掛川大祭
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撮影日 2015, 10, 12 |
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アルバム |
1 神社 |
神社名 龍尾神社(たつおじんじゃ) |
所在地 静岡県掛川市下西郷84番地 |
創建 不詳 |
社格 旧村社 |
祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト) |
櫛稲田姫尊(クシナダヒメノミコト) |
八柱御子神(ヤハシラミコガミ) |
神紋 木瓜紋 |
由緒 古くは掛川の北小丘山に鎮座していたものを、永正年間(1504〜1521) |
に朝比奈備中守の城地になることから、今の地に遷座した。明治2年 |
(1869)牛頭天王社より龍尾神社に改める。明治40年(1907)1月12日 |
神饌幣帛料供進神社に指定推された。 |
神社名 神明宮(しんめいぐう) |
所在地 静岡県掛川市仁藤71番地 |
創建 不詳 |
社格 郷社 |
祭神 豊受大神(トヨウケオオカミ) |
神紋 左三つ巴紋 |
由緒 創建の年代は不詳だが、もとは掛川城中に鎮座していたものを築城に |
際し、奥村の鈴木家の祖先が所有地である現在地に移したとされて |
いるので、室町時代かそれ以上の由緒があると思われる。 |
現在の本殿は昭和9年に改築された神明造の社殿である。 |
神社名 利神社(としじんじゃ) |
所在地 静岡県掛川市下俣南1−18−8 |
創建 不詳 |
社格 旧郷社 |
祭神 大歳御祖神(オオトシミオヤカミ) |
神紋 不明 |
由緒 勧請年代は不詳だが、延喜式神名帳に記載された式内社である。 |
1000年以前からこの地に鎮座し由緒正しい神社で、戦前には |
郷社の社格であった。現在では下俣・十九首・小鷹町・中央二丁目・ |
中央三丁目・中央高町の氏神としてまつられている。 |
神社名 池辺神社(いけべじんじゃ) |
神社名 白山神社(はくさんじんじゃ) |
神社名 貴船神社(きぶねじんじゃ) |
神社名 津島神社(つしまじんじゃ) |
2 祭典日程 |
10月第2土・日・月曜日 (訪問日 2015, 10, 12) |
【龍尾神社】 第1日目 14:30宵祭の儀 |
第2日目 0:00御神輿入御の儀 8:30例大祭 10:00 神輿渡御 |
12:30お旅所神幸祭 17:40お旅所還幸祭 18:00還御 |
18:40龍尾神社還幸祭 19:30直会 |
第4日目 22:00御幣返還の儀 |
【神明宮】 第1日目 15:00前夜祭 式典(修祓 祝詞奏上 玉串拝礼 他) |
第3日目 9:00大祭 式典(修祓 祝詞奏上 浦安の舞 他) |
10:00余興(各町内余興の奉納) |
【利神社】 第1日目 11:00祭典神事 14:00当番町本殿にて浦安の舞奉納 |
神前にて青年による手踊り奉納 15:00神楽殿にて浦安の舞 |
【他4神社】 略 |
【余興】 第2日目 9:00獅子舞かんからまち 龍尾神社参拝 お旅所巡行 |
9:00奴道中 龍尾神社参拝 行列 |
屋台巡行 |
第3日目 9:00獅子舞かんからまち 奴道中 大獅子 巡行 |
屋台巡行 各ブロックお祭り広場にて余興 |
第4日目 9:00獅子舞かんからまち 奴道中 大獅子 巡行 |
屋台巡行 各ブロックお祭り広場にて余興 |
3 屋台 詳細 → 詳細ページへ (第10〜12ブロックは2015年公式ホームページによる) |
【第1ブロック】 |
新町(神明宮) 二輪高欄型人形山車(人形 義経千本桜) |
喜町(神明宮) 二輪高欄型人形山車(人形 三条小鍛冶) |
塩町(神明宮) 二輪高欄型人形山車(人形 浦島太郎) |
【第2ブロック】 |
旭町(神明宮) 二輪高欄型人形山車(人形 大獅子) |
神明町(神明宮) 二輪高欄型人形山車(人形 虎御前) |
仁藤町(神明宮) 二輪高欄型山車 |
道神町(神明宮) 屋台なし |
【第3ブロック】 |
松尾町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 藤娘) |
城内(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 桔梗の紋と鯱) |
北門(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 斉藤道三と濃姫) |
【第4ブロック】 |
大手町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 牛若と弁慶) |
連雀町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 吉原雀) |
肴町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 赤穂浪士) |
【第5ブロック】 |
栄町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 小獅子) |
紺屋町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 連獅子) |
研屋町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 と組) |
中央一丁目(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 扇) |
【第6ブロック】 |
緑町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 掛川城天守閣) |
中町(龍尾神社) 二輪高欄型三層山車 |
西町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 御神鏡) |
瓦町(龍尾神社) 屋台なし |
【第7ブロック】 |
十王(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 王将駒) |
下俣町(利神社) 二輪高欄型人形山車(人形 曽我兄弟) |
