雄踏まつり
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| 撮影日 2017, 10, 8 | ||
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| アルバム |
| 1 神社 |
| 神社名 息神社(おきじんじゃ) |
| 所在地 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見8690-1 |
| 創建 慶雲2年(705) |
| 社格 旧郷社(延喜式内社) |
| 祭神 志那都比古神(イナツヒコノカミ=イザナギノミコト) |
| 志那都比賣神(イナツヒメノカミ=イザナミノミコト) |
| 宇迦之御魂神 猿田毘古神 大宮比賣神 |
| 由緒 志那都比古神と志那都比賣神が大八島の国々を見渡された時、朝霧が |
| 立ち込めていたので、この朝霧を吹き払うために吹いた息が神となり |
| 風の神として崇敬された。社号はここから生じたものと思われる。 |
| 平安時代以降は後の3柱を合祀して米大明神と呼ぶようになったが、 |
| 明治6年に郷社になり明治28年(1895)息神社に社号が復活した。 |
| 2 祭典日程 |
| 毎年10月10日に近い土・日曜日 (訪問日 2017, 10, 8) |
| 【例祭】 神輿と館車の巡行 |
| 神輿息神社出発8:20行列順は先駆の総代、年行司、塩播の字神社総代、 |
| 道案内の自治会長、小学校3年生の男子稚児、先駆車(四神旗・神馬・太鼓) |
| 小学校3年生の女子稚児、神輿車、団体代表の供奉者の順。 |
| 神輿行列の後に続く館車と太鼓台は8:30から10分おきに次々と息神社を |
| 出ていくがこちらは必ずしも神輿の行列に付いて行くとは限らない。途中 |
| 何度も休憩して行くので昼頃には神輿と離れてしまっている。 |
| 3 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 小山(こやま) 重層唐破風造平屋根屋台(浜松型) |
| 西ヶ崎(にしがさき) 二層高欄唐破風平屋根屋台(変形知多型) |
| 浅羽(あさば) 三層高欄鉾台人形山車(川越型) |
| 中村(なかむら) 単層唐破風平屋根屋台(掛塚型) |
| 田端(たばた) 二層高欄唐破風平屋根屋台(変形知多型) |
| 領家(りょうけ) 二層高欄唐破風平屋根屋台(変形知多型) |
| つるが丘 太鼓台 |
| 雄踏パーク(大谷連) 太鼓台 |
| 4 所感 日曜日の早朝は国道も空いているので富士から国道1号をスムーズに浜名湖まで |
| 行くことができた。雄踏町から浜松市に変わって役場が西区役所になり、区役所の |
| 駐車場に車を止めて息神社まで歩く。古い街並みの雄踏中心部までそこそこ距離が |
| あり、行列はもうすでにスタートしてしまっていた。 |
| まずは息神社境内を散策。さて、どのあたりまで行列が行っているかと逆回りに |
| 追いかけてみる。中央通りから周回ルートの東端を回り雄踏街道に出た。すると |
| 法雲寺近くで先頭の猿田彦が見えてきた。気が付くともう10時近くで行列の先頭は |
| 半分くらいまで来てしまっている。 |
| 神輿を乗せた神輿車をかわいい小学生の女子稚児が曳いている。これを見送った後 |
| 先に進むと小山の館車、太鼓台から長い列が続く。一通り最後尾まで行ってみる。 |
| 小山の後領家、つるが丘、田端、浅羽、中村、西ヶ崎、大谷連と8区の館車と太鼓台 |
| 続いていた。最後尾はまだ息神社を出て少し来た最初のカーブあたり。長い長い |
| 行列になっている。 |
| ここまで見ていくと館車と太鼓台は結構のんびり曳いているようだ。しばらく曳くと |
| 休憩が入り館車を止め、前にシートを敷いて飲み始める。酒に弱い人は大変だなぁと |
| 思いつつも山車撮影に来た方としてはじっくり構えて写すことができ、なかなかこんな |
| ゆっくり撮影できたことはなかった。 |
| 山車(館車=かんしゃ)の型は多種多様で、6台ある内4種類。関東の江戸型山車が |
| 1台静岡から購入されたものがあり、おそらく江戸型山車を所有する最西端ではない |
| だろうか。浜名湖のほとり、浜松という位置から知多型(変形)が多く3台、掛塚型は |
| 古く掛塚から二俣に渡り雄踏にやってきた屋台、それに比較的新しい型の浜松型。 |
| 遠州地区独特の関東型と中部型の入り混じった姿が堪能できる。 |
| 10月の第2週という時期は全国各地で収穫祭という時期であって、どこの祭に行こう |
| か迷う時であったが、雄踏の祭りは古い歴史を持ち山車の分布を見る上でも貴重な |
| 祭りであると思う。 |