河 村 新 城
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第1回 現地踏査記録 |
日時 2004年2月28日 |
コース 富士市(自宅)8:30 → 十里木街道 → 御殿場(川島田)R246 → 川西・清水橋交差点 → |
県道76号山北・藤野線 → 道の駅「山北」駐車場9:40 |
参考地図 1/25000地形図(山北) 現地住宅地図(ゼンリン) |
踏査地点 本城 蔵郭 二の郭 櫓台 ウラ門跡 金山社 |
工藤新左衛門屋敷跡 久島丹後屋敷跡 篠窪民部屋敷跡 |
堀切跡 二の郭北堀跡 櫓台西空堀 |
行動記録 御殿場よりR246を通り神奈川県に入るとすぐに清水橋の交差点がある。ここは河内川が鮎沢川に合流 |
する地点であり、西側を見上げるとそそり立っているというよりも何か北西から伸びてきた尾根がここで |
スパッと切れたような所だ。清水橋の信号を左折し県道76号を藤野方面に行く。川西橋を渡り河内川 |
左岸に出て2〜3分も走ると道の駅「山北」がある。駐車場は休憩所側と道路を挟んだ川岸と2ヶ所あり |
川岸側 の一番端に置かせてもらう。 |
R246清水橋交差点の西100m程の所から城山といわれるこの尾根に登る道があるが城山の東側、 |
河内川右岸にある清水中学校の裏から直に取り付く道がありやや急登ではあるが行ってみることに |
する。9:50に駐車場を出発し20分くらいで南からの道に合流する所に金山社という小祠があって一気に |
登ってきたので小休止。 |
ここから舗装道路をジグザグに登って行くと一面茶畑の中に工藤新左衛門屋敷跡、久島丹後屋敷跡と |
想定される個所があるが今や全くわからない状態だ。途中堀切らしい窪地が道路を横切ってはいるが |
これとても全容はつかめない。 |
尾根の頂部に近づいてきた所の左手に蔵郭と一段高くなった本城跡がある。標高約340mこの城山の |
最高点は北側の櫓台であろうが、河内川からの比高は約180mである。本城跡の西側にやや高くなった |
部分があって権現社跡と思われ、その下には道路から西の方に土塁跡と思われる盛土が続いている。 |
本城跡に立ってみると南北約30m、東西はほぼ同じ位かやや長い方形の曲輪面であって眺望がすこ |
ぶる良い。東側がずっと開けていて北東方向は河内川を遡り丹沢湖あたりまで、東は眼下に東名高速 |
道路が伸び、都夫良野トンネルが口を開け、その上は鐘ヶ塚砦の遺構があると思われる。南側の鳥手山 |
との間、奥の方は河村城の方向であろうか。南から西の方に目を転じると浜居場城の尾根と丹土尾砦 |
方面の 連なりがある。 |
本城からクランク状になった道を北に曲がると右手に二の郭がある。ここは東側に緩い傾斜地になって |
いて、二の郭と篠窪民部屋敷跡と思われる所との間が一段低い空堀跡で前面茶畑である。空堀跡とは |
いってもやや低い部分であって、ほとんど埋ってしまったのであろうか全くその面影はない。 |
東西から谷が迫ってきている部分は土橋跡のようだ。その上は舗装道路が続いているが、二の郭から |
櫓台へ渡る道筋である。 |
櫓台の遺構はここ河村新城の中では一番明瞭に残っている。標高347m地点に東西25m南北30mの |
はっきりとした櫓台である。この最高部から道は北西側に下っているが、その先は御厨地方や甲斐郡内 |
地方へと続く御厨古道と呼ばれている。街道を城内に取り込んだ縄張りの作りが北条氏の大きな特徴で |
あるが、代表される山中城・足柄城のようにここもその典型が見られる。 |
櫓台の南西側には野面積みの石垣が2〜3段露出しているのが見える。おそらく周囲を取り囲むように |
積まれているのであろう。但し、平成10年(1998)の発掘調査によるとこの部分の層は18世紀初頭、 |
宝永噴火以降の石積みらしい。御厨古道に沿って西側を回り込むと櫓台の北西側をガードする空堀跡が |
ある。古道を含む尾根はやや平坦になり北西方向に伸びている。この場所が「新編相模國風土記稿」に |
ある古城絵図に出てくるウラ門跡であろうか。 |
11:15櫓台を後にして元の道を下る。金山社から帰りは南側の大手口方向に行ってみる。大手門跡への |
入口は私有地のためか立入禁止の札が道を塞いでいるので入れない。だらだらと下る途中に早咲きの |
桜が見事であった。 |
行動時間 約2時間30分 |
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