青梅大祭



撮影日   2013,  5,  3



1 神社
          神社名     住吉神社
          所在地     東京都青梅市住江町12
          創建       応安2年(1369)      
          社格       旧 郷社
          祭神       底筒男命(ソコツツオノミコト)
                    中筒男命(ナカツツオノミコト)
                    上上筒男命(ウワツツオノミコト)
                    神功皇后(ジングウコウゴウ)
          神紋       左三つ巴紋
          由緒       応安2年、町内住吉山延命寺を開山した季竜が寺門守護のため、      
                    故郷である堺の住吉大社の住吉明神を勧請したことに始まる。永正
                    10年(1513)時の三田領57ヶ村の領主、勝沼城主三田弾正氏宗・
                    政定親子の協力にて当時の青梅村民が拝殿を改修、青梅村総鎮守
                    とした。時に3月28日、この日を祭日として後日太陽暦になってからは
                    4月28日となる。



2 祭典日程
          4月27日・28日  5月2日・3日
          訪問日 2013,5,3(金・祝)
          【第一日目】   4月27日 住吉神社神事(囃子奉納)
          【第二日目】   4月28日 住吉神社神事(雅楽・舞・囃子奉納)
          【第三日目】   5月2日  山車町内曳き回し(勝沼のみ午前から 他は午後から)
                            住吉神社にて山車の修祓式
          【第四日目】   5月3日  本祭り
                            山車曳き回し 競り合い 住吉神社にて山車の修祓式
                            居囃子 山車人形展示



3 山車・屋台
          種類        屋台(元は人形山車を屋台に改修)
          台数        全12台   居囃子9ヶ所   人形展示5ヶ所
          型          唐破風大屋根舞台屋台
          方向転換     三輪梶棒式  四輪前輪自在式据輪構造
          人形        無  (5町内は展示)
          囃子        太鼓・笛・鉦・踊り



4 山車・屋台 詳細      →  詳細ページへ
          勝沼町      大唐破風造舞台屋台
          西分町      大唐破風造舞台屋台
          住江町      大唐破風造舞台屋台 (人形展示=神功皇后)
          本町        大唐破風造舞台屋台 (人形展示=神功皇后と武内宿禰)
          仲町        大唐破風造舞台屋台(人形展示=静御前)
          滝ノ上町     大唐破風造舞台屋台
          大柳町      大唐破風造舞台屋台
          上町        大唐破風造舞台屋台 (人形展示」=日本武尊)
          天ヶ瀬町     大唐破風造舞台屋台
          森下町      大唐破風造舞台屋台 (人形展示=武内宿禰)
          裏宿町      大唐破風造舞台屋台
          日向和田     大唐破風造舞台屋台
          居囃子      師岡囃子連  二俣尾桃花連  駒木町囃子連
                     上長渕囃子連  和田町囃子連  藤若囃子連
                     下長渕囃子連  友田町郷土芸能保存会  河辺町囃子保存会



5 所感     青梅大祭の見どころは第一に山車人形であろうか。青梅の祭りは学芸員の友人の     
          勧めがあり、いつか見に行こうと思っていたが今年の5月連休はそれほど予定がなく
          早朝出発の日帰りで見に行くことができた。
          時間があればじっくりと見学することもできるが、とにかく山車(現在の姿は屋台)
          そのものと山車から降ろされて展示される人形のみ見学するくらいの時間しか
          とれなかった。従って5月3日の青梅大祭本祭りの日、山車が動き出す前に少し
          でも細部の確認作業を進めることにする。
          青梅大祭の山車の曳き始めは江戸末期頃か明治初期の住吉神社例祭であったのか
          はっきりはしない。しかしながら宮本である住江町(墨江町)・本町・仲町・上町・森下町
          5町内の山車が人形を乗せて明治末まで曳かれていたことは間違いない。
          明治44年、青梅の街道にも電化が始まって電線が引かれるようになってきた。
          当時の山車の高さは、はっきりと分からないが上町の人形の箱書きが参考になるかも
          しれない。山車を納めるよしず張りの仮屋形の高さが5間半となっているから約10m。
          人形を乗せての高さであろうが、青梅街道に電線が張られるようになると極めて都合が
          悪かろう。江戸型の鉾台が収縮するタイプであったとしても通行に支障が出る。
          その後青梅では山車の大改造という歴史をたどる。大正時代になって、江戸型山車は
          人形を降ろし3層勾欄であった鉾台の上層を取り払って、唐破風の大屋根の形に変貌
          するのである。
          戦前までは5町内で曳かれていた山車も、戦後になり裏宿・滝ノ上・天ヶ瀬・大柳が
          加わり、やがて東西の氏子外の町内である勝沼・西分・日向和田の3町内が入って
          現在のような12町内で曳き回されるようになった。
          現在の12台の屋台は前後唐破風付大屋根で前部に囃子台、後部は見送り幕で
          覆った楽屋になっている。囃子は締太鼓2、左側面に吊るされた大胴1、篠笛1、鉦1の
          5人囃子で鉦は場合によって2人乗ることもある。これもやはり神田囃子の流れか。
          屋台彫刻はあまり見るべくものもないが、幕の刺繍と会所に置かれた山車人形は
          大変に素晴らしく目を見張るものがあった。作者も江戸末期から明治初期にかけての
          名人ぞろいの傑作ばかりである。素人の私でも名前くらいはという、原舟月の本町
          「神功皇后と武内宿禰」や仲秀英の住江町「神功皇后」森下町「武内宿禰」と松雲斎
          徳山の仲町「静御前」。上町の人形は不明であったが古川長延という説が出てきて
          最近では有力になっているようだ。人形は「日本武尊」。
          そして山車人形と共に飾られているのは、人形と一緒に降ろされた鉾台にかける
          四方幕。この刺繍が絶品である。展示場は柵から中に入れないが遠目に見てもその
          デザイン、刺繍の精密さ美しさを十分に堪能できるであろう。
          さて、最後に青梅大祭で感じたことは、氏子町内古くからの5町内と途中参加の7町内
          のみならず、近隣の囃子連が9ヶ所も居囃子として参加していることである。居囃子の
          櫓は川越でも見られたが、青梅の居囃子も大変すばらしい。動かない屋台といっても
          いいくらい、屋台と同等に競り合いを行っていた。中で一際私が足を止めたのは、
          和田町囃子連の少女の手踊り(岡目)と藤若囃子連の足踊りがすばらしく、しばらく
          櫓の下でカメラを構えたまま見入ってしまったものである。



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