静岡浅間神社廿日会祭
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| 撮影日 2013, 4, 5 ・ 2016, 4, 5 | ||
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| 1 神社 |
| 神社名 静岡浅間神社(神部神社 浅間神社 大歳御祖神社) |
| 所在地 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102−1 |
| 創建 延喜元年(901) |
| 社格 国幣小社 |
| 祭神 神部神社 大己貴命(オオナムチノミコト) |
| 浅間神社 木之花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) |
| 大歳御祖神社 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト) |
| 神紋 神部神社 輪宝 |
| 浅間神社 棕櫚葉 |
| 大歳御祖神社 立葵 |
| 由緒 神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の3社を総称して静岡浅間神社と |
| 言っている。 |
| 神部神社は第10代崇神天皇の御代、約2100年前に駿河開拓の祖神 |
| 駿河の国魂の大神として鎮座し延喜式内社であり、平安時代には駿河国 |
| 総社となる。 |
| 浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より |
| 分祀され、以来富士新宮として国司より尊崇される。 |
| 大歳御祖神社は応神天皇4年(273)、今から1700年ほど前に、古代 |
| この地方のしょうぎょうの中心地であった「安倍の市」の守護神として |
| 創祀され、延喜式内社であり、静岡の地主神である。 |
| 3社共朝廷、国司・武将の崇敬すこぶる篤く、駿河国総社・静岡の総氏神 |
| として広く信仰されている。 |
| 2 祭典日程 |
| 4月1日・2日・3日・4日・5日 |
| 訪問日 2013, 4, 5(金) ・ 2016, 4, 5(火) |
| 【第一日目】 午前 廿日会祭初日祭 (舞殿 吟剣詩舞奉納) |
| 酒造安全繁栄祈願祭 |
| 【第二日目】 午前 商工業安全繁栄祈願祭 茶業安全繁栄祈願祭 |
| 午後 春季神衣祭 (舞殿 奉納太鼓) 本社神輿渡御 |
| 【第三日目】 午前 神武天皇祭遥拝式 醸造安全繁栄祈願祭 |
| 午後 稚児無事成長祈願祭 (稚児行列) 浅間神輿渡御 昇祭 |
| 【第四日目】 午後 降祭 |
| 【第五日目】 午前 古式稚児小梳神社参拝 古式稚児行列 |
| 午後 山車曳揃え 神部神社・浅間神社例祭 大歳御祖神社例祭 |
| 稚児舞楽 本部・当番町踟曳行 |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 山車・屋台 |
| 台数 全6台(2013年は山車3台 屋台1台巡行・2016年は山車5台巡行) |
| 型 江戸型3層勾欄人形山車・唐破風付単層舞台屋台 |
| 方向転換 前輪自在式据輪構造 |
| 人形 有 |
| 囃子 太鼓・笛・鉦・踊り |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 三番町地区踟(咲耶車) 江戸型3層勾欄人形山車(人形=木花咲耶姫命) |
| 駿府本部踟(神武車) 江戸型3層勾欄人形山車(人形=神武天皇) |
| 本部伝馬踟(暫車) 江戸型3層勾欄人形山車(人形=鎌倉権五郎景政) |
| 若駒会屋台 大唐破風造屋台(人形なし) |
| ※ 2013年出場せず |
| 青葉中商連踟(木花車) 江戸型3層勾欄人形山車(人形=木花咲耶姫命) |
| 駿河踟(稲荷車) 江戸型3層勾欄人形山車(人形=稲荷神) |
| 5 所感 |
| 廿日会祭の由来から調べてみると、今川時代以前に旧暦二月二十日のお会式で |
| 俗に「廿日会」と呼ばれるようになる。明治維新の神仏分離令によって正式名称も |
| 「廿日会祭」と決まり、祭日も明治27年以降新暦の4月1日より4月5日までとなった。 |
| 元々廿日会祭の基本は稚児舞楽であり、慶長18年(1613)2月に徳川家康が |
| 安倍川の西岸にある建穂寺に桜見物に行った折、稚児の舞を見て感激し浅間の |
| 祭りにも行えと言ったことから始まった。 |
| 建穂寺は浅間神社の別当寺でもあって、建穂寺から稚児を輿で迎え浅間神社にて |
| 舞を奉納させていたのである。それが新暦の4月に町衆が屋台を出し踟物を作って |
| 安倍川の東岸に稚児を迎え浅間神社まで巡行していたことから、現在では隔年に |
| 小梳神社と別雷神社より浅間神社まで稚児行列が繰り広げられることになった。 |
| 明治から大正にかけて稚児迎えの踟は各町内を4組に分け、それぞれの組から |
| 2町内から5町内くらいの当番町が出て本踟の山車・踊り屋台・地踊りなどしながら |
| 稚児の輿に従ったようである。やがて戦時中の中止期間を過ぎ、昭和27年から |
| 再開された祭りは過去を踏襲し新しい町内を4組に分け、当番町が祭りの踟に |
| あたった。しかし時代と共にだんだん先細りとなってついに昭和46年からは出なく |
| なってしまったのである。伝統の存続ということの難しさが顕著な事例ではあるが |
| 一抹の寂しさを覚えるものだ。 |
| 現在の「廿日会祭」といえば、地元の小学生を輿に乗せ隔年で小梳神社と別雷神社に |
| 参り浅間神社まで神官を先頭に幟・太鼓・木遣り・手古舞・山車を従えての古式稚児 |
| 行列を行っている。 |
| 平成25年見学した時には、当番町(当番踟)が三番町地区踟の咲耶車であった。 |
| 後に続く山車は駿府本部踟(神武車)と本部伝馬踟(暫車)の2台。形状はまさに |
| 江戸型山車の典型で3層勾欄人形山車で鉾台部分は艶やかな四方幕と見送り幕で |
| 包まれている。残念ながら毎年3台の山車だけが出場するそうで、浅間神社境内の |
| 山車庫に行ってみると今年出場しなかった2台の山車が(稲荷車・木花車)雑然と |
| 置かれていた。人形は衣装もなく2層目の鉾台もはずされて積まれている。何か |
| 祭礼道具といえばそれまでだが、もう少し文化としての取り扱いを考えるべきでは |
| ないだろうか。 |