藤沢 鵠沼皇大神宮例大祭
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| 撮影日 2012, 8, 17 | ||
| 1 神社 |
| 神社名 鵠沼皇大神宮 |
| 所在地 神奈川県藤沢市鵠沼神明2−11−5 |
| 創建 伝 天長9年(832) |
| 社格 旧 村社 |
| 祭神 天照皇大神(アマテラススメオオミカミ) |
| 天児屋根命(アメノコヤネノミコト) |
| 天手力男命(アメノタヂカラオノミコト) |
| 天太玉命(アメノフトタマノミコト) |
| 天宇受売命(アメノウズメノミコト) |
| 石凝刀売命(イシコリドメノミコト) |
| 神紋 花菱 |
| 由緒 大同3年(808)延喜式内社、石楯尾神社を創建。天長9年(832)に |
| 烏森神社として社殿造立の記録が残る。天喜3年(1055)元亨2年 |
| (1322)天正13年(1585)昭和60年(1985)と造営を重ねてきた。 |
| 第60代醍醐天皇の御代に相模国土甘郷の総社に列せられ、また |
| 長治元年(1104)に至って鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢 |
| 神宮の御厨として寄進したので土甘郷はもとより広大な地域の伊勢 |
| 神領大庭御厨総鎮守として崇敬されてきた。この後八幡太郎義家が |
| 奥州制圧の途次の祈願や那須与一が屋島の戦いの後弓と残りの |
| 矢を奉納したと伝えられている。 |
| 2 祭典日程 |
| 8月17日 |
| 訪問日 2012, 8, 17(金) |
| 【第一日目】 午前 浜降り 山車組立 |
| 午後 神事 浦安の舞 湯立(湯華)神楽 |
| 山車宮入 山車紹介 囃子競演 手締め 山車解体・格納 |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 山車 |
| 台数 全9台 |
| 型 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車 廻り舞台 |
| 方向転換 4輪固定 補助輪付梶棒 |
| 人形 有 |
| 囃子 太鼓・笛・鉦・手踊り |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 宮之前 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=那須与一) |
| 上村 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=源頼朝) |
| 清水 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=神武天皇) |
| 宿庭 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=源義経) |
| 苅田 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=徳川家康) |
| 大東 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=楠木正成) |
| 仲東 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=浦島太郎) |
| 原 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=日本武尊) |
| 堀川 湘南型一本柱唐破風屋根3層人形山車(人形=仁徳天皇) |
| 5 所感 江戸型山車の吉原への伝播を探っているうちに湘南地方の山車祭りにあたった。 |
| 一般的にはあまり知られていないが、調べてみると非常に興味深い祭りであった。 |
| 事実、あまり関心のない地元の友人に聞いても、皇大神宮も山車も知らなかった |
| くらいで、見学前の予備知識として資料を探したがなかなか的確な資料は見つから |
| なかったのである。 |
| そんな「鵠沼皇大神宮の例大祭」は別名に「いっとき祭り」と呼ばれているほど、半日 |
| で終わってしまう。 |
| 2012年の盛夏、8月17日が例大祭の日である。JR東海道線藤沢駅で降り、北口 |
