静岡には「東海道」という日本における大動脈が通っています。 現代の東海道は江戸幕府が成立した17世紀初頭の近世東海道を基に、国道1号線がその時代時代によってより便利なように改善され現在に至っています。 交通としての「東海道」は東名高速道路や近く開通される第二東名(新東名)をはじめ、一般国道・県道・市道等のいわゆる道路をはじめ、東海道新幹線・東海道線としての鉄道など当初では考えられないほどの開発を繰り返し作られてまいりました。 スピードを競う現代ゆえ、普段自動車や電車に乗っていては気づかない街道の風景、昔ながらの情緒をとかく忘れがちになります。 ここに静岡東部地区を通る「みち」をご紹介したいと思います。何年間かにわたり、のんびりと古道歩きを楽しんだ記録であります。 まずは17世紀の近世東海道として、県境の箱根峠から京都方面に江戸五街道時代の宿場を辿り江尻(清水)まで数回に分けて旅をしました。 東海道はそれ以前の街道として、鎌倉古道というものが“いざ、鎌倉”の時代にここ静岡にも残っています。箱根西坂には近年三島市教育委員会のご尽力で平安鎌倉古道としてルートが再整備されました。そして、三島市内と古代の沼津から駿河湾の砂嘴として田子の浦まで千本松原の中に伸びていた古道があります。 また、古代より吉原〜沼津にかけて広がっていた浮島沼の北辺を根方街道が三島から吉原まで愛鷹山麓を通っておりました。街道の南側は広大な沼地であったため、当然現代にも残っている社寺もその北側の山裾に建立されています。 この根方みちの沼津から北方に伸びているのが足柄古道です。丹那トンネル開通前の東海道線が走っていた現在の御殿場線に沿うように御殿場まで通っており、そこからは小山(竹之下)から足柄峠を越えて小田原に向かう古道です。 さらに御殿場から富士山と愛鷹山の間を通り、吉原に下ってくる十里木街道がありました。これは現在国道469号線になっているのでしょうか、自衛隊の板妻基地や東富士演習場を通過して十里木の峠までかなり登ってきます。峠からはこれも一気に吉原の町に下っていくことになり、当時の歩行では箱根に劣らないほどの苦難の道中と思われます。 吉原宿からは西木戸から北へ富知六所浅間神社の脇を登っていく修験道がありました。富士南麓にある行者の基地とでもいうべき村山浅間神社まで通っておりました。上方からの富士入山は富士川の水神から岩本山の裾を通り、大宮の浅間大社を詣で村山浅間に登っていきましたが、江戸からの富士講の登山は主に山梨県側からだったようです。吉原からの村山古道の通行量はどうだったのかよくわかりませんが、田子の浦の海水で身を清め、この西木戸から村山に向かったのは事実のようです。 また、富士宮(大宮)から身延までの身延みちと東海道興津宿から富士川を遡り身延に詣でた身延道もありました。 静岡東部地区をつなぐ「みち」として遥か古の風情を思い起こす旅としてご覧いただければと思います。 |
2010年秋 |
東海道 | 近世東海道 | 箱根峠 〜 江尻宿 |
中世までの東海道 | 蒲原宿 〜 三嶋大社 | |
車返しの里(沼津) 〜 永倉駅(長泉) | ||
箱根鎌倉古道(西坂) | ||
箱根鎌倉古道(東坂) | ||
根方街道(新道) | 蒲原宿 〜永倉駅(長泉) | |
鎌倉街道 | 伝法(中道往還分岐) 〜 江尾 | |
根方街道(旧道) | 富士岡 〜 吉原宿 | |
足柄古道 | 長泉 〜 足柄峠 〜 小田原 | |
十里木街道(仁藤春耕の道) | 元吉原(田中新田) 〜 御殿場(滝ヶ原) | |
村山道 | 富士川(中之郷) 〜 富士山本宮浅間大社 | |
富士川(岩淵一里塚) 〜 富士山本宮浅間大社 | ||
吉原宿(西木戸跡) 〜 村山浅間神社 | ||
富士山本宮浅間大社 〜 村山浅間神社 | ||
身延道 | 富士川(岩淵) 〜 身延 「岩淵筋」 | |
興津宿 〜 万沢(岩淵筋に合流) 「興津筋」 | ||
由比宿 〜 内房(岩淵筋に合流) 「由比筋」 | ||
大みやみち | 勢子辻 〜 富士山本宮浅間大社 | |
大ぶちみち(十りぎみち) | 勢子辻 〜 大淵 〜 富士山本宮浅間大社 | |
須山口登山歩道 | 須山浅間神社 〜 水ヶ塚 〜 宝永山 | |
甲州街道(中道往還) | 富士山本宮浅間大社 〜 吉原宿(西木戸跡) | |
富士本道 | 富士山本宮浅間大社 〜 岩本 〜 東海道合流点 | |
村山下向道 | 村山浅間神社 〜 滝戸 〜 松岡水神社 | |
下街道(1) | 元吉原宿 〜 前田 | |
下街道(2) | 元吉原宿 〜 中吉原宿 〜 川成島 | |
中世大宮道(1) | 吉原湊(前田渡船場) 〜 伝法 〜 中道往還 | |
中世大宮道(2) | 鈴川(富士塚) 〜 今泉 〜 中道往還 |
【参考文献】 東海道 「静岡県歴史の道調査報告書 −東海道−」
静岡県教育委員会 昭和55年3月 他