飯能まつり
![]() |
![]() |
![]() |
| 撮影日 2016, 11, 6 | ||
![]() |
| アルバム |
| 1 神社 |
| 神社の例祭ではなく市民祭りとしての山車曳行のため省略 |
| 2 祭典日程 |
| 毎年11月第1土・日曜日 (訪問日 第2日目 2016, 11, 6) |
| 【第1日目】 オープニングセレモニー・パレード・野外音楽会 等 |
| 【第2日目】 10:40 14:30 飯能諏訪八幡神社の獅子舞 |
| 13:50 15:20 子安神社の獅子舞 |
| 15:00 第1回 山車引き合わせ |
| 19:40 第2回 山車引き合わせ |
| 15:30 当番町挨拶 |
| 20:20 当番町引き継ぎ式 |
| 3 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 中山 大唐破風造舞台屋台 |
| 双柳 大唐破風造舞台屋台 |
| 本郷 大唐破風造舞台屋台 |
| 一丁目 大唐破風造舞台屋台 |
| 二丁目 八王子型一本柱人形山車(人形=神功皇后) |
| 三丁目 大唐破風造舞台屋台 |
| 河原町 江戸型3層高欄人形山車(人形=素戔嗚尊) |
| 宮本町 大唐破風造舞台屋台 |
| 原町 二重破風造3層高欄人形山車(人形=神武天皇) |
| 前田 川越型4層高欄人形山車(人形=諫鼓鶏) |
| 柳原 大唐破風造舞台屋台 |
| 4 所感 飯能では明治初年から山車を曳いたとされており、市内各地で行われていた祭りから |
| 市民祭りとして11台の山車を曳いて行われるようになったのは比較的新しい。 |
| ただ、山車・屋台そのものは明治初期のものもありそれなりに歴史はある。その形式 |
| としては大唐破風造の舞台屋台が7台と江戸型山車が4台。そして山車でも分類上 |
| 4種類に分かれる。二丁目の山車は明治4年に造られた砂川村五番組の山車を |
| 大正9年に購入したもので飯能では最も古い。原町は明治15年の山車だが、昭和 |
| 55年に向拝部分を入母屋造(千鳥破風に唐破風の向拝)に改修した。前田では |
| 唐破風の向拝に鉾台をつけ、上層(2層)を川越から購入して付けた。高欄は全部で |
| 4層にもなるが最上部の人形台には諫鼓鶏が乗る。そしてあと1台は河原町である。 |
| 河原町の山車は明治30年に江戸浅草の茅町にあった浪花屋で静岡浅間神社からの |
| 依頼で造られた山車を明治37年に河原町の氏子が静岡まで行って購入したという。 |
| さて、今回飯能まつりを見学しに行く大きな目的はここにあった。 |
| 静岡浅間神社の山車は静岡大火と戦火で焼かれる前には30台以上あったらしい。 |
| しかし、そのほとんどが焼失していて静岡には現在5台しか残っていないので、売却 |
| されたにせよ現存しているのは大変貴重である。それが飯能まつりの河原町にあると |
| いうことで楽しみに出かけた。 |
| 第1日目の土曜日はパレード等が中心であるため、2日目の日曜日遅くとも9時までに |
| 飯能に着きたいと思って早めに自宅を出る。車は飯能市役所の駐車場に置き、 |
| とり急ぎ山車出発前にと思って河原町の会所に向かう。9時ちょうどであった。しかし、 |
| 祭典会場の中心通りの正反対の位置にあった河原町まで時間がかかり、着くころには |
| ちょうど山車が曳き回しに出た所であった。しかたなく会所を訪ねて山車譲渡の話を |
| もちかけて人形衣裳箱を見せていただく。箱の蓋裏にはやはりはっきりと明治30年 |
| 静岡市の墨書が残っていた。飯能に来てから112年、改修を重ねて現在も大事に |
| 曳かれている山車を眺めて感慨にふけってしまった。 |
| 「飯能まつり」の見どころとしては午後1回、夜1回行われる11台の山車・屋台が |
| 勢揃いして引き合わせを行なうことと獅子舞であろうか。 |
| 飯能市内の獅子舞は県指定の無形民俗文化財のものをはじめ市指定の文化財に |
| なっている獅子舞が10か所以上もあって本当に盛んである。この日は午前中に |
| 本部前での「飯能諏訪八幡神社」の獅子舞と午後からは広小路での「子安浅間神社」 |
| の獅子舞をたっぷりと味わうことができた。すばらしい民俗芸能であった。 |