遠州森町・森のまつり
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| 撮影日 2014, 11, 3 |
| 1 神社(6社合同) |
| 神社名 三島神社 |
| 所在地 静岡県周智郡森町森字三島山363−1−2 |
| 創建 不明 |
| 社格 村社 |
| 祭神 大山祇命(オオヤマツミノミコト) |
| 譽田別命(ホンダワケノミコト) |
| 神紋 左三つ巴紋 |
| 由緒 三島神社は千年以上の歴史を持ち、三島山の宮森の下から森の街々が |
| 発展しました、この宮森が森町の地名となったといわれております。 |
| 御本殿は戦国時代、兵火のために焼失し、慶長17年に再建されました。 |
| 現在の建物は寛文12年(1671年)造営で、森町では最古の建造物で |
| あり、町の文化財に指定されています。 |
| 神社名 金守神社 |
| 所在地 静岡県周智郡森町森928 |
| 創建 天正7年(1579) |
| 社格 村社 |
| 祭神 金刀比羅大神 |
| 支之御中三大神 |
| 高皇産霊大神 |
| 神紋 十六菊 |
| 由緒 元和8年(1622)本社再建。寛永5年(1628)山口修理之亮検地。 |
| 延宝7年(1679)土屋惣蔵知行となる。慶應2年本殿屋根修理、 |
| 明治3年(1869)本殿内殿修理、明治12年(1878)8月村社に列せら |
| れる。昭和43年(1968)社殿修復する。 |
| 神社名 天宮神社(あめのみやじんじゃ) |
| 所在地 静岡県周智郡森町天宮576 |
| 創建 慶雲2年(705) |
| 社格 県社 |
| 祭神 田心姫命(タゴリヒメ) |
| 湍津姫命(タギツヒメ) |
| 市許嶋姫命(イチキシマヒメ) |
| 神紋 左三つ巴紋 |
| 由緒 29代欽明天皇の頃(約1500年前)、この地方を開発した氏族によって |
| 築紫国宗像から神霊を迎えて斎き祀ったと伝えられている。慶雲2年 |
| 社殿等が造営されたが、戦乱により焼失。のち徳川家康公によって |
| 造営。更に元禄10年、五代将軍綱吉公により甲良宗賀を大棟梁として |
| 完成したものが現在の本殿と拝殿で、県指定文化財となっている。 |
| 神社名 天方神社(あまがたじんじゃ) |
| 所在地 静岡県周智郡森町向天方1391−2 |
| 創建 不明 |
| 社格 不明 |
| 祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト) |
| 神紋 不明 |
| 由緒 不明 |
| 神社名 谷本神社 |
| 所在地 静岡県周智郡森町城下907−2 |
| 創建 不明 |
| 社格 不明 |
| 祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト) |
| 神紋 不明 |
| 由緒 不明 |
| 神社名 森川稲荷社 |
| 所在地 静岡県周智郡森町睦実1621 |
| 創建 不明 |
| 社格 不明 |
| 祭神 不明 |
| 神紋 不明 |
| 由緒 不明 |
| 2 祭典日程 |
| 原則11月第一金曜日・土曜日・日曜日(訪問日 2014, 11, 3(月)=祭日) |
| 【第一日目】 午前 屋台町内巡行 12:00三島神社で清祓い |
| 午後 屋台巡行 17:00金守神社本祭 19:00練り |
| 【第二日目】 午前 9:30三島神社本祭 10:00谷本神社本祭 |
| 午後 13:00三島神社集合して神幸祭 13:40神輿渡御 屋台巡行 |
| 【第三日目】 午前 8:00屋台巡行 9:00還幸祭 10:00天方神社本祭 |
| 午後 12:30金守神社集合して還幸祭 14:30森川稲荷社本祭 |
| 16:30三島神社にて舞奉納 18:00舞児還し 19:30練り |
| 22:30全屋台車庫入れ |
| 3 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 谷本社(城下) 二輪高欄型人形山車(人形 草摺引) |
| 凱生社(天宮) 二輪高欄型人形山車(人形 三番叟) |
| 北街社(新町) 二輪高欄型人形山車(人形 寺岡平右衛門) |
| 明開社(明治町) 二輪高欄型人形山車(人形 一寸法師) |
| 比雲社(仲横町) 二輪高欄型人形山車(人形 五条大橋) |
| 水哉社(本町) 二輪高欄型人形山車(人形 鞍馬山 天狗) |
| 鳳雲社(大門) 二輪高欄型人形山車(人形 神霊 矢口の渡) |
| 龍生社(西幸町) 二輪高欄型人形山車(人形 鳴神) |
| 湧水社(南町) 二輪高欄型人形山車(人形 軍師 黒田官兵衛) |
| 睦栄社(戸綿) 二輪高欄型人形山車(人形 弓張目) |
| 藤雲社(栄町) 二輪高欄型人形山車(人形 独眼竜正宗) |
| 桑水社(下宿) 二輪高欄型人形山車(人形 新田義貞) |
| 沿海社(川原町) 二輪高欄型人形山車(人形 天保水滸伝) |
| 慶雲社(向天方) 二輪高欄型人形山車(人形 御家人 斬九郎) |
