とちぎ秋まつり
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| 撮影日 2012, 11, 11 | ||
| 1 神社 但し 祭典は神社例祭とは関係なし |
| 神社名 神明宮 |
| 所在地 栃木県栃木市旭町26−3 |
| 創建 応永10年(1403) |
| 社格 県社 |
| 祭神 主祭神 天照皇大神(アマテラススメオオミカミ) |
| 配神 素盞雄命(スサノオノミコト) |
| 造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神) |
| 神紋 十六菊に三つ巴 |
| 由緒 神明宮の創建は応永10年に神明宿(栃木城内)に天照大神を勧請 |
| したのが始まりと伝えられている。領主である皆川氏に崇敬され、 |
| 天正17年(1589)に皆川広照が現在地に遷座すると領内の総鎮守 |
| として広く信仰されるようになる。応永10年、天正17年、文禄2年 |
| (1593)と3枚の棟札が残っていることで創建年や遷座年が明確で、 |
| 貴重な歴史資料として栃木市の有形文化財に指定されている。 |
| 現在の拝殿は明治8年(1875)に中教院本堂として建てられたものを |
| 移築、本殿は明治16年(1883)に建てられた神明造である。 |
| 2 祭典日程 但し 祭典は神社例祭とは関係なし |
| 11月第二金・土・日(2年に1度開催) |
| 訪問日 2012, 11, 11(日) |
| 【第一日目】 こども山車まつり |
| 【第二日目】 午前 山車町内曳き回し 神楽(神明宮) |
| 午後 山車勢揃い 出発式 まつり会場内巡行 神楽(神明宮) |
| 【第三日目】 午前 山車町内曳き回し 神楽(神明宮) |
| 午後 山車勢揃い まつり会場内巡行 神楽(神明宮) 手締式 |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 山車 |
| 台数 全9台 (獅子頭 1対) |
| 型 江戸型(3層勾欄人形山車9台) |
| 方向転換 3輪・4輪 (3輪6台梶なし・4輪3台補助輪付1台) |
| 人形 有 |
| 囃子 太鼓・笛・鉦 |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 万町一丁目 江戸型3層勾欄人形山車(人形=劉備玄徳・天照大神) |
| 万町二丁目 江戸型3層勾欄人形山車(人形=関羽雲長・日本武尊) |
| 万町三丁目 江戸型3層勾欄人形山車(人形=張飛翼徳・素戔嗚尊) |
| 倭町一丁目 獅子頭雌雄1対 |
| 倭町二丁目 江戸型3層勾欄人形山車(人形=神武天皇) |
| 倭町三丁目 江戸型3層勾欄人形山車(人形=静御前) |
| 室町 江戸型3層勾欄人形山車(人形=桃太郎) |
| 泉町 江戸型単層勾欄人形山車(人形=諫鼓鶏) |
| 嘉右衛門町 江戸型3層勾欄人形山車(人形=仁徳天皇) |
| 大町 江戸型3層勾欄人形山車(人形=弁慶) |
| 5 所感 とちぎ秋まつり(栃木市)は明治7年に倭町三丁目が江戸日本橋から山王祭の九番 |
| 山車として曳かれていた静御前の山車を購入し、また泉町が宇都宮から諫鼓鶏の |
| 山車を購入して神武祭の時に参加したのが始まりである。 |
| その後神明宮の祭典を経て、大正・昭和天皇御大典に繰り出し、昭和12年栃木市 |
| として市制施行記念の折に曳き出された山車祭りとなったものである。この時をきっかけ |
| に初めは5年ごと市制周年記念として行われていたが、平成18年市制70周年より |
| 現在では2年ごとに開催されている。 |
| 神明宮の例祭とは切り離されて行われているこの祭りは11月第二金曜日から日曜日 |
| までの3日間行われるが、祭典会場本部前のホテルに宿泊としたため、金・土の宿泊が |
| とれずに11日(日)から2泊3日となった。祭典見学は最終日1日であったが、なにしろ |
| 会場となる「蔵の街大通り」のホテルなので、時間的無駄がなく十分に堪能できたし、 |
| 翌日から小江戸蔵の街「栃木」をゆっくり観光できたのは、かえってよかったのかもしれ |
| ない。 |
| ただ万町一丁目二丁目三丁目は人形を2体ずつ持っており、土・日それぞれ載せ替え |
| るため、天照大神・日本武尊・素戔嗚尊は見ることができなかった。2体持つ理由は |
| 制作された明治26年(1893)に3町内がそれぞれ三国志の人形を江戸の名人三代目 |
| 法橋原舟月に依頼してできあがったものの、翌年勃発する日清戦争の影響で急遽 |
| もう1体ずつ依頼したということらしい。それで中国の武勇伝三国志の代わりに日本 |
| 神話の天照大神等の人形を載せて曳いた。その後原舟月の名作である三国志の |
| 人形も大事に保管され、平和な時代となった今日では日を変えて2体とも披露している。 |
| メインの祭典会場は蔵の街大通りの約700mの間を交通規制して行われるが、意外に |
| 感じたのはどこの祭りでもごく普通の光景である露店が出ていないことであった。 |
| 県道11号線の蔵の街大通りの車道を山車が巡行し、蔵造りの残る両側の商店街が |
| 店先に商品を出して祭りを盛り上げている。非常にここ栃木は地元を大事にして山車を |
| 中心とした祭典を守っている感じがして好感が持てたものである。 |
| 神社と切り離された祭典は特に神事や御神幸行列とかもないわけだが、県指定の |
| 文化財6台栃木市指定文化財3台と同指定の獅子頭が中心の行事であろう。中でも |
| 注目すべきはやはり人形と幕である。嘉永元年というと今から164年前の静御前を |
| はじめ、明治26年の原舟月制作の山車が4台(人形は7体)、他4台が大通りに並ぶ |
| 姿は圧巻である。見学した日曜日は三国志の人形が載っていたわけだが、関羽・張飛 |
| の8m上から見下ろされた時には何かに射すくめられたような気がしたものである。 |
| それと共に見ものとなっているのは四方幕であろう。ここでは上段幕といっているが、 |
| 羅紗地に金糸銀糸を使った刺繍が見事で、飛龍・四神・鶴の舞う姿に思わず唸って |
| しまう。彫刻は少ないが中で目を引いたのは倭町二丁目神武天皇車で上層勾欄下の |
| 三味線胴がこれまで見てきた山車の中でひときわ幅広で四周に彫られた牡丹に獅子 |
| が鮮やかな彩色で浮き上がっている。 |
| 山車の形はほとんどが典型的な江戸型山車であり、しかも3輪が多い。やはり囃子も |
| 神田の流れと思われるが、中である町内が囃していた1曲が我が吉原でメインとなる |
| 曲によく似ているように思えた。やはり江戸下町から発した祭り形式が放射状に近隣 |
| に伝播しその土地土地で変化して残されてきたものであろう。 |