鎌倉腰越・小動神社天王祭
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| 撮影日 2014, 7, 13 |
| 1 神社 |
| 神社名 小動神社(こゆるぎじんじゃ) |
| 所在地 神奈川県鎌倉市腰越2丁目9−12 |
| 創建 文治年間(1185〜1189) |
| 社格 村社 |
| 祭神 建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト) |
| 建御名方神(タケミナカタノカミ) |
| 日本武尊(ヤマトタケルノミコト) |
| 神紋 四つ目結紋(丸に隅立四つ目結紋) |
| 由緒 文治年間に佐々木盛綱によって八王子宮を勧請して創建された。 |
| 元弘3年(1333)5月には新田義貞が鎌倉攻めの戦勝祈願したとされる。 |
| それ故に八王子宮縁起によれば新田義貞を中興の祖と称している。 |
| 江戸時代には小田原城主の大久保忠真が祭神の三柱を尊称した |
| 「三神社」の扁額を揮毫して奉納している。 |
| 明治維新にあたり小動神社と改称し明治6年(1873)村社に列格された。 |
| やがて明治42年(1909)当地の神戸にあった諏訪社を合祀して現在に |
| 至る。 |
| 2 祭典日程 |
| 7月第1日曜日〜第2日曜日 (訪問日 2014, 7, 13(日)) |
| 【第1日曜日】出御祭 午後(囃子屋台町内巡行・神輿町内巡行) |
| 【本祭前日】 宵宮祭 夕方(囃子屋台町内巡行・五ヶ町内流し踊り) |
| 夜間(山車・囃子屋台町内巡行) |
| 【第2日曜日】神幸祭 午前(山車・囃子屋台お仮屋にて式典・神輿海中渡御) |
| 午後(江ノ島八坂神社の神輿 龍口寺前に出迎え) |
| (八坂・小動神輿お仮屋まで巡行) |
| (式典後八坂神社神輿還幸・小動神社神輿見送り) |
| 夜間(山車・囃子屋台町内巡行) |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 山車 |
| 台数 全4台 (山車 4台) |
| 型 湘南型大唐破風屋根人形山車 4台 |
| 方向転換 4輪 (前梶自在方式据輪構造・補助輪付梶棒)で方向転換 |
| 人形 5町内(1町内のみ取り外して会所に展示) |
| 囃子 太鼓・笛・鉦 |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 神戸町 湘南型大唐破風屋根人形山車 |
| 中原町 湘南型大唐破風屋根人形山車 |
| 土橋町 湘南型大唐破風屋根人形山車 |
| 下町 湘南型大唐破風屋根人形山車 |
| 濱上町 |
| 5 所感 鎌倉周辺の道路は常に渋滞が伴うので、腰越には電車で入ることにした。JR東海道線 |
| 藤沢駅で江ノ電に乗り換えて江ノ島駅まで。江ノ島駅の東側、軌道が路面になった所 |
| 龍口寺前から腰越駅まで、そして腰越の町から海岸に出るまでの間が交通規制に |
| なる。 |
| 神輿の海中渡御が11時頃という情報から早めに現地について町の様子や神社境内 |
| を見ておこうと9時半に現地到着。江ノ島駅からほんの5分も歩くと龍口寺があった。 |
| 日蓮聖人の龍ノ口法難の地なんだと誰もいない境内で感慨深く歩き回ってみる。 |
| この龍口寺前では江ノ島八坂神社の神輿を迎えてお仮屋まで渡御がある。また、八坂 |
| まで還御する時に小動神社の神輿が寄り添って見送る地点である。 |
| さて、一通り小動神社まで氏子町内を回って会所前に出されていた山車の撮影をしな |
| がら小動神社まで行ってみた。濱上町会所前に設けられたお仮屋を見ながら、街道 |
| から南に国道を渡った所に神社の鳥居がある。この時間では境内にもほとんど人が |
| いない状態であってゆっくりと拝観できた。昭和37年に火災で5台あった山車がほと |
| んど焼けてしまったことからか、立派な山車小屋が建てられている。その脇には神輿 |
| 蔵が。天王祭の相模神輿は宮出ししていたが、もう1基の諏訪祭の江戸神輿が納め |
| られていた。そのうちに国道の方で神輿の掛け声が聞こえてきたので追ってみる。 |
| 11時前猿田彦を先頭に獅子頭、玉串、太鼓台等々続き、宮司、氏子役員の後に |
| 囃子屋台と山車(中原・土橋)2台が従って、最後に神輿の登場という神幸行列が |
| 始まった。 |
| やがて行列が下町の路地から国道に出る所、海岸に降りる前に神輿以外は待機、 |
| 神輿だけが国道の階段からゆっくりと降ろされて、砂浜に設けられた結界の中に |
| 納められる。祝詞奏上の後いよいよ海中渡御に入る。担ぎ手は下帯1枚になり |
| 勇ましく海中に入っていく。腰の深さまで入って揺すられた後上がった神輿は |
| そのまま龍口寺前の休憩場所へ。2台の山車と共に八坂の神輿を迎えるまで |
| 休憩となった。 |
| 午後2時、龍口寺前に行ってみると、大勢の氏子連や観光客で道路は埋められて |
| いた。江ノ島駅の方から笛の音が聞こえてくるとまもなく八坂神社神輿の神幸行列が |
| 近づいてきた。双方の氏子連が挨拶を交わす中、2基の神輿が並んで渡御を開始。 |
| それまでの間は路面の軌道上を江ノ電が通過するたびに群衆が左右に分けられ |
| 電車を通過させる。電車は鎌倉行と藤沢行合わせておよそ10分に1本は通過する。 |
| 群衆と電車の距離は本当にギリギリで危険極まりないが、そこは整理も慣れたもの |
| らしく難なく電車は通り過ぎていた。 |
| さて2基の神輿渡御の間はさすがに電車の通行は止められているようで、カメラを |
| 構えた群衆の塊が神輿の周りを移動していく。そして2台の山車と腰越駅近くに |
| 待っていた神戸町の山車が人形を上げて囃子ながら出迎える。山車は廻り舞台に |
| なっているから、90度回して神輿に向って正対しいかにも歓迎の挨拶をしている |
| ようだ。このころからあいにく小雨が降ってきた。お仮屋に先回りして行列を出迎え |
| ながら撮影場所を探した。この後神事が行われ休憩後八坂の神輿は還御していく。 |
| 5台あった山車は火災で焼失した4台も修復、再築されて当時の山車からはやや |
| 小ぶりにはなったものの復活してきたようである。 |
| 小動神社天王祭で行われる浜降り、海中渡御は湘南地方の祭典で多く見られる |
| 行事であって、吉原でも昔は神輿を海岸まで持って行って浜降り行事を行っていた |
| ものと思われる。また、江ノ電の方が天王祭神輿渡御を知りながら軌道を敷設した |
| ということで、神社・氏子・鉄道会社の三方で上手に運行している手際よさも見ること |
| ができた。もう1つの見どころとして、神輿渡御の休憩の時間に見ることができたの |
| だが、廻り舞台で相当速く回転させながら乗り込んだ囃子方が演奏しているのに |
| 大変驚いたものだが、夜間巡行の時には見られるようだ。 |