| 村山道 |
| 古代より人々は燃え盛る火の山 富士 を仰ぎ見て神として崇め奉っていました |
| やがて山岳信仰は修験の場となり 富士 の山麓には火の神を祀る神社や修験の道場が |
| 建てられるようになりました |
| しかし 富士 の麓を流れる古代の富士川は扇状に幾筋もの流れになり人々は渡渉するのに |
| 困難を極めていたようです |
| 京の都から東下りをしてきた人々は富士川の渡渉を最も浅い瀬を探し現在の蓬莱橋あたりを |
| 渡っていたらしい |
| 江戸時代になり古郡氏三代の尽力により富士川の氾濫は治められ渡船場のあった水神社 |
| あたりから岩本山を通り浅間大社に参拝するようになっていった |
| 一方東方から来た人々は整備された東海道の吉原宿西木戸より浅間大社まで登り参拝したが |
| 修験の者は田子の浦で水垢離し真っ直ぐ村山まで行ったようです |
| 村山道は西から2ルート東から1ルートを石造物を手がかりに4回に分け辿ってみました |
| 東ルートは調査されほぼ解明されたようで、吉原宿西木戸跡から村山浅間神社まで修験道を |
| 行ってみましたが、西ルートの古代道は蓬莱橋まで身延道をその後は星山の伝説をたよりに |
| 石造物を探しながら浅間大社まで辿りました。また西ルート東海道は松岡から岩本山を経て |
| 山本を通り浅間大社まで道標や道祖神をたよりに古道を推測してルートをつけたものです。 |
| 富士川(中之郷) 富士市中之郷 ↓ 富士山本宮浅間大社 富士宮市宮町 |
| 富士川(岩淵一里塚) 富士市岩淵 ↓ 富士山本宮浅間大社 富士宮市宮町 |
| 吉原宿(西木戸跡) 富士市中央町 ↓ 村山浅間神社 富士宮市村山 |
| 【参考文献】 静岡県歴史の道 「身延街道」 静岡県教育委員会 平成10年3月 |
| ふるさと富士川第5集 「石仏散歩」 富士川町教育委員会 平成16年3月 |
| 不尽河辺考 池谷 九万夫 著 静岡新聞社 平成16年5月 |
| 岩松の石造文化財 岩松の歴史を語る会 平成16年3月 |
| 富士市の石造文化財 第2集 大渕・伝法・吉原地区調査概要 富士市教育委員会 昭和61年3月 |
| 富士山・村山古道を歩く 畠堀 操八 著 風濤社 平成18年8月 |