歴史の「み ち」


今年は平城京遷都からちょうど1300年にあたります。

21世紀を迎えた今、この間を振り返ってみると、その時代時代にさまざまな人々がそれぞれの営みを繰り返し時を刻んできたものです。

20世紀は激動の時代とよく言われますが、確かに日本では19世紀後半の明治維新という日本史史上画期的な変動期の後、悲惨な軍国主義の時代に突入します。

20世紀初頭プロペラだった飛行機(戦闘機)は半世紀にわたる戦争時代を終えて、その後は見る見るうちに進化発展を遂げ、ジェットからロケット、今では月や宇宙ステーションまでという時代になりました。

この間わずか100年程です。人の一生が100年を超える方はそれ程多くはありませんが、ほとんど一生分の時間で最近の世相はガラッと変わってしまいます。

ここでは、そんなスピード感あふれる現代と違って、古代から幕末まで1100年余の間において昭和時代の悲惨さに引けをとらない戦国時代の1世紀にスポットを当ててみました。

応仁の乱以降、群雄が割拠する16世紀の100年間。幕府の統治が崩れた後は各地において下克上がおこり、力と策略によって侵略が繰り広げられました。東海一といわれた駿河の守護大名今川氏(義元)も駿・遠・三の三国を治める兵力にもかかわらず、上洛途上あっけなく尾張目前にして戦場の露と消えました。

その後の今川氏は嫡男氏真が家督を継ぐものの、大名の器ではなく文化人として生きながらえるようです。

ここから駿河地方、特に東駿河地区は三国同盟(三将会盟)以来、わずか15年の平穏な時が終わり武田・北条の熾烈な戦禍の中に置かれることになりました。

やがて、まもなく武田氏も信玄の死後数年の内に滅び、16世紀も残り10年という時に鉄壁な惣構えを誇る小田原城も落ち、後北条氏も早雲以降五代にて幕を引くことになります。

しかしながら、そんな戦国時代にも先人たちの文化・知恵の遺産は引き継がれているものです。その一つとして城址遺構を巡り、実際に踏査した中で自分なりの歴史の「みち」を訪ねてみました。

御厨地方(御殿場・小山地区)から歩き始めて、箱根を取り巻く駿・相二国の国境地域の城郭を中心にしておりますが、まだまだほんのわずかばかりの踏査でしかないためこれからも機会を作り続けていこうと思っております。
2010年秋




深沢城 生土城 湯船城 竹之下・下古城
浜居場城 足柄城 河村城 足柄城砦群
沼田城 河村新城 山中城 鷹ノ巣城
屏風山囲郭 宮城野城



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