| から線路沿いに西に向かう。朝の10時前であるが歩くともう暑い。皇大神宮は20分 |
| 程歩いた所の湘南高校すぐ南側にあった。まずは神社の一の鳥居から軽く拝礼して |
| 参道の両側に並んだ露店の間を行く。二の鳥居をくぐると広場があり両側に山車小屋 |
| が建ち並んでいる。思っていたより境内が広い。そういえばここで9台の山車が揃う |
| のだから。階段の上に三の鳥居があって、その奥に拝殿・本殿と続く。 |
| 拝殿では午後2時からの神事の準備。脇にある社務所に立ち寄り、慌ただしく準備 |
| している役員の方に山車の組立場所を訊いてみた。前もって想像していた場所では |
| なく一の鳥居を出て東寄りに踏切の方だという。まだ早いかと思っていたが、すでに |
| 9台の山車は組み上がっていて、残念ながら組む様子を見学することができなかった。 |
| 10時半頃から神社の方に向かって整列している山車を順番に撮影していく。 |
| 鳥居寄りに一番山車「宮之前」から踏切寄りに整然と九番山車「堀川」まで、1台1台 |
| 丹念に2台のカメラで撮影する。 |
| 江戸型山車の原型に近い一本柱の3層人形山車である。9台ともほとんど同じ形状 |
| で、わずかな違いは唐破風屋根の形状か。前後両面唐破風付の平屋根に、後部の |
| 真中で2つに割れ長い柱を間に立てる。その上が人形台だ。鉾台はなく、2段の |
| 枠に鮮やかな幕で覆われている。行灯部分の幕下、舞台は6本柱で支えられた |
| 素通しの舞台であった。 |
| 彫刻については、やはり地元の彫刻師である藤沢彫川の作品であり、これは一元 |
| 安信の流れを汲む一元流の作品である。一元安信は江戸彫工後藤流の彫工だと |
| 推察されるが、ここの山車については彫刻よりも山車の高さに目を奪われてしまう。 |
| 午後2時、整然と並んだ山車は一番から順次宮入に向って曳き出されていく。 |
| 高さが約8mの3層のわりに土台の車軸間が1・5mくらいであろうか、大変に短い |
| ため、山車は安定性を欠き進行中ゆらゆらと揺れながら進んでいく。また、舞台は |
| 廻り舞台になっているため、所々で停止し廻りながら囃している。 |
| 一の鳥居から参道は鳥居も低く狭いため鳥居脇の小道を二の鳥居横に向かって |
| 境内に入っていく。二の鳥居内側の広場は奥から順次一番山車「宮之前」の山車 |
| 小屋、拝殿に向かって左側に5台右側の山車小屋前に4台が勢揃いする。 |
| ここからの囃子合戦が見事だ。当番町の紹介で1台ずつ前に出し、アピールする。 |
| 2時に始まり5時に終わる、3時間氏子青年たちは交替で全く間断なく囃し続けるのだ。 |
| 「いっとき祭り」この3時間を完全燃焼するがごとくの盛り上がり。 |
| 各山車の紹介、囃子合戦の間も拝殿内では粛々と神事は行われており、いくつかの |
| 神楽も奉納される。非常に関心を持って見ていたものに「湯立神楽」があった。「湯華 |
| 神楽」ともいう。湘南地方に数か所行われているようだが珍しい神事だと思う。 |
| 境内の社務所の前、4本の忌竹で囲まれた中で湯釜が煮えたぎっている。神官は |
| 御幣を持ち釜の湯を掻き混ぜて泡の様子で吉凶を占うのだ。これは古代の「盟神探湯」 |
| (くがたち)から来ているのではなかろうか。その後、笹の湯たぶさを釜の熱湯につけて |
| 参拝者の頭上に振り掛ける。一番前で撮影していた私もとっさのことで驚いたが、頭を |
| 垂れ無病息災を祈念したものである。 |
| 湯立神楽が最後のクライマックスで、やがて神事も滞りなく済み、神官・役員が揃って |
| 三の鳥居下で境内の氏子・参拝者に向かって挨拶。手締めで終了する。 |
| 山車の組立を見学できなかったので、解体はしっかりと撮影しようと思った。本当に |
| 5時に手締めが終わり、すぐさま解体にかかる。大変各町内とも手際が良く早い。 |
| 後部唐破風部分が2つに割れ、柱を後ろに倒す。人形を取り外し大事に保管。行灯の |
| 幕が外され徐々に各部位がバラバラに片づけられていった。この間30分から40分。 |
| あっという間に祭りは終了するのだ。全くあっけにとられたような時間であった。 |
| 最後にもう2点、気になったのは山車の4角の象鼻に海藻を引っ掛けていたこと、と |
| 山車の方向転換は補助輪の付いた梶棒のようなものを土台下に差し込み前2輪を |
| 浮かせて回していたことである。 |