都留市 八朔祭
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撮影日 2010, 9, 1 |
1 神社 |
神社名 生出神社 |
所在地 山梨県都留市四日市場1066 |
創建 大宝3年(713) |
社格 旧 郷社 |
祭神 建御名方命(タケミナカタノミコト) |
神紋 梶の葉 |
由緒 文武天皇の御代、老翁の言に従い生出山の峰に夜光る昇龍の模様の |
ある小石を神宝として諏訪明神を勧請した。延長7年(929)現在地に |
遷宮。武田信満、小山田信有、鳥居成次など武将の尊崇を得る。 |
秋元富朝は「生出神社」と予祝し、嫡子の誕生を祈願した。本殿建立は |
棟札より明和5年(1768)で四周を飾る立川流彫刻は見事なものが |
ある。 |
2 祭典日程 |
9月1日(8月31日宵宮) |
訪問日 2010, 9, 1(水) |
【第一日目】 午後 屋台曳き回し 和太鼓 踊り 四日市場宮本神楽 |
大名行列 |
3 山車・屋台 |
種類 踊り屋台 |
台数 全4台 |
型 単層唐破風屋台 |
方向転換 4輪 ジャッキ 梶棒(前輪固定) |
人形 無 |
囃子 太鼓・笛・鉦・三味線 |
4 山車・屋台 詳細 → 詳細ページへ |
下町 大唐破風造屋台(前部=舞台・後部=楽屋) |
新町 大唐破風造屋台(前部=舞台・後部=楽屋) |
早馬町 大唐破風造屋台(前部=舞台・後部=楽屋) |
仲町 大唐破風造屋台(前部=舞台・後部=楽屋) |
5 所感 八朔というのは旧暦8月1日のことであり、現在の祭典期日は9月1日に行われている。 |
休日・平日関係なく期日が決まっているため、仕事も休暇を取って見学に行くことに |
した。都留市の情報によるとプログラムは屋台の曳き回しの他、谷村第一小学校の |
校庭で行われる催しが多いようだ。 |
会場周辺にはどうも駐車スペースがないように思われたので、富士急行線に乗って |
谷村町駅まで行く。車を置いた場所は富士吉田駅前に大きな駐車場があった。 |
10時に電車を降りると、いきなり駅前の通りに早馬町の屋台小屋。しかし、まずは |
例祭になっている生出神社を参拝する。参拝時には拝殿内で神事が行われていたが、 |
境内を拝殿横から本殿裏側に回ってみる。生出神社本殿は一間社入母屋造で |
軒唐破風付、幕で向拝はよく見えなかったが四周に彫られた彫刻がすばらしい。 |
由緒書から建立はかなり古く、現存している本堂が明和5年(1768)というから、もう |
242年も経っている。左右そして後部の胴羽目、脇障子には花鳥や牡丹に獅子の |
立川流彫刻で埋め尽くされていた。 |
生出神社から駅前に戻る。駅周辺が町の中心部である。午後2時から始まる第一 |
小学校の太鼓演技まで町内を曳き回されている屋台の撮影に行くことにした。 |
八朔祭の屋台は現在4台あり、最初に駅前の早馬町。11時にまだ屋台小屋の中に |
収められている。町内の方の姿が見えないがとりあえず見えている正面部分の撮影。 |
元々江戸時代後期より生出神社の神輿渡御に付祭りとして参加した屋台で、屋根は |
唐破風付平屋根で6本柱、黒塗のきれいな屋台である。早馬町は文化年間(1804〜 |
1817)に制作されたものと推定されるが、昭和の初期から使われず解体保存されて |
きた。平成の時代に入り、元年に補修復元されて再び日の目を見るようになった。 |
説明資料によると、サイズは梁間8尺(2.42m)桁行12尺(3.64m)で高さは |
13.8尺(4.18m)ある。4輪が内輪で前輪車軸に付けられた梶棒で転回操作を |
する。 |
早馬町を出て町中を散策していると、他3町内の屋台が収められた立派な屋台小屋 |
が見られた。これからの曳き回しのための準備で町内の人の出入りが激しい。 |
それぞれの周囲は撮れないが、それでも一部だけでも邪魔にならないように撮影 |
させてもらう。後は曳き出されてから休憩時置かれている時が撮影チャンス。 |
下町屋台。ここも文化年間の制作で幾度かの改修を重ねてきたようだが、昭和の |
初期から曳き出されなくなり解体保存されていた。これを早馬町に続き、平成4年 |
から修理平成7年3月に完成して再びの曳き回しとなった。曳き出されている中で、 |
休憩中に屋台下部の格子枠の中に大きなハンドルが見えた。これは、新しい方向 |
転換装置である。大きな輪のハンドルを回すと床下にジャッキが伸びて地表に達し |
車体を少し浮かせて屋台を回す。外観が古いタイプの屋台であるが、平成に入って |
復活した屋台は新しい機能を備えているのだ。 |
次に新町屋台。新町屋台は欄干にある墨書から制作年代がわかる貴重なもので、 |
文化9年7月(1812)に制作された後、昭和初期まで使われていて解体保存された。 |
復元は平成7年に修理に出し、平成10年3月に完成して現在に至る。方向転換は |
正面台輪の中央部に空けられた穴から車軸に付いた梶棒が出ていて操作する。 |
最後に仲町屋台。宝暦年間(1751〜1763)の推定制作年代と4台中1番古くから |
あったようだが、復元年は一番新しく平成12年から修理、平成14年3月完成で |
ある。ただし、文化13年3月(1816)に改修した記録が残る。 |
いずれも昭和時代の曳き回しの記録はないが、約200年も前の屋台がこの平成の |
時代になって、麗しい艶のある光沢を伴い復元されたことは大変に喜ばしいことで |
ある。屋台詳細は詳細ページに記載したが、ただあまり画像として捉えられなかった。 |
そして、夕方に繰り広げられる大名行列も八朔祭の華であるが、帰宅時間の関係上 |
やはり見ることができなかったことは大変残念であった。 |
また、江戸との交流が頻繁だったこの地、甲州街道から江戸神田の山車が八王子 |
を通して入ってきたものと考えてきた。しかし、どうも元から江戸型をとらずに舞台 |
屋台を貫き独自の祭り形式を作ってきたようだ。ひょっとするとこのルートから富士山 |
を回り吉原への伝播ということも考えたが無理があったようである。 |
曳き回しの撮影中に気になったことは、何曲か演奏されている囃子の中で「農兵節」 |
が聞かれたこと。三島との交流か、または農兵節の起源や広がりを調べなければ |
ならないか。 |
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