小田原 松原神社例大祭
撮影日 2011, 5, 5 |
1 神社 |
神社名 松原神社 |
所在地 神奈川県小田原市本町2−10−16 |
創建 不明 伝 近衛天皇久安年間 |
社格 旧 県社 |
祭神 日本武尊(ヤマトタケルノミコト) |
素戔嗚尊(スサノオノミコト) |
宇迦之魂神(ウカノミタマノカミ) |
神紋 左三つ巴 |
由緒 創建の時期は不明で、かつては鶴の森明神・松原大明神などと |
呼ばれていた。中世以降は後北条氏が社領を寄進するなどして |
崇敬され、また稲葉氏や大久保氏からも崇敬されて小田原宿の |
総鎮守とされた。明治2年松原神社と改称。 |
2 祭典日程 |
5月3日・4日・5日 |
訪問日 2011, 5, 5(木) |
【第一日目】 5社神社の連合渡御 |
【第二日目】(神幸祭) 午前 浜降り |
午後 神輿渡御 山車曳き回し |
【第三日目】(神幸祭) 午前 神輿渡御 |
午後 神輿渡御 山車曳き回し 宮神輿宮入り |
28町内神輿宮入り 木遣り |
3 山車・屋台 |
種類 屋台 |
台数 全8台 (2011年 4台撮影) |
型 単層屋台 (内トラック2台) |
方向転換 4輪 梶棒・手動 (自動車ハンドル) |
人形 無 |
囃子 太鼓・笛・鉦 |
4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
五区 大唐破風造屋台 |
新宿 大唐破風造屋台 |
筋違欄干橋 屋台(トラック荷台) |
萬町 屋台(トラック荷台) |
宮の前 大唐破風造屋台 |
魚がし 大唐破風造屋台 |
大手前 大唐破風造屋台 |
御幸町 大唐破風造屋台 |
5 所感 3月11日の大震災の後2ヶ月もしないうちに開催はどうかと思われたが実施された。 |
小田原という西湘の古い町は江戸神田からの山車祭りが地方に伝播していくルートを |
探すのに重要な地点だと考えられたので、資料はほとんどなかったが直接現地で見よう |
と思って出かけたのである。 |
松原神社は小田原駅から真っ直ぐ南の方、海岸に向かって約800mも歩いた所に |
ある。10時半頃小田原駅に着き、そのまま先ずは松原神社へと向かう。まだ境内は |
静かであった。おそらく午後から始まるのだろう。祭典は明治の頃より開催日が何度も |
変わったようだが、昭和52年から現在まで5月3日〜5日までとなった。 |
小田原の総鎮守である松原神社の例大祭には26の町内氏子が参加し、また2ヶ所の |
龍宮神社も参加する華やかな祭りである。 |
江戸神田からどのように山車・囃子が伝わってきたのか、そして吉原祇園祭の山車・ |
囃子がどのように影響を受けているのか、江戸型の山車はどこまで広がったのか |
非常に興味深く何とかそのきっかけがつかめればと思っていた。 |
松原神社に拝礼して周辺を散策する。するといきなりすぐ南の国道1号に出た所で |
龍宮神社の神輿に出合う。この時ではまだ祭りの実態がつかめてないから、そう真剣 |
に見学していなかったし、早く山車置場を回って撮影することばかり考えていた。 |
小田原の山車は実際何台あるのか、ある資料では50台以上とか書かれてもいるが、 |
確認できたのは8台で、しかも今年町中で出合ったのは4台のみであった。 |
関東大震災の時に焼失したというものもあるそうで、また曳き手不足やら諸事情も |
あって、なかなか曳き出されないようである。 |
小田原の山車の形状は、山車と言っても舞台屋台の形状をしている。周辺の神社も |
含め、唐破風付屋根2階建でほとんど彫刻もない。簡素な造りではあるが2階部分の |
囃子台はほおずき提灯で覆われ外からは囃し手が見えにくい。 |
小田原囃子は県の無形民俗文化財に指定されており、いくつかの保存会もあるように |
由緒のある囃子である。それゆえ、山車が曳き出されないのがさびしい。囃子の伝播 |
からいうと、やはり葛西囃子を起源とする神田囃子からの流れである。ただ鎌倉・藤沢 |
経由ではなく直接入ってきたようだ。曲目も「屋台」「昇殿」「四丁目」等おなじみの |
題名で、地方に伝わると年数を経て次第にアレンジが加わり現在保存されている形に |
なってくる。 |
山車についてはいささかさびしい思いをしたものの神輿は賑やかである。むしろ神輿 |
祭りに変わっていったのではあるまいか。町中を歩いているとどこからでも神輿の声が |
聞こえてくる。26町内がそれぞれ神輿をもってメインイベントである宮入りの前まで |
町内中を練り歩く。ほとんどの神輿が4本棒であるが、中には「竹の花区」のように |
2本棒で台輪の横に箪笥の取っ手のような金具がついていて、これをカチカチ台輪に |
あててリズムをとっているものもあった。初めて見る光景である。また、大稲荷神社の |
神輿は龍の彫刻や蕨手に小鳥もついた立派な鳳輦であるが、源氏車4輪の台車に |
固定され、それも前輪自在の梶棒までついた、これは山車と同じである。 |
さて夕方になり、いよいよ祭りの花である宮入りが始まる。松原神社鳥居前まで |
50m位であるが、見物人でぎっしり埋まった参道を勢いよく神輿が駆け抜ける。 |
まず幟を先頭に神職の手により太鼓、榊、賽銭箱などが行進してくる。町中を巡行 |
していた時には猿田彦が先導していたが、この隊列の後に松原神社の宮神輿が |
還御する。宮神輿は大鳥の付く鳳輦で本社と書かれた駒札、蕨手に小鳥、方立には |
上り龍下り龍の彫刻が付き重厚な神輿である。その後に龍宮神社から始まって |
町内神輿の1番「宮の前」から27番「新宿」まで次々と全速力で参道を駆け抜けて |
鳥居前でピタッと止める。回転して揺すりながら宮入りである。 |
あまり時間がなく27番最後まで見ることができなかったが、なかなかこれだけ |
26もの町内が立派な神輿を担ぎ奉納する祭りも見られないように思う。 |
ちなみに、神輿の制作は浅草の老舗「宮本卯之助商店」で「宮本重義」の木札が |
つけられた高価な神輿が見られる。 |