横須賀浦賀・叶神社例大祭
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| 撮影日 2015, 9, 13 |
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| アルバム |
| 1 神社 |
| 神社名 東叶神社(ひがしかのうじんじゃ) |
| 所在地 神奈川県横須賀市東浦賀2−21−25 |
| 創建 正保元年(1644) |
| 社格 旧村社 |
| 祭神 誉田別命(ホンダワケノミコト=応神天皇) |
| 神紋 十六菊紋 |
| 由緒 正保元年に西浦賀の本社(西叶神社)の祭神を分霊して祀った。 |
| 現在の社殿は関東大震災の後、昭和4年(1929)に竣工したもので、 |
| 本社と違い豪華な彫刻は見当たらず比較的簡素な社殿になっている。 |
| 神社名 西叶神社(にしかのうじんじゃ) |
| 所在地 神奈川県横須賀市西浦賀1−1−13 |
| 創建 養和元年(1181) |
| 社格 旧村社 |
| 祭神 誉田別命(ホンダワケノミコト=応神天皇) |
| 比売大神(ヒメノオオカミ) |
| 息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后) |
| 神紋 双葉菊花紋 |
| 由緒 養和元年(1181)神護寺の文覚上人が源氏の再興を願って石清水 |
| 八幡宮より勧請して創建した。社殿は天保8年(1837)に焼失したが、 |
| 天保13年(1842)に再建したものである。権現造で総檜、再建費用は |
| 当時3000両かかった。浦賀奉行所がおかれ廻船問屋が軒を連ね |
| 繁栄を誇った浦賀の町であればの建立である。 |
| 2 祭典日程 |
| 9月第2土・日曜日 (訪問日 2015, 9, 13) |
| 【東叶神社】 9月12日 10:00 神輿御霊入れ 宵宮祭 16:30 神事修祓 |
| 9月13日 10:10 例大祭 12:45 神輿屋台巡行(浦賀駅往復) |
| 16:15 終神楽奉納 |
| 【西叶神社】 9月12日 献灯式 宵宮祭 神事修祓 神楽奉納 |
| 9月13日 例大祭 14:00 神輿屋台巡行(浦賀駅往復) |
| 3 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 東叶神社 |
| 東一丁目 大唐破風造屋台型人形山車(人形=スサノオノミコト ) |
| 新町 大唐破風造舞台屋台 |
| 洲崎 大唐破風造舞台屋台(船形高欄) |
| 新井(若宮丸) 大唐破風造舞台屋台(船形高欄) |
| 西叶神社 |
| 川間 大唐破風造舞台屋台 |
| 濱町 大唐破風造舞台屋台 |
| 南浦賀 大唐破風造舞台屋台 |
| 高坂 大唐破風造舞台屋台 |
| 田中 大唐破風造舞台屋台 |
| 紺屋町 大唐破風造舞台屋台 |
| 七丁目 大唐破風造舞台屋台 |
| 荒巻 大唐破風造舞台屋台 |
| 芝生 大唐破風造舞台屋台 |
| 浦賀京浜 大唐破風造舞台屋台 |
| 4 所感 横須賀浦賀の地形は三浦半島の先端に細長く入り江が食い込んだような所である。 |
| 細長く入り込んだ両岸に向かい合って叶神社がまつられていた。両社の由緒から |
| 見ると西叶神社が先に、地区の町制の分断によって新たに東叶神社が分祀された |
| という形らしい。例祭は東西同日に行われるが、両社の連携性はないようなのが |
| 何か腑に落ちないような気持ちを持った。 |
| とにかく京浜急行浦賀駅が入り江の最奥にあって、先に氏子4町内の東叶神社から |
| 回ってみることにする。まずは神社参拝から。神社が陸地の先端の方のため、途中で |
| 各町内の屋台の位置を確認しながら歩く。順に八雲神社入口に東一丁目、新町、 |
| 洲崎まで来て西岸への渡し船の位置を確認する。さらに東叶神社のすぐ北側にある |
| 新井(若宮丸)。ほとんど人の姿のない神社境内で参拝後に持参した昼食をとる。 |
| 拝殿脇にあった神輿蔵に回ってみるとガラス越しに立派な宮神輿が安置されていた。 |
| 神輿の御神鏡の裏に正徳2年(1712)と書いてあり、この年に制作されたものか。 |
| 台輪4尺5寸とかなり大きく重厚感が漂う。平成23年に鎌倉の古谷晃康師の手で |
| 総修理された。 |
| 神社を出て山車・屋台の撮影に向かう。先程と逆に新井から。若宮丸と表示がある |
| ように昔は舟に神輿を乗せて渡御した名残で舞台屋台の高欄が船べりを思わせる |
| ように見送りに向かって曲線になり狭くなっている。 |
| 東叶神社の氏子町内で所有する山車・屋台は4台である。3台が舞台屋台、1台だけ |
| 人形山車がある。その東一丁目に行ってみる。まだほとんどが雨天用のカバーが |
| 掛けられていて細部が見えない。氏子の方にきいてみると、山車の制作はそんなに |
| 古いものではないらしいが詳細は分からないという。見送りに回ると、屋根は前後に |
| 唐破風が付き真中からやや後方に鉾台がある屋台型人形山車に分類されるもので |
| ある。鉾台はせり上がらず人形(スサノオノミコト)のみ手動式ワイヤーで巻き上げる。 |
| 東叶神社の祭礼だが、スサノオが乗っているのも八雲神社の氏子だからであろう。 |
| 13:30西叶神社に屋台が集結する時刻になり、あわてて渡し船の乗り場に向かう。 |
| 船賃は150円、所要時間は約5分で対岸の西叶神社に。 |
| 対岸に着くと叶神社の南側に屋台が集結していた。14:00から各町内の神輿が |
| 宮入するとともに各屋台も従い浦賀駅に向かうようだ。 |
| 急いで集結していた屋台を端から撮影していく。とにかく動き出す前になるべく多くの |
| 屋台を撮りたいので順番は関係なく手当たり次第。西叶神社氏子の屋台は10台 |
| あった。人形山車はなくほとんどが大唐破風屋根で側面の中間に脇障子、この後は |
| やや細くなった舞台屋台である。ただ10台中半分ほどは破風付近にしか彫刻は |
| されていなくて撮影には手間がかからない。 |
| 時間もなく制作年や作者等、氏子に聞き取り調査もできずに屋台は出発時を迎える。 |
| 浦賀駅まで神輿を前に行列を組むが、駅に向かう通りにある鳥居の所で神輿は |
| 宮入の格好で鳥居をくぐった所の神官(氏子役員代表)の前で挨拶。神輿を高く |
| 差し上げたり大きく揺すったりしてから駅に向かって出ていく。 |
| ここでのもう1つの見どころは西叶神社拝殿の彫刻である。安房の国千倉の住人 |
| 後藤利兵衛義光の作品である。義光は23才で江戸日本橋の後藤三治郎橘恒俊の |
| 弟子となり、名声が確立したのは江戸に出て5年後28才の時であった。浦賀の |
| 西叶神社の再建で、後藤利兵衛光定の名で本殿・拝殿向拝に数多く刻んだ。 |
| この後名も光定から義光に改める。 |
| その義光の作品、向拝正面の龍は真下に立った時に最も迫力を感じる。向拝格天井は |
| すべて龍の彫刻、拝殿内の格天井は花鳥。社殿全部で230もの彫刻がつけられた。 |