中央二丁目(利神社) 二輪高欄型人形山車(人形 茶娘) |
【第8ブロック】 |
十九首(利神社) 二輪高欄型人形山車(人形 神田祭) |
小鷹町(利神社) 二輪高欄型人形山車(人形 惣金獅子) |
中央三丁目(利神社) 二輪高欄型人形山車(人形 山内一豊と妻) |
中央高町(利神社) 屋台なし |
【第9ブロック】 |
下西郷(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 勧進帳) |
城北町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 掛川城天守閣) |
弥生町(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 一豊と千代) |
【第10ブロック】 |
二瀬川(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 木槍) |
城西(龍尾神社) 二輪高欄型人形山車(人形 越後獅子) |
七日町(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 奈乃加町太鼓) |
【第11ブロック】 |
鳥居町(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 明神鳥居) |
秋葉通り(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 鞍馬山) |
上屋敷(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 大獅子) |
秋葉路(池辺神社) 二輪高欄型人形山車(人形 秋葉の天狗) |
【第12ブロック】 |
橘町(白山神社) 二輪高欄型人形山車(人形 酒樽) |
末広町(津島神社) 二輪高欄型人形山車(人形 虎の絵の扇) |
長谷(貴船神社) 二輪高欄型人形山車(人形 水神の龍) |
4 所感 掛川の旧東海道を挟む城下町に3年に1度の掛川大祭を見学に行った。 |
中心部の神社は龍尾神社・神明宮・利神社で周辺部に池辺神社・白山神社・ |
津島神社・貴船神社と合わせて7社合同での盛大な祭典である。 |
日程も毎年の掛川祭より1日長い4日間。大祭の年には三大余興といわれている |
静岡県指定の無形文化財、「かんからまち」という獅子舞が瓦町によって演じられる。 |
また、仁藤町による「大獅子」と西町による「奴道中」と城下町の氏子町内を楽しませて |
いる。 |
もちろんその三大余興もすばらしいものではあるが、7社の氏子41町内の内で |
38町内の所有する屋台をできるだけ細部まで見てくることを第一の目的にした。 |
ただ日程的にどうしても1日しかとれず、最終日(第4日目)のみのため早朝から |
駆けつけて屋台置場を訪問して見学撮影しようとした。 |
しかし掛川駅到着が8時半になってしまったので、あわてて駅前の栄町から回りだすも |
3ヶ所回った時にはもう各町内で町内巡行に出始めてしまっていた。 |
神明宮と龍尾神社に行ってみる。神事が済んでいる境内は閑散としたものだ。 |
さて、38台すべての屋台を1日で見て回るのは至難なことで、できるだけ中心部3社 |
を優先して撮影する順路の計画をたててみた。龍尾神社が北の端の方なので |
掛川城南側のお祭り広場に向かって南下、中心部から西の利神社氏子町内に向かい |
歩を急ぐ。途中で巡行中の屋台に出会うたびに、とりあえず屋台の四周と彫刻細部 |
山車人形を撮っておく。後で休憩中の屋台に会えばじっくりと撮影できるが、何しろ |
最大限38台なので動いている時でも贅沢は言っていられない。 |
8時半から回りだして休憩する余裕もなく12時半から始まる「かんからまち」のお祭り |
広場での演技に向かう。260年前から続く3匹の「獅子舞」の演技を、ごったがえして |
いる本部前で人の頭の上から何とか見ることができた。 |
演技が終わると12時50分。中心部である連雀西から中町交差点で数台の屋台が |
休憩している所に出会う。ここでかなりな台数を稼ぐことができたが、ここでチェック。 |
まだ23台だった。38台全部はどうも無理のようだ。周辺部4神社の屋台は地元町内 |
巡行だけでどうやら城下まで来ないようである。しかたなくせめて3神社分29台は |
見学したいものである。 |
14時半疲れ切った足を引きずるように昼食をとりに入る。15時25分開始予定の |
「大獅子」がお祭り広場での演技が始まるまでの間である。仁藤町町内を通っている |
所はやや遠くで見ることができたが、会場での演技をぜひ見たいと思った。 |
残念ながら「奴道中」は広場での演技が昨日のため見ることはできなかった。 |
このように1日ほとんど祭典会場になっている市街地(交通規制でほとんどが歩行者 |
天国の状態)を歩き回り、28台の屋台を撮影した。 |
二輪高欄型人形山車。御所車型とも言われている。残り10台を実見できなかったが、 |
すべて同じ形をしている。ただ中町だけは二輪高欄型でも特殊で昔の名残のある |
朝顔形の付いた屋根部分、3階建の屋台であった。最古のものは喜町の屋台で |
嘉永2年(1849)に京都から購入したものであるので、正確な制作年は不明だが |
170年は経っているもの。山車人形は森町の亀八人形と掛川の松白堂が制作した |
人形が多い。また彫刻は掛川という地域は屋台や囃子もそうだが東方(江戸)と |
西方(京都)の双方から文化が流入している所で、江戸彫工の一つの流れである |
諏訪立川流の系統と遠州・三河・名古屋の彫刻師の手によるものが多い。 |
その彫刻も見るべき作品が多いのだが、地元にその説明資料がなかった。 |
屋台中心に祭りを見てきたわけであるが、囃子の曲調といい長唄で地踊りを踊る |
巡行は藤枝もそうであったが、激しい江戸型の山車祭りを多く見てきた私には |
ゆっくりと祭りを楽しめたら違った感動を得られたかもしれない。 |
( ※屋台は人形山車であるが、掛川では屋台と呼んでいるようである。) |
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