| 4 所感 遠州森のまつりは以前から是非一度見に行きたいと思っていた祭りである。 |
| 原則毎年11月第一金・土・日と開催されるようだが、その年によって祭日の関係 |
| だと思うが、多少の変更はあるらしい。今年は11月1日(土)2日(日)3日(月=祭日) |
| であった。3日の最終日の舞児還しがその前の舞奉納とメインな行事のようで、3日 |
| に行く予定をしていたが、直前まで天気の情報では3日間とも芳しくなくて来年にしよう |
| かとも考えていた。小雨でも祭りは決行するだろうが、人形山車は雨天の場合は |
| ビニールシートを被せて曳かれることが多いので、山車彫刻の細部まで撮影できない |
| ことが多い。しかし全く幸運なことに2日午後から空の様子が変わって3日は一日中 |
| 晴天なようなので出かけることにした。 |
| 新東名高速道路が開通したおかげで、我が家(富士)からは1時間で森町まで行くこと |
| ができるようになった。3日の祭典スケジュールでは、もう8時頃から町内を曳き回して |
| いるようなので、1日長丁場になるなと思いつつ8時半頃には現地到着。無料駐車場 |
| の案内に従って役場周辺を探すが、こんな早い時間でも車を止める所がなかなか見つ |
| からない。やっと役場の敷地内の片隅に置くことができた。 |
| 9:30天方神社本祭で山車全台が集結するようなので行ってみることにした。遠州森町 |
| は秋葉街道の宿場町で「遠州の小京都」とも言われる街道沿いに昔の風情が残る |
| 町である。東側に大きな太田川が流れ、街道は川に沿って南北に伸びている。天方 |
| 神社は太田川を渡った東側にあった。今では住宅も多く建てられてはいるが、まだまだ |
| 稲の刈取りを終えた田園風景の中を14台の山車が進む光景も、何か伸びやかで |
| ゆったりとした気持ちになるものだ。このように朝早くから山車が動いているために |
| ゆっくりと細部まで撮影できるかどうかわからない状況であり、とり急ぎ本祭で集結 |
| している間に(止まっている間)片っ端から写していくようにした。夜まで時間はあるに |
| しても、二輪高欄型山車というのは曳くときにかなり上下左右揺らして(練る)曳く山車 |
| だから、巡行中の撮影は難しい。会所前の山車置場の休憩時間もあまりないようで、 |
| 6社合同の祭典は会所の位置が結構距離があって移動するのに大変な所もある。 |
| 13:00の還幸祭に合わせて中心部の金守神社で待つことにした。12:30昼食を終えて |
| 境内に行ってみると、周りでは数台の山車が来ており、すでに神事が行われる直前で |
| あった。やがて三島神社への神輿還御の行列を組んで出発する。先頭は年番の |
| 水哉社(本町)で金棒ひきと年番社長。次に猿田彦、役員、神官、神社幟や四神旗、 |
| 楽隊(ひちりきなど)、太鼓、そして多くの稚児たちが台車に乗せた神輿を曳いていく。 |
| なかなか立派な還幸行列であった。 |
| さて16:30からの三島神社で行われる舞奉納までの間、山車は各地を巡行している |
| ので、撮影していない山車を捜して歩く。その間、町の風景や祭りの飾りがついた |
| 家々など撮っていると、大きな看板が付けられた家があって、どうも今年の舞児の自宅 |
| らしい。毎年1町内から1人選ばれる?ようだが、舞児の名前を大きく掲げて、まるで |
| 会所であるかのように町内の人たちに酒肴を振る舞っている。名誉なことだろうが |
| これは大変なことだろうと思える。 |
| 16:30これより30分ほど前に町並より小高くなった三島神社の境内に行ってみる。 |
| 時間通りに舞児たちが拝殿内に集合して舞の奉納が始まった。まずは男児2名による |
| 朝日舞、以降女児4名で乙女神楽の舞、女児2名で豊栄の舞、最後は女児6名での |
| 浦安の舞である。11月のこの時期やはり五穀豊穣を感謝し、氏子の家内安全を祈る |
| 舞の奉納であると思われる。17:30あたりはもうすっかり暗くなって、いよいよ舞児還し |
| という祭事が始まる。案内で見ていたものの実際にどうするのかしっかり見たくて、 |
| 境内の鳥居を出た所の男坂(急な石段)の前いい場所に早くから陣取った。18:00 |
| ちょうどに花火が打ち上げられ、最初の社の社長が舞児を迎えに参じ、提灯の灯りの |
| 先導で肩車の行列が出てくる。舞児は自宅まで決して足を地面に付けてはいけないと |
| いうことで、肩車されながら右手にしっかりと御幣を掲げ、そのまま急な石段を降りて |
| 山車の最前列に社長、役員と共に立って曳かれていくのである。その後5分間隔で |
| 打ち上げられる花火の合図で、次々に14社の社長が舞児を迎えに行き自宅に送り |
| 届けるという伝統行事であった。 |
| 「森のまつり」、文久3年(1863)に大喧嘩があったという史料が残る歴史的な祭典 |
| だが、旧街道沿いの由緒ある祭礼だけに山車の形態、神幸祭・還幸祭の神事、行列 |
| 舞の奉納、舞児還しの祭事等すべてにおいて、しっかりと伝統行事を伝えていくという |
| 氏子の心意気のようなものは勉強できた見学となった。 |