松田・寄神社例大祭
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| 撮影日 2016, 3, 5 | ||
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| アルバム |
| 1 神社 |
| 神社名 寄神社(やどりぎじんじゃ) |
| 所在地 神奈川県足柄上郡松田町寄2547番地 |
| 創建 不詳 |
| 社格 旧村社 |
| 祭神 弥勒大神(ミロクオオカミ) |
| 保食命(ウケモチノミコト) 他 |
| 由緒 創建年代は不詳だが古くは弥勒寺という禅刹であり、荘園をもつほどの |
| 大寺であった。しかし、江戸時代になると無住となり弥勒堂と呼ばれて |
| いた。弥勒堂は文政6年(1823)には火災のために全焼し一切の古伝 |
| や寺宝を失ってしまう。文政10年(1827)11月に再建されるが、明治 |
| 維新の神仏分離令によって弥勒神社と称するようになった。明治9年 |
| (1876)本殿を新築する。明治11年(1878)弥勒寺村内雑社4社を合祀 |
| 明治42年(1909)3月には村内各社を合祀し寄神社と改称する。 |
| 2 祭典日程 |
| 3月第1土曜日 (訪問日 2016, 3, 5) |
| 【本祭】 神輿氏子町内練り歩き |
| 花車は寄神社境内で据置(囃子の演奏) |
| 3 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 宮地大寺 四輪小田原型山車(笠鉾 万灯) |
| 三ヶ村 四輪小田原型山車(笠鉾 万灯) |
| 虫沢田代 四輪小田原型山車(笠鉾 万灯) |
| 弥勒寺 四輪小田原型山車(笠鉾 万灯) |
| 4 所感 事前の情報で10時に寄神社において発輿祭が始まるということで、9時半までに |
| 着けるように自宅を出発。国道246号を東に向かい松田町の籠場インターの東に |
| 2km程行った所に「寄入口」の交差点がある。角にはセブンイレブンのある三叉路だ。 |
| ここを北の山の方にずっと入っていく。初めて行くときにはだんだん山道になってきて |
| 少し不安になってきたころに家並みが見えて寄(やどりき)の集落に着く。国道から |
| 県道710号をはいること約6km、車だとわずか10分程だがずいぶんと山奥に入った |
| ような気がした。 |
| 「寄神社」周辺には車を駐車する場所がないので神社から約700m先に行った |
| 寄自然休暇村の駐車場に車を置かせてもらうことにした。ここは丹沢山塊の鍋割山 |
| への登山口にもなっている。 |
| 県道を神社まで戻る。「寄神社」着9:50であった。まだしばらくは神事が始まらない |
| ようだ。今のうちにと境内に置かれた山車4台を撮影していたら、どうやら昔は神輿の |
| 宮出しと一緒に山車も巡行していたようだが、今では境内に置き屋台として出すだけで |
| 曳き回しはしないらしい。それではゆっくり撮れるということで始まった発輿祭を見学。 |
| 11:00拝殿内での例祭と拝殿前での発輿祭が終わって神輿渡御に出発。 |
| 神幸行列はなかなかしっかりと列を組み露払い、警護を先頭にして厳かに進む。 |
| 平成9年の資料では後に続くのが弓持ち、大天狗、小天狗、榊持ち、賽銭持ち、 |
| 神輿警護、そして神輿を担ぐ白丁で最後に神輿台担ぎが続くようになっている。 |
| しかし何だかそれにしては少々少ないような気がした。 |
| さて山車(当地では屋台といっている)の方はというと、神幸行列が始まる前から |
| 4台の囃子方が演奏して賑やかに神輿を送り出す。寄祭囃子はやはり小田原囃子の |
| 系統だと思われるが、大胴1・締太鼓2・笛多数という構成で、曲目はオーシャ・ |
| カマクラ・バカバヤシ・ニアガリ等々を演奏している。 |
| 今では置き屋台になってはいるが山車の方は小田原型山車で4輪高欄型上層部は |
| 花万度(万灯付花笠)を立てる。正面・見送りの2ヶ所入口で下層が囃子台。両側面は |
| 格子で覆われ出窓障子、脇障子の付くもの付かないものと分かれる。 |
| ただ帰り際に松田町の図書館にも寄ったが資料がほとんどなく山車の詳細については |
| 全く不明であった。虫沢田代の氏子さんに話を聞くと隣の山北町から購入した山車で |
| なんと山北から寄まで曳いてきたという話が残っているそうだ。たしかに、山車彫刻を |
| 見ても一部分欠落した部分もありかなりの時の経過を感じる。一説では江戸末期の |
| 制作だという話もある。地区によって少しずつ補修改修した跡も見られ、しっかりとした |
| 行政での調査をしたらどうだろうか。弥勒寺の新しい小脇彫刻など結構すばらしい |
| 作品も見られぜひとも調査報告してほしく思いながら寄神社を後にした。 |