熱海こがし祭り
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| 撮影日 2012, 7, 15 | ||
| 1 神社 |
| 神社名 来宮神社 |
| 所在地 静岡県熱海市西山町43−1 |
| 創建 伝 和銅3年(710) |
| 社格 旧 村社 |
| 祭神 大己貴命(オオナムチノミコト) 五十猛命(イソタケルノミコト) |
| 日本武尊(ヤマトタケルノミコト) |
| 神紋 旧 村社 |
| 由緒 3千有余年前、大己貴命が国を治めるため出雲国から海を渡り |
| 伊豆国に上陸したのがこの地で居を構えられたと伝えられている。 |
| その後和銅3年漁師の網に神像がかかり、麦こがしを供えて祀った |
| ところ五十猛命があらわれて神託があり、現在地に木の根を |
| ご神体にして遷座したという。 |
| 2 祭典日程 |
| 7月14日・15日・16日 |
| 訪問日 2012, 7, 15(日) |
| 【第一日目】 宵宮祭 |
| 【第二日目】 例大祭 神輿渡御 鹿島踊り 神女神楽 浦安の舞 神幸祭 |
| 山車曳き回し 山車コンクール |
| 【第三日目】 神幸祭 鹿島踊り 神女神楽 浦安の舞 獅子舞 還幸祭 |
| 御鳳輦浜降り 山車曳き回し 山車コンクール |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 山車・踊り屋台 |
| 台数 全16台(山車2・屋台14) |
| 型 江戸型単層人形山車・単層唐破風2層屋台(下層=運転席) |
| 方向転換 ハンドル(運転席) |
| 人形 有(1台) |
| 囃子 太鼓・笛・鉦 |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 上和田町 大唐破風造屋台 |
| 銀座町 切妻破風造屋台 |
| 小嵐町 大唐破風造屋台 |
| 咲見町 江戸型人形山車(人形=神武天皇) |
| 清水町 大唐破風造屋台 |
| 下天神町 大唐破風造屋台 |
| 新宿町 大唐破風造屋台 |
| 田原本町 大唐破風造屋台 |
| 天神町 大唐破風造屋台 |
| 錦町 大唐破風造屋台 |
| 東町 大唐破風造屋台 |
| 東田原町 大唐破風造屋台 |
| 福道町 大唐破風造屋台 |
| 本町 大唐破風造屋台 |
| 水口町 江戸型単層山車 |
| 和田浜南町 唐破風造船形屋台 |
| 5 所感 熱海は日本有数の温泉、観光地である。東側に相模湾を望む急傾斜の狭い地区で |
| ある。人出を予想し、また道路も狭いところが多いため車での乗り入れは止めて、 |
| 電車で熱海駅まで行き歩き回ることにした。 |
| 来宮神社の例大祭に曳き出される山車は夕方5時ころから各町内を出発し2ヶ所の |
| 集合場所に整列する。6時半より開催される山車コンクールに参加するためだ。 |
| 例大祭は拝殿での神事、神幸祭、鳳輦の浜降り等々厳かに行われるようだが、見学の |
| 目的とした山車調査のため撮影はできなかった。 |
| 朝10時に熱海駅に降り立ち、まず海岸に下る途中にある市立図書館に立ち寄って |
| みる。「熱海こがし祭り」や来宮神社の詳細については概略を把握したものの、山車の |
| 詳細について資料を探すためである。しかし、残念ながらこがし祭りや山車に関する |
| 資料は少ない。 |
| かなりの急斜面はわかっていたが、普段歩いて動き回ることのなかった熱海の街を |
| 下っていくと、各会所を回り置かれた山車を撮影して歩く大変さを痛切に感じる。 |
| 図書館を出た後、南下して清水町から天神町に入る。なにしろ各町内の会所の位置 |
| がわからないから、とりあえず行ってみて探し回るか町内の人に訊くしかない。 |
| 清水町を探しているうちに町内神輿の声が聞こえてきて行ってみると天神町。 |
| ホテル前の山車置場に天神町の山車が置かれていた。なかなかの彫刻もついている。 |
| ひとまわり写真に収めていると、1人の女性が声をかけてきた。彫刻細部について |
| いろいろと説明していただけて、屋台内部にある墨書までお願いして読んでもらう。 |
| 制作年昭和28年、大工渡辺和一、彫刻師森田東光。森田東光師は常州後藤流の |
| 後藤桂林に師事し沼津在住の梶山桂仙師と同門である。また、桂仙師の四男桂成師 |
| も森田門下で修業したということだ。 |
| 今回歩き回って調べたわずかな聞き取り調査でわかったことは、やはり熱海は伊東 |
| 在住の森田東光師の手による彫刻山車が中心のようである。彫刻山車16台の内 |
| わかっただけでも4台あった。制作年は昭和20年代後半から30年代中頃である。 |
| 最初の天神町である程度の感触をつかめ、坂を下って西側の和田浜南町に向かう。 |
| ここもホテルの駐車場に置かれた屋台が見えた。龍頭の付いた単層船形の屋台で |
| ある。町内の青年たちが屋台飾り付けの最中であった。お願いして邪魔にならない |
| ように撮影して回る。一風変わった屋台は長崎を思わせるような気がしたが、やはり |
| 熱海という土地で、祀られている大己貴命が海を渡ってこの地に上陸したことから |
| なのだろうか。和田浜南町の屋台も設計・彫刻森田東光と墨書が貼ってあった。 |
| のんびりと撮影していたら、わずか2ヶ所で昼近くになってしまった。海岸線から |
| 山車コンクールの本部のあるサンビーチに向かい、資料が配布、販売されていないか |
| 確認に行ったがまだ本部席には誰もおらず、夜のパレードだと改めて確認する。 |
| 昼食をはさんで3〜4ヶ所撮影できたが、3時頃の休憩に立ち寄った喫茶店で訊いて |
| みた所いくつかの情報を得ることができた。 |
| 山車撮影ならコンクール前にこの店の前ともう1本東の通りに5時から並ぶとのこと。 |
| この時、朝から坂を何度も上ったり下ったりしなくてもよかったことを思い知らされた。 |
| でも、地元の方の話、屋台内部の墨書の確認等得るものも大きかったのである。 |
| 結局、6時半になりコンクールのパレードは始まった。7月とはいえどあたりはうす暗く |
| 屋台も電飾されている。熱海こがし祭り山車コンクール参加は32台あって、その内 |
| 半分の16台が装飾山車といって、いわゆるカーニバル風の飾りの車両。16台は |
| 彫刻山車でもほとんどが戦後に制作された新しいような屋台である。 |
| 熱海という土地、この急傾斜の土地で山車をどのように曳くのだろうか、非常に興味 |
| をもって見てきたが、せいご台の部分床下が運転席になってハンドル・ブレーキの |
| ついている屋台がほとんど。確かにこのような坂道で狭いところでは梶棒やジャッキは |
| 使えないだろうと思う。 |
| 1日だけの見学で撮影した山車も中途半端なものになってしまった。16台中9台は |
| しっかりと各部位まで収めたが、4台は夜間曳行中のみ、また3台は撮影もできな |
| かった。 |
| 電飾された屋台の前で数基の神輿の渡御と先導する猿田彦が「麦こがし」を撒き |
| ながら行く姿も印象的であった。 |