秩 父 夜 祭
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| 撮影日 2010, 12, 3 | ||
| 1 神社 |
| 神社名 秩父神社 |
| 所在地 埼玉県秩父市番場町1−1 |
| 創建 崇神天皇10年(紀元前87) |
| 社格 旧 国幣小社 |
| 祭神 八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト) |
| 知知夫彦命(チチブヒコノミコト) |
| 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ) |
| 神紋 銀杏 十六菊 |
| 由緒 第10代崇神天皇の御代に八意思兼命を祖とする知知夫彦命が |
| 知知夫国の初代国造に任命されて大神を祀ったことに始まるとされて |
| おり、武蔵国成立以前から栄えた知知夫国の総鎮守として現在に |
| 至っている。元慶2年(878)には神階正四位下に進み、延喜式にも |
| 掲載されるなど関東でも屈指の古社の一つに数えられている。中世 |
| 以降は秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し長く妙見宮として隆盛を |
| 極めたが、明治の神仏分離令によって秩父神社の名に帰した。 |
| 2 祭典日程 |
| 12月2日・3日・4日 (秩父神社例祭は12月2日・3日) |
| 訪問日 2010, 12, 3(金) 4(土) |
| 【第一日目】(宵宮) 午後 屋台曳き回し 屋台曳き踊り 花火打ち上げ |
| 【第二日目】(大祭) 午前 笠鉾・屋台曳き回し 屋台曳き踊り 屋台芝居 |
| 午後 笠鉾・屋台曳き回し 屋台曳き踊り 歌舞伎道中 |
| 花火打ち上げ |
| 【第三日目】 本町屋台飾り置き 神楽・獅子舞の奉納 |
| 3 山車・屋台 |
| 種類 笠鉾・踊り屋台 |
| 台数 全6台(笠鉾2・屋台4) |
| 型 屋台笠鉾(四つ棟・単層重層唐破風・但し現在花笠ははずす) |
| 単層唐破風屋台(登勾欄付2・張出舞台付) |
| 方向転換 4輪 ぎり回し(梃子棒)・ジャッキ(キリン) |
| 人形 無 |
| 囃子 太鼓・笛・鉦 (三味線・長唄・曳き踊り) |
| 4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
| 中近 四つ棟単層唐破風屋台笠鉾 |
| 下郷 四つ棟重層唐破風屋台笠鉾 |
| 宮地 大唐破風造屋台(廻り舞台・左右張出舞台付) |
| 上町 唐破風造四つ棟屋台(登勾欄・廻り舞台・左右張出舞台付) |
| 中町 大唐破風造屋台(登勾欄・廻り舞台・左右張出舞台付) |
| 本町 大唐破風造屋台(廻り舞台・左右張出舞台付) |
| 5 所感 「秩父夜祭」というと以前からテレビで見たり、資料を読んだりしてあこがれていた祭り |
| である。夜空に上がる花火を背景に幻想的に浮かび上がる屋台の明かりに是非一度 |
| 見学したいと思っていた。 |
| ガイドブックにある見どころはいくつかあるが、豪華絢爛たる屋台・笠鉾、だんご坂の |
| 曳きあげ、花火、屋台芝居、神楽と楽しめるポイントの中で、私の注目したものは2つ |
| ある。それは「ぎり回し」と「御神幸行列」であった。 |
| 秩父夜祭の歴史は相当に古く、寛文年間(1661〜1672)に始まったという伝承がある。 |
| これは寛政の改革で屋台行事が華美に過ぎるということで禁止された時代に、許可を |
| 願い出ていたという文書が残る。しかし、付祭りとして残る史料としては享保年間 |
| (1716〜1735)に始まったとされる関根家文書があり、いずれにしても約300年という |
| 歴史を持つ祭りである。 |
| 秩父神社(額の字は知知夫神社)の例大祭は毎年12月3日に行われる。元々は地の |
| 神「秩父神」を祀っているものだが、鎌倉時代になって妙見信仰が入り込み、妙見菩薩 |
