富士宮秋まつり
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撮影日 2010, 11, 3 ・ 2012, 11, 3〜4 |
1 神社 |
神社名 富士山本宮浅間大社 |
所在地 静岡県富士宮市宮町1−1 |
創建 伝 垂仁天皇3年(紀元前27年) |
社格 旧 官幣大社 駿河國一之宮 |
祭神 木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト) |
神紋 棕櫚団扇 |
由緒 孝霊天皇の御代に富士山が噴火し国内が荒れ果てたので、第11代 |
垂仁天皇の御代に、富士の神霊を山麓の地に鎮祭した。これが |
浅間大社の創祇である。後に日本武尊の東征の際、山宮の地に |
この神霊(浅間大神)を祀り、また大同元年(806)坂上田村麻呂が |
勅命により山宮から現在地の大宮の地に遷し奉った。以来、全国 |
一千三百余社におよぶ浅間神社の総本社として篤い崇敬を集める |
東海最古の名社である。 |
2 祭典日程 |
11月3日・4日・5日 |
訪問日 2010, 11, 3(水) ・ 2012, 11, 3(土)〜4(日) |
【第一日目】 午前 宮参り 例祭前日祭 各区山車・屋台曳き回し、競り合い |
午後 各区山車・屋台曳き回し、競り合い 宵宮 |
【第二日目】 午前 例祭本祭 浦安の舞 各区山車・屋台曳き回し、競り合い |
午後 各区山車・屋台曳き回し、競り合い |
本宮 一斉囃子 共同踊り 競り合い |
【第三日目】 午前 例祭後日祭 各区山車・屋台曳き回し、競り合い |
午後 各区山車・屋台曳き回し、競り合い |
3 山車・屋台 |
種類 山車・踊り屋台 |
台数 全20台(山車16・屋台4) |
型 川越型唐破風付3層勾欄人形山車 |
江戸型3層勾欄人形山車 |
唐破風大屋根舞台屋台 |
方向転換 4輪・3輪 梃子棒・ジャッキ |
人形 有(2層目鉾・人形台迫り出し) |
囃子 太鼓・笛・鉦・手踊り |
4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
湧玉 琴平 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=天狗) |
咲花組 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=神武天皇) |
磐穂 木の花連 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=木花之佐久夜毘売命) |
湧玉 松山組 江戸型3層勾欄人形山車(3輪・人形=日本武尊) |
湧玉 貴船 大唐破風造屋台 |
湧玉 二の宮 3層勾欄山車(前後共唐破風付・人形なし) |
磐穂 阿幸地 大唐破風造屋台 |
湧玉 神立 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=加藤清正) |
湧玉 神賀 大唐破風造屋台 |
磐穂 神田組 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=猿田彦命) |
磐穂 常磐連 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=素戔嗚尊) |
磐穂 城山組 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=坂上田村麻呂) |
湧玉 大中里 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=牛若丸) |
湧玉 高嶺組 大唐破風造屋台 |
磐穂 浅間連 二重屋根唐破風造屋台(前部唐破風後部切妻破風・人形なし) |
磐穂 瑞穂組 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=米俵) |
湧玉 宮本 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=諫鼓鶏) |
磐穂 大和連 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=源頼朝) |
湧玉 福地立組 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=鍾馗) |
湧玉 羽衣 川越型唐破風付3層勾欄人形山車(人形=天女) |
5 所感 富士宮は言わずと知れた富士山本宮浅間大社の門前町である。富士山をご神体と |
して木花之佐久夜毘売命を祀り、駿河國一之宮として、また全国浅間神社の総本社 |
として、その門前町富士宮は大いに発展してきた。 |
11月3日から5日は、浅間大社の例大祭として氏子町内20組が山車・屋台を曳き |
回し収穫と1年の無事を感謝し祭りを祝う。 |
歴史的には残された史料によると、大社の例祭の付け祭りとして山車・屋台を繰り |
出したことがわかるもので、時期としては万延元年(1860)である。ただ最近見つかった |
「咲花」の祭典通帳からすると天保3年(1832)にはすでに祭典が行われていたようで |
ある。祭典の形態は不明ではあるが、どういう形のものかは別として江戸時代後期に |
富士宮には屋台(屋臺)・山車(ダシ)があったということは事実のようだ。 |
富士宮秋まつりは、このような起源から明治、大正、昭和、平成と4代の間に大火や |
大戦で中断を余儀なくされたり、祭り自体の衰退期があったりしたものの、その都度 |
有志の尽力により今日のように立派な祭りに成長してきた。 |
祭典初日は11月3日朝9時に各町内の氏子代表が浅間大社拝殿前に集まり |
「宮まいり」から始まる。これは祭りの無事と成功を祈願して全町内が集結して参拝 |
するわけだが、この時は山車は曳いて来ずに枠にはめた太鼓だけ持参し笛・鉦と |
共に囃子を奉納する。そして終了後各町内に帰り、いよいよ祭典が始まるのである。 |
2010年には「宮まいり」の見学と一部の山車の撮影だけだったので、2年後に再度 |
今度はしっかりと山車・屋台の撮影にかかる。 |
現存する富士宮の山車は「松山組」の三輪山車が最も古く、制作年が不明であるが、 |
明治44年に沼津の根古屋から購入したものだという。一説によると囃子も根古屋の |
今では沢田囃子として伝わる囃子が元になっているともきく。そして、大正4年と昭和 |
3年に制作された山車はそれぞれ天皇の御大典奉祝に合わせて造られたものだろう。 |
その後は戦後の復興から参加町内も増え、最新の山車は平成19年の「二の宮」と |
新旧さまざまな山車・屋台が20台存在する。 |
山車の形では20台中14台が川越型唐破風付2層鉾台で上層と人形の迫り上げで |
鉾台の行灯部は四方幕・見送り幕で覆う。 |
昔の写真ではっきりとはしないが、大正4年の「宮本」「神立」「羽衣」を見ても後部に |
2層の鉾台が付いた江戸型のように見える。しかし昭和の初期の写真からは囃子台 |
に唐破風屋根が見え、2層伸びた鉾台上に人形が載った「川越型」になっている。 |
この時点でこの山車形態がどのように伝わってきたか不明ではあるが、近年やはり |
氏子青年達は川越に見学に行って、山車をはじめ祭りの形態も勉強して取り入れて |
いると聞いている。 |
制作者については2〜3不明なものもあり、古くは町内有志の手で作られたものも |
あるだろう。また彫刻師については、はっきりわかっているものは約半分である。 |
板倉聖峯・坪井正、由紀雄親子・塩川勇・三浦正志・・・それぞれ名彫刻師の手に |
よって飾られた山車は囃子の音とともに祭りを盛り上げるに十分な効果を発揮する。 |
ただ残念なことに人形や幕の制作者についての調査を行っておらず、今後隣町の |
すばらしい祭りを追っていく課題として自分に課さねばならない。 |
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