藤 枝 大 祭 り
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| 撮影日 2010, 10, 2 | ||
| 1 神社 |
| 神社名 飽波神社 |
| 所在地 静岡県藤枝市5−15−36 |
| 創建 仁徳天皇6年(316) |
| 社格 旧 郷社 |
| 祭神 少名彦命 |
| 神紋 波巴 |
| 由緒 社伝によると仁徳天皇6年(316)の創祀で飽波郷に鎮座している |
| ことから飽波神社といった。式内社に比定している古社で瀬戸川の |
| 水が湧いていたことから「湧波」が語源という説もある。1560年 |
| 戦火で社殿が焼失。少徳5年(1715)再建されたと伝えられている。 |
| 明治6年(1873)社格制度で郷社に列せられる。 |
| 2 祭典日程 |
| 10月第一 金・土・日 (3年に1度の大祭) |
| 訪問日 2010,10,2(土) ・ 2013,10,4(金) |
| 【第一日目】 午後 屋台自区曳き回し 飽波神社奉納踊り |
| 【第二日目】 午前 飽波神社式典 飽波神社奉納踊り |
| 午後 屋台曳き回し 飽波神社奉納踊り |
| 【第三日目】 午前 神輿渡御 浦安の舞奉納 屋台曳き回し |
| 飽波神社奉納踊り |
| 午後 神輿渡御 屋台曳き回し 本部前地踊り披露 |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 踊り屋台 |
| 台数 全14台 |
| 型 単層唐破風屋台 |
| 方向転換 4輪 梃子棒屋台差し込み |
| 人形 無 |
| 囃子 太鼓・笛・鉦・三味線・長唄・手踊り |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 原区 大唐破風造屋台 |
| 木町区 大唐破風造屋台 |
| 栄区 大唐破風造屋台 |
| 小坂区 大唐破風造屋台 |
| 上伝馬区 大唐破風造屋台 |
| 益津区 大唐破風造屋台 |
| 岡出山区 大唐破風造屋台 |
| 千歳区 大唐破風造屋台 |
| 長楽寺区 大唐破風造屋台 |
| 白子区 大唐破風造屋台 |
| 下傳馬区 二重屋根唐破風造屋台 |
| 左車区 大唐破風造屋台 |
| 市部区 大唐破風造屋台 |
| 五十海区 二重屋根唐破風造屋台 |
| 5 所感 藤枝の飽波神社例祭は毎年10月の第1土・日に行われるが、3年に1度「藤枝大祭り」 |
| として大々的に行われている。従って2010年に見学した後、どうしても見逃してしまった |
| 部分も多くて、3年後の2013年に再度調査に出かけたものである。 |
| 3年前には第2日目の土曜日に訪問したため、祭典スケジュールでは朝8時半より |
| 屋台の町内曳き回しが始まってしまっていた。全14台の屋台をすべて細部まで撮影 |
| するのには、曳き回しが始まってからでは大変に困難になるので、屋台置場を出発する |
| 前にできるだけ撮ってしまう方がよい。 |
| この経験を踏まえ2回目の訪問は初日の金曜日の早朝から藤枝まで車をとばした。 |
| 14町内の範囲は一番西の原区から一番東の左車区まで地図上の距離でおよそ3km。 |
| 中心は飽波神社だが南北は約2kmほどであろうか。この範囲を屋台置場を探しながら |
| 回って歩くのも結構な時間と労力が必要である。 |
| スケジュール表から初日は午後より曳き回しとなっていたため、9時には駐車場から |
| スタートしたかったが、やや遅れて着いたので急いでなるべく遠くの町内から始める |
| ことにして原区に向かう。原区は音羽町の八幡宮門前にあるという情報から、駐車場 |
| から大谷川沿いに西に向かって急ぐ。着いた時にはもう手前の公園前で出発する |
| 所であった。中には午前中から町内回りをする所もあったのだ。しかたなく、屋台に |
| ついて四周から全体と各部を撮影する。資料になく作者も彫刻師も不明だが、なかなか |
| 彫刻についても二十四孝あり中国の仙人あり彫工技術もすばらしく彫刻師の名前を |
| 知りたくなった。 |
| 原区を出て小坂区のある鬼岩寺前に向かうが、やはり出発後であって掛け声のする |
| 方に向かって南下する。月見里(ヤマナシ)神社の北側で追いつき、曳き手の休憩時 |
| に急いで撮影。もう10時半になってしまった。まだ2ヶ所しかできていないので急いで |
| 次へ、そのまま南下して栄区に向かおうとしたところ、月見里神社参道前に木町区の |
| 屋台が止まっていた。見ると出発準備を急いでいる。囃し手の師匠たちも慌ただしく |
| 屋台に乗り込もうとしている所だった。木町区の屋台は唯一黒漆塗の重厚な屋台で |
| ある。師匠たちの邪魔にならないように撮影して4ヶ所目の栄区に。 |
| 月見里神社からそのまま真っ直ぐ南下して瀬戸川に。突き当たって左折、回り込んで |
| 広い通りに栄区の屋台が置いてあった。町内の方に断って四周からじっくりと撮影 |
| できた。内部の墨書から彫刻は井波彫刻ということである。このあたりでは東からの |
| 後藤流をくむ梶山桂成師の上伝馬、益津もあり遠州に入ると諏訪の立川流が入って |
| いて、富山から井波も来ているというちょうど各地の彫刻流派が入り混じる興味深い |
| 土地柄だ。 |
| 何とか12時までにできるだけ撮っておきたい。この後は結構効率的に回ることが |
| できて、栄区にすぐ北で上伝馬と千歳区、千歳交差点から南下して飽波神社前で |
| 宮入しようとしている益津区に出合った。撮影後すぐ南の市役所前、岡出山を見に |
| 行く。ここの屋台も興味深い。井波彫刻で両サイドに四神の彫刻、見送り幕には |
| 歌舞伎の連獅子。そういえば長唄・地踊りが見どころの藤枝大祭りは歌舞伎関係の |
| 装飾が多い。幕張屋台は歌舞伎座・国立劇場の定式幕を使い、見送り幕の図柄も |
| 栄区にある弁慶の六法とか岡出山の連獅子。 |
| さて、長楽寺の置場がわからなく時間がとれないので次の白子へと向かう。本町 |
| 3丁目の交差点から東に白子区、下伝馬区、と回って、ちょっと北に入って市部区 |
| 五十海区。これで12ヶ所目。あとは一番東の左車区と、途中でとばした長楽寺区。 |
| もう市部あたりからいよいよ屋台は出発を始める。追っかけという事態になったが、 |
| 邪魔にならぬよう必死で撮影する。 |
| さて、藤枝大祭りは長唄・地踊りが売り物の祭りである。3年に1度東京から100人 |
| もの長唄や三味線等師匠達を招き、各屋台に分散して乗り込んでもらうそうだ。 |
| 従って、江戸囃子系の競り合い(曳っかわせ・叩き合い)のような勇壮なお囃子は |
| ない。しかし、悠長な謡と三味線・太鼓の軽妙な音色が町中にあふれて、この上ない |
| 優雅な雰囲気を醸し出す。「ヤレコノセー」という掛け声で数10m曳いたかと思うと |
| 屋台を止め、曳き手が全員で踊り出す。1曲踊ってまた屋台を曳く。 |
| このような祭り形態は藤枝、掛川、島田の3ヶ所しか残されていないようだが、 |
| 江戸型の山車を追い、摺り鉦のはいった5人囃子にワクワクしてきた自分でも |
| 本当に一味違った祭りを堪能できた祭りである。 |