| を合祀した。そして、神体山(武甲山)の龍神(蛇神)に会いに御旅所に出向くという。 |
| 本祭の12月3日夜7時に秩父神社を出発した御神幸行列は200人以上にもなるという |
| 大行列であった。先頭は神の依代である大榊、次に道案内の猿田彦、宮地高張に |
| 日月万燈が続き、太鼓・笛の楽隊の後に幟と妙見様の化粧箱を持った女性が続く。 |
| さらに氏子町内のおびただしい数の高張提灯、供物を担いだ氏子達がもう何十人と |
| 続いていくのである。やっとその後に御神饌、大幣束に神輿がやってくる。神を乗せた |
| 重厚な鳳輦はかなり重そうで30人近くの神官に担がれている。そして、秩父神社の |
| 神主・神官がいて、氏子総代、町内役員等が続く。間に高張が4本入ってしんがりに |
| 2頭の神馬。御幣を背に立てて馬子に曳かれて静かに通っていく。ものすごい数の |
| 見物人に何事もないように、道の両側をロープを張ったガードマンが馬の歩行に |
| 合わせて一緒に歩いていく。 |
| しばらくしてから笠鉾・屋台がやってくる。最初は中近笠鉾そして下郷笠鉾が来て、 |
| 次に宮地・上町・中町・本町の4台の屋台。遠く闇の中からぼーっと揺らめく提灯の |
| 明かりと共に威勢の良い曳き手の声が近づいてくる。やがて1台が通り過ぎ、羊山 |
| 公園で打ち上げられている花火をバックに行列に続くさまは何とも言えない厳かな |
| 雰囲気を醸し出している。 |
| さて、屋台となると昼間に6台の笠鉾・屋台の各部はしっかりと撮影ができた。 |
| 「動く陽明門」とも言われた中近笠鉾。交通事情により笠鉾は今では笠の部分を |
| はずして曳行しているが、装着すると15m程になるという。八つ棟の屋根に高く |
| 幣束を付けた榊を立てて行く様子は堂々たる風情で見る者は圧倒される。総体 |
| 黒漆塗、登勾欄付で彫刻は極彩色になっている。また、もう1台の笠鉾、下郷笠鉾 |
| はその姿、この地方で最大の山車である。普段の高さ7mで、笠を付けると15・5m |
| 重さは20tにもなるという。勾欄下腰支輪こそ彩色されているが、総体が白木造で |
| 4000枚もの飾り金具が神々しさを演出しているものである。 |
| 屋台4台はほとんど同じ大きさ形をしているが、微妙な違いも見受けられる。上町の |
| 四つ棟造、上町・中町の登勾欄とそれぞれの特徴も見えていて、屋台芝居の時には |
| 両袖に張出舞台を取り付けて勾欄を下げたりもする。上町の屋台だけは方向転換 |
| の時に、キリンといわれるジャッキを使うが、他の5台は「ぎり」と呼ばれる凸状の |
| 木製台を使って屋台を回している。この「ぎり回し」というのに非常に興味を持った。 |
| 屋台は曲がり角に来ると、まず車輪に車止めをあてがい屋台が動かないようにする。 |
| そして、後部の下に3〜4mの梃子棒を2本あてて台を支点に、てこの要領で屋台を |
| 持ち上げる。持ち上げるといっても、10t以上もある屋台であるから、何十人もの |
| 人が梃子棒にしがみつく。そして屋台の後部が浮いた状態にして屋台の底の凹部 |
| (ぎり受け)に凸状の「ぎり」をはめ込む。次に押し下げていた2本の梃子棒を戻し |
| 屋台を下す。すると「ぎり」の1点で屋台は支えられ動かしやすい状態になり、数十人 |
| で屋台の向きを変えるのである。回し終わったら、同じように梃子棒をあてがい、 |
| 屋台を浮かせ「ぎり」をはずす。こういった一連の作業は古い時代から受け継がれ |
| てきたものだが、その発想と実行力に敬意を表するものである。 |
| 山車・屋台のこういう方向転換の方法は全国各地異なった方法で行われているが、 |
| それぞれが理にかなった方法で行われており非常に興味深いものである。 |
| 最後に、いい祭りは何度見に行ってもいい。おそらく行くたびごとに新しい自分独自の |
| 見どころを発見できるに違いない。そんな感想が残る「秩父夜祭」であった。 |