湯 船 城 



記 録 概念図 写 真



第1回  現地踏査記録 


日時         2003年5月10日 
コース        富士市(自宅)9:00 → 十里木街道 → 9:35御殿場(川島田)R246 → 御殿場(萩原北)R138 →  
          御殿場(市役所北) → 足柄街道 → 9:45竹之下 → (10:00〜11:00下古城〜藤曲) →    
            12:00湯船堀之内・本蓮寺 → 大森橋 → 山口橋 → 不老ノ滝(折り返し) → 殿屋敷 
参考地図      1/25000地形図(駿河小山・御殿場)   現地住宅地図(ゼンリン)
踏査地点      本蓮寺     小野畑山(南の尾根) 
            大森橋     山口橋     不老ノ滝     殿屋敷 
            湯船堀之内 


行動記録      富士市からR246生土・中島を降りて湯船に入ると約1時間ほどで着くが、下古城・藤曲に立ち寄った 
            ため昼頃になる。 
            県道147号を藤曲からR246の高架の下を通り、二又に分かれた左側が湯船・堀之内である。ここは 
            沼館愛三氏・伊礼正雄氏によれば大森葛山一族の御宿氏の居館ということになっている。現在は見事な 
            水田地帯になっていて、付近には「池谷」姓の家が点在する。これも沼館氏によると旧来の豪族池谷氏 
            の館跡としているが、ここの「池谷」姓の家々がその子孫になるのだろうか。 
            二又に戻り北の方に行くと湯船川に架かる尾崎橋を渡る。ここは小野畑山の南の尾根の裾になる。少し 
            回りこんで石塔が建つ参道を登って山門の脇にある空地に駐車して昼食をとる。 
            日蓮宗本蓮寺は応永2年(1395)日朝上人によって開創されたという。境内には初代日朝上人から歴代 
            (38代まで)の墓石・宝篋印塔・五輪塔が整然と祀られている。時代は大森氏がみくりやから相模へ進出
            する初期の頃にあたる。 
            この本蓮寺を抱きかかえるように小野畑山から東に2つの尾根が伸びている。北の尾根の北側斜面は 
            かなりきつく、とても取り付けるような感じがしない。沼館氏もその著の中で「城のガケ」と呼んでいる所で 
            ある。南の尾根についてはその先端部が同寺の墓地であることから入りやすいが、無論登山口なんて 
            ものはない。今回はその先端部に小高い丘状の部分がありそこからの景観を観察するだけにとどまる。 
            本蓮寺から野沢川に沿って柳島の集落を北に入って行く。寺から北に約250mの地域が殿屋敷と呼ば 
            れているところである。そこには野沢川の支流に架かった「大森橋」もあり、大森氏の開拓した北限の地
            では ないだろうか。 
            大森橋から数分走ると山口橋があって野沢川の起点になっており、ここからは不老山へのハイキング 
            コースである。5〜6台分の駐車スペースがありコースの途中にある不老ノ滝まで登ってみる。およそ 
            30分程で往復できる。 
            山口橋から戻る道筋、殿屋敷から本蓮寺、小野畑山と見ていく中でやはり大森氏の居館があって本蓮
             とその後方小野畑山に城・詰の城があったと強く思えてくるのであった。 
                                                             行動時間  約2時間 




第2回  現地踏査記録


日時         2003年6月8日 
コース        富士市(自宅)9:00 → 十里木街道 → 9:35御殿場(川島田)R246 → 生土・中島 → 
            10:10湯船・本蓮寺 → 南の尾根 → 小野畑山
参考地図      1/25000地形図(駿河小山・御殿場)   現地住宅地図(ゼンリン)              
踏査地点      本蓮寺      
            小野畑山     南の尾根     湯船城下部 


行動記録      富士市からR246生土・中島を降りて湯船に入る。まっすぐに本蓮寺に行き山門横の空地に駐車させて 
            もらう。今回の目的は詰の城(湯船城)の城址・堀割の遺構を探すことにある。沼館氏の言われる「南北 
            二つの尾根上には堀割らしき處」というのはどこか、また土塁・曲輪等の遺構は存在するのか、非常に 
            興味をそそられるものである。沼館氏の調査時、昭和12年頃でもどうやら明確な遺構は認められな 
            かったようであり「小野畑山は富士噴火の砂礫堆積して舊構を認むべきものがない」と記されている。 
            その後、昭和50年頃の調査で伊礼氏は北の尾根を歩かれたようだが、やはり堀割らしきものは確認
            できなかったようだ。 
            本蓮寺の本堂南側に墓地が広がっている。その南端を西の方、つまり小野畑山の斜面を登ってみるこ 
            とにした。道はなくなんとか寺の住職が作業されたのであろうか、わずかな踏み跡を辿ってかなりの急勾 
            配を登る。踏み跡が途切れる頃二段になった平坦地に出る。樹木が高くはっきりとは確認できないが、 
            おそらく両側の尾根の位置から言って本蓮寺本堂の上部ではないだろうか。 
            湯船城址は標高399mとなっているが、小野畑山のピークは410mあるはずだから、遺構があるとすれ
             ぼちぼちこの尾根筋に堀割らしきものが見られてもよいのではなかろうか。平坦地下の段からは東の 
            方向に藤曲・生土の城山がよく見える。 
            平坦地上の段に移るとそこは雑木林と下の方は藪化している。しばらく登ってみるがそれらしき所は全く 
            わからず、ルートをとることもだんだん困難になってきた。確かにこの一帯は富士山の噴出物が最新の 
            宝永噴火の時も約1m〜1.5mも積もっていることから、本格的な発掘調査をしなければ確認は難しい 
            ようである。 
                                                            行動時間  約1時間 


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