佐 原 の 大 祭
撮影日 2011, 7, 16・17 |
1 神社 |
神社名 八坂神社 |
所在地 千葉県香取市佐原イ3360 |
創建 不明 |
社格 旧 村社 |
祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト) |
神紋 五瓜に唐花 |
由緒 古く佐原諏訪山近くの天王台に創建。江戸時代前期の天和年間に |
現在地に遷座し佐原・本宿地区の総鎮守となる。その後天保15年 |
(1844)に社殿を改築し、この頃に感応天王と改称される。やがて |
明治の神仏分離令によって八坂神社となった。 |
2 祭典日程 |
7月10日以降の 金・土・日 (10月第2金・土・日に諏訪神社秋祭り) |
訪問日 2011, 7, 16(土) 17(日) |
【第一日目】 午前 山車曳き回し 佐原囃子と手踊り |
午後 山車曳き回し 佐原囃子と手踊り のの字廻し |
【第二日目】 午前 山車整列巡行 佐原囃子と手踊り 小野川下座舟 |
午後 山車曳き回し 佐原囃子と手踊り 小野川下座舟 年番引継 |
【第三日目】 午前 山車曳き回し 佐原囃子と手踊り 小野川下座舟 神輿神幸 |
午後 山車曳き回し 佐原囃子と手踊り 小野川下座舟 |
3 山車・屋台 |
種類 山車 |
台数 全25台 (夏祭り=本宿10・秋祭り=新宿15) |
型 佐原型2層(下層は囃子座=下座・上層は人形台) |
方向転換 4輪 梃子棒(後は2本差し込み) |
人形 有 |
囃子 太鼓・鼓・笛・鉦 |
4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
【夏祭り=本宿】 |
仁井宿 佐原型2層人形山車(人形=鷹) |
船戸 佐原型2層人形山車(人形=神武天皇) 2011年出場せず |
下仲町 佐原型2層人形山車(人形=菅原道真) |
上仲町 佐原型2層人形山車(人形=太田道灌) |
荒久 佐原型2層人形山車(人形=経津主命) |
本川岸 佐原型2層人形山車(人形=天鈿女命) |
八日市場 佐原型2層人形山車(人形=鯉) |
浜宿 佐原型2層人形山車(人形=武甕槌命) |
寺宿 佐原型2層人形山車(人形=金時山姥) |
田宿 佐原型2層人形山車(人形=伊弉那岐尊) |
【秋祭り=新宿】 |
南横宿 佐原型2層人形山車(人形=仁徳天皇) |
上宿 佐原型2層人形山車(人形=源義経) |
新橋本 佐原型2層人形山車(人形=小野道風) |
下分 佐原型2層人形山車(人形=小楠公・楠木正行) |
仲川岸 佐原型2層人形山車(人形=神武天皇) |
下川岸 佐原型2層人形山車(人形=建速素盞嗚尊) |
上中宿 佐原型2層人形山車(人形=鎮西八郎為朝) |
下宿 佐原型2層人形山車(人形=源頼義) |
東関戸 佐原型2層人形山車(人形=大楠公・楠木正成) |
西関戸 佐原型2層人形山車(人形=瓊瓊杵尊) |
上新町 佐原型2層人形山車(人形=諏訪大神) |
北横宿 佐原型2層人形山車(人形=日本武尊) |
下新町 佐原型2層人形山車(人形=浦嶋太郎) |
新上川岸 佐原型2層人形山車(人形=牛天神) |
中宿 佐原型2層人形山車(人形=桃太郎) |
5 所感 以前から佐原には行きたいと思っていたが、3月の大震災で今年は開催が危ぶまれて |
いた。香取市の商工観光課に問い合わせてみると、出場しない山車もあり見所である |
曲曳き「のの字廻し」も見られないけれど開催するということなので、1ヶ月前ホテルを |
予約する。 |
さすがに佐原まで車で行く気にもならず東京からは電車。千葉県は船橋から東には |
行ったことがないので多少不安感はあるが、途中の乗り換えを経て無事に佐原に到着。 |
佐原の大祭は、7月の夏祭りが八坂神社で本宿地区、10月の秋祭りは諏訪神社で |
新宿地区の祭りである。山車は本宿地区に10台、新宿地区に15台と分かれている |
ために、通常一度に25台全部を見学することはできない。 |
ホテルに荷物を預け、早速カメラバッグを担いで本宿地区に向かう。ホテルの位置が |
駅から本宿と反対方向であったため、八坂神社までは15分くらいかかった。まず、 |
露店の並ぶ境内に入り拝殿を参拝。次いで隣接している山車会館を見学。予備知識 |
が乏しかったため、山車会館を先に訪れて祭りの詳細を知る。会館内には秋祭り新宿 |
の上中宿の山車が飾られていた。鎮西八郎為朝の人形である。 |
2日間で10台と撮影はそんなに忙しくはないと思われたので、のんびりと佐原の街を |
歩いてみることにした。土蔵造りの建物が数多く残る佐原も震災の影響で、古い土蔵 |
の屋根が崩れているところも見られブルーシートに覆われていた。小野川を挟んで |
新宿地区と分かれるが川の護岸の石垣も所々崩れている。町の人の情報では柳並木 |
の続く川べりの道はゆるんでいて、5t以上もある山車の曳行には耐えられないらしい。 |
パンフレットや資料に載る写真に蔵造りをバックに柳並木の小野川べりを優雅に進む |
山車人形が出ていたが今回は見ることができない。 |
町の見物の途中、もう昼間の町内曳行が始まっているので出合った山車を撮影して |
いく。山車の大きさはだいたい各町内同じくらいであり幅約3m奥行約4m高さ約4mで |
その上に巨大な人形が付く。人形だけで5mくらいもある。形状は江戸型と違い独自の |
型をもち佐原型とでもいおうか2層で人形台が大天井といって囃子台の上の天井に |
なる。囃子は国指定の重要無形文化財の指定を受けている「佐原囃子」。大小の太鼓 |
に笛・鉦の五人囃子に鼓がついて、囃子台には15人ほどが鈴なりのように乗っている。 |
山車の制作は古いものは嘉永3年(1850)の寺宿(金時山姥)が最も古く、新しいもの |
は平成になってからの新築と年代は幅が広い。彫刻師もさまざまで後藤茂右衛門、 |
小松光重、金子光晴等名工の手によるもの。人形も今回は出場していなかった船戸 |
の神武天皇は三代目原舟月の作、菅原道真・経津主命の三代目安本亀八という名人 |
から町内の人たちによる仁井宿の鷹や八日市場の鯉など手作りのものまで見られる。 |
初日は古い街並みの見物と夜の曳き回しの見学が主だったので、撮影できなかった |
いくつかの山車の細部については翌朝山車置場を訪問して撮ることにした。 |
佐原はまず地震の爪あとに驚き、古い蔵造りに驚き、そして巨大な山車人形に驚いた |
本当に記憶に残る祭りであった。夜再び街中に出てみると、事前の問い合わせでは |
行われないといわれていた「のの字廻し」も辻辻で囃子の興に乗り行われている。 |
梃子棒を山車後部に差し込み、数人の青年たちが必死の形相で棒にしがみつき |
山車を回転させている。傍では着飾った女性の曳き手が扇を手に「のの字廻し」を |
煽っている。非常に興奮する一瞬だ。今年の祭りは完全な形ではできなかったと |
思うが、どうしてすばらしい熱気を感じさせてくれる祭りであった。 |
次回できれば10月の秋祭りも見たくなってきた。 |