アルバム |
慶長6年(1601)に東海道が整備され依田橋から田島を通り前田に向かう下街道を通っていました |
見付宿から砂の害によってやや北の東海道沿いに移転した元吉原宿も |
度重なる漂砂や高潮でさらに北の方に移転せざるをえませんでした |
寛永16年(1639)から翌年にかけて依田橋から和田川を越えた西側に |
所替した中吉原宿を通り 追分から南下して前田に出る下街道を利用するようになってきます |
延宝8年(1680)の大津波で中吉原宿が壊滅するまでのわずか40年の間でした |
前田村を出て柳島を通り川成島で富士川の渡し船の時代もありましたが |
その後の五貫島渡船場跡(推定)までを歩いてみました |
元吉原(木之元神社下) 静岡県富士市鈴川東町 ↓ 地図上の距離 約 9.4 km 五貫島(靖国公会堂) 静岡県富士市五貫島 |
【参考資料】 ・『駿河志料』 昭和44年4月 歴史図書社 ・『駿河国新風土記』 昭和50年 国書刊行会 ・『中吉原宿 調査報告書』 平成14年 富士市教育委員会 ・『富士市の神社』 平成13年12月 駿河郷土史研究会 ・『駿河63号』 平成21年 駿河郷土史研究会 |