中井町五所八幡宮例大祭
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撮影日 2014, 4, 29 |
1 神社 |
神社名 五所八幡宮 |
所在地 神奈川県足柄上郡中井町遠藤84 |
創建 保元2年(1157) |
社格 郷社 |
祭神 誉田別尊(ホンダワケノミコト)=応神天皇 |
神功皇后(ジングウコウゴウ) |
仲哀天皇(チュウアイテンノウ) 他 18柱 |
神紋 左三つ巴紋 |
由緒 保元2年(1157)比叡山延暦寺の高僧慈恵大師の門人で僧義圓が |
現在の地「竜頭丘の杜」に至り、ここに現れた童子「誉田別尊」の |
霊言によって勧請したと伝えられる。五所宮の由来は欽明天皇の |
御代豊前国宇佐に初めて八幡宮の勧請があり、次第を経て第5に |
当たるという。1に宇佐、2に男山(京都 石清水)3に鎌倉(鶴岡) |
4に河内(大阪 壺井)で5が当社。文明元年(1469)正月火災があり |
村在住の神官がかろうじてご神体のみご動座したという。故にそれ |
以前の記録は皆焼失してしまったとされる。その後も小田原北条氏や |
多くの武士の崇敬を集めた。神宝として曽我五郎の弓、脇差、春日局 |
の子で老中を務めた稲葉丹後守の太刀などがあったが、弓以外は |
昭和の敗戦後盗難によりなくなってしまった。享保7年(1722)本殿 |
再建、明治6年(1873)郷社八幡神社となる。明治10年から村内の |
祭神を合祀し、平成11年11月には「五所八幡宮」と改称した。 |
2 祭典日程 |
4月29日 (訪問日 2014, 4, 29(火 祝)) |
【午前】 10:00 山車4基が神社鳥居前に集合する |
10:00 式典 |
【午後】 12:45 御霊遷しの儀 |
13:00 神輿渡御(宮立ち) |
赤白2基の神輿町内渡御 |
16:30 神輿お旅所到着 |
17:00 神幸祭(鷺の舞 奉納) |
19:30 還御 宮入 |
3 山車・屋台 |
種類 山車 |
台数 全4台 (山車 4台) |
型 小田原型大唐破風屋根笠鉾山車 4台 |
方向転換 4輪 (梶装置なし)梃子棒で方向転換 |
人形 無(万度付笠鉾) |
囃子 太鼓・笛・鉦 |
4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
宮本 小田原型大唐破風屋根笠鉾山車 |
田中 小田原型大唐破風屋根笠鉾山車 |
半分形 小田原型大唐破風屋根笠鉾山車 |
藤沢 小田原型大唐破風屋根笠鉾山車 |
5 所感 中井町五所八幡宮の「五所宮ばやし」が吉原祇園祭の囃子に似ているという情報から |
ぜひ一度見学したいと思っていた祭典である。 |
2基の神輿の宮出しが13:00からなので、比較的ゆっくりと出発する。国道1号から |
箱根新道、小田原厚木道路を経由して二宮ICから中井町に入っていく。県道709号を |
北の方に走るとすぐに道路脇に高く掲げられた「髭籠」が見えてきた。これでは神社が |
見えなくても祭典区域がよくわかる。 |
さて、車を神社から3分程行った所の中井町役場の駐車場に置かせてもらって、戻る |
こと歩いて15分。お旅所になっている広場から五所八幡宮境内にかけて露店が並び |
すでに子供たちの歓声が聞こえていた。 |
まだ1時間半ほど「宮出し」までには時間があり、10:00から並んでいるという山車の |
撮影にかかる。神社の急な石段の下、鳥居前には4台の山車が並んでいた。 |
西側から半分形・田中・宮本・藤沢の順である。山車の型は小田原型といわれている |
西湘地区に多い大唐破風屋根の屋台型で下層の囃子台には格子が回っていて、 |
上層の高欄の上は紙製の唐破風屋根が乗る。外装は塗で彫刻は彩色してあった。 |
山車というのはこの屋台状の台車の真中に1本の柱を立て万度付の笠鉾を付ける。 |
4台の山車は形状がほとんど同じで遠くからだと見分けにくい。 |
12:45赤神輿・白神輿2基の神輿が御霊遷しを行って急な石段を下りてくる。石段下に |
並んだ4台の山車が「五所宮ばやし」で出迎える。この時の曲が吉原の「宮太鼓」に |
そっくりで、当地では「しゃぎり」というらしい。また、宮出しした2基の神輿は分かれて |
近い町内を渡御するものと、遠方を渡御する神輿は現地まで軽トラックに載せて行く |
ようである。この送り出す時に山車で演奏していた囃子が吉原の「オダワラ」によく似て |
いて、氏子の方に聞いたところ「小田原ばやし」という曲目らしい。 |
やがて16:00過ぎには4台の山車は中村川沿いのお旅所まで曳かれてくる。わずか |
150mの距離だ。お旅所では忌竹で結界が作られ舟形の舞台が設置されていた。 |
16:302基の神輿は渡御から戻り、お旅所に入ってくる。結界の中に置かれた神輿の |
それぞれ扉を開き供物を上げて、舞台の上で舞を奉納する。関東では3ヶ所しか |
行われないという「鷺の舞」。続いて龍の舞と獅子の舞、1時間ほどの神幸祭が終わり |
やがてあたりも暗くなり、提灯に明かりを灯した神輿を担いで「川入り」が行われるよう |
だが、時間の都合で最後まで見学できずに帰途につく。 |
「五所宮ばやし」が吉原祇園祭の囃子に、確かに似ていることを確認できたこと、 |
小田原型といわれる山車の形状を確認できたことは大変な収穫となった。ただ、 |
資料もなく4台の山車制作についての詳細が不明なことが残念で今後の調査課題と |
なるだろう。 |
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