ならないかもしれないが、川越市にしても秩父市にしても伝統的な行事を地域の氏子を中心に市民全
体で大事に保存してきたものだ。川越祭の神幸祭は神幸祭として神事の行列を行うが、付祭りとしての
山車引き回しは川越市としても市所有の山車が存在し市役所前広場にて各町内の山車を迎える。そし
て祭典当日は川越の駅前から旧川越街道を中心に氷川神社まで祭り一色の雰囲気になる。これはも
う一神社の神事どころではなく、市全体で祭りを大事に育ててきたことを証明するものであろう。
  これに対し吉原祇園祭も歴史的な祭りとしては決して遅れをとるようなことはないものの、300年以
上の歴史と言われてはいるが、いまだ確かな史料が見つかっていない。いや自分がまだ知らないだけ
かもしれないが、現在言われている起源としては「田子のふるみち」にある中吉原宿時代の記述を
とっているようだ。しかし、はたしてこれが現代まで伝わってきた祇園祭の起源かというとすこぶる疑わ
しいものを感ずる。中吉原宿は元吉原宿時代から度重なる津波で所替えしてきた宿場の中継地点の
ようなもので、津波や富士川の水害から被害を受けない現在の吉原宿に移転してきてから本格的に
祇園祭行事が始まったのではないだろうか。
  天和2年(1682)に新吉原宿を形成し、吉原の総鎮守たる天神社を鬼門の北東角に据え、やがて
寺町地区と木之元地区の氏子が抜けたとはいえ、各神社に配神されているスサノオ(牛頭天王)を祀
る祭典として5社あるいは6社連合の祇園祭が形成されていった。初めは間違いなく神輿渡御の神事
から行われ、やがて江戸から各地に広まった江戸囃子を伴う山車祭りとして、おそらく江戸時代の末期
あたりに吉原まで伝わってきたものであろう。
  隣接する富士宮の史料に横関本家に伝わる「袖日記」があるが、万延元年(1860)と文久2年(18
62)に屋台・山車のことが記載されている。おそらく吉原でも同時期には山車祭りが行われていたもの
と思われる。祇園祭としての祭り、元吉原・中吉原の時代には天王祭という名称での祭りだと推測され
るが、やはり災厄・疫病除けを願う祭りであることから、江戸時代の末期に関東各地で続々と山車が
制作された1800年代において、天災・疫病があった安政年間あたりに吉原でも本格的な祇園祭が行
われるようになったのではあるまいか。
  全くの私見ながら安政元年(1854)の安政東海地震、翌年の安政江戸地震と吉原宿に大火があり、
また安政5年(1858)のコレラ流行による1600人もの死者が出たという、このわずか5年の間で幾多
の災厄が襲った吉原に厄除祈願の祇園祭・山車祭りが始まったと考えるのが妥当であるように思われ
る。因みに天神社の天王祭神輿の八角心柱には「安政五戊九月」の墨書があり、この時期を推測する
裏付けにならないだろうか。
  今年3月の歴史的な大震災により、吉原祇園祭は各神社別々の方針にて対応した。天神社におい
ては宮神輿の町内渡御のみとして山車・屋台・囃子を自粛した。この決定には祇園祭を行う趣旨とし
て、いささか疑問が生ずるところではあるが、この機会に吉原祇園祭のあり方というものをしっかりと
見直す必要があるものと思われる。そして、将来に向け吉原祇園祭の歴史的な位置づけをし、祭典形
態をある程度分析して保存する努力をしなければならない。単なる神社の祭りに終わることなく富士市
全体の 歴史的な祭典として全国に誇示できるようにしていきたいものである。
                                                    2011年 7月




吉原祇園祭



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