足 柄 城



記 録 概念図 史 料 写 真



第1回  現地踏査記録


日時         2003年9月27日
コース        富士市(自宅)8:45 → 十里木街道(県道24号・国道469号) → 
            御殿場(川島田) → 国道246号 → 萩原北 → 国道138号 →
            市役所北 → 足柄街道 → 竹之下 → 県道149号 → 
            県道365号(金太郎・富士見ライン) → 足柄峠駐車場9:50 → 猪鼻砦 →
            猪鼻城虎口 → クラヤシキ → 四の郭 → 五の郭
参考地図      1/25000地形図(関本)  現地住宅地図(ゼンリン)  
踏査地点      猪鼻城虎口   五連郭(四の郭・五の郭)
            クラヤシキ


行動記録      10:00〜12:15までは足柄峠から猪鼻砦を往復する。足柄峠駐車スペースのすぐ
            南側一帯は猪鼻砦に伸びる南尾根筋の虎口部分にあたる場所だ。現在はこの 
            尾根道(県道矢倉沢・仙石原線)の両側に遺構を残しているが猪鼻城虎口と呼ば
            れている所である。ここには三重になった虎口があり、便宜上本城郭側から内虎口・
            中虎口・外虎口と名付けられている。
            県道が駐車スペースから南に出るすぐ脇の茂みに下りの細い道があり、遊歩道に
            なっている。ここを降りていくと西側にやや高くなった盛土が林の中に見え、手前に
            窪んだ個所もある。反対に遊歩道の東側を見ると県道までは見えないが、一段高く
            なった平場があるようである。
            西側の窪み(西堀)が遊歩道の東側に南堀へと続いていて、その西側の土塁は
            外側土塁といわれている。南堀の上段にある平場は二段あるらしいが、今では
            樹林が濃く見分けにくい。ここが西郭である。また、県道を挟み東側の薮化した
            中に東張出平場があり、ここまでの遺構が中虎口である。内虎口の部分は今や
            全くその様子は見られない。
            一番南にある外虎口東張出平場は広大で南北長はおよそ50mある。
            12:45猪鼻城虎口をきりあげて本城郭に入る。足柄峠から一の郭に上がり二の郭
            に移る。この両郭は非常に展望に優れていて、晴天時には正面に富士山の雄姿を
            眺望できる。一の郭から二段下の三の郭までは公園化しており、その曲輪面は
            一面の芝生で所々にベンチも設置されている状態である。
            二の郭の東突出部から斜面を7〜8mばかり下るとクラヤシキ遺構群といわれて
            いる平坦地がある。ここは二の郭より大沢に伸びる枝尾根上に三段の平場を
            切ってあり、大沢筋からくる敵に対する備えとしているものと思われる。三段の
            中断・下段までは降りられなかったが、上段平場の上に降り立って見る。
            東西約10m南北約15m程度の平坦地になっていて、その東縁にはしっかりと
            土塁跡が残っている。1989年版調査報告書によるとこの下にさらに中段・下段の
            平場があり、上段平場からは南に帯曲輪を通り本城・茶屋平場へと続く連絡路も
            あったようだ。
            現場の状況は樹林帯の中であまり確認できず、今回は上段平場のみで二の郭に
            上り返す。
            北側虎口部から二の郭土橋に降り山の郭に上がる。五連郭の中で最小である
            三の郭からはその西側に四の郭に続く土橋もあるが、東側の三の郭北堀から
            井戸跡に向かう。
            四の郭はかなり広く長方形の平坦地である。東西約80m南北約30mもあり、
            現在はそのほとんどが草原になっている。散策路はついているが公園整備は
            三の郭までである。三の郭までの遺構と四の郭から下とその様相が大きく異
            異なっているのは、ここからの尾根の傾斜が急降下していくためであろう。
            四の郭北堀など堀底から曲輪面までは8m位もあろうか、見上げてもその法面に
            圧倒される。
            広大な曲輪の中央部やや東寄りに井戸跡があって、今ではしっかりと囲いもあり
            標識も建っている。中をのぞくと水はないように思うが湿地状態で、やはり大沢筋
            の源流部で当時は湧水があったように思われる。東半分を歩いた後、東土塁から
            四の郭北堀に降り五の郭へとコースは続いている。
            五の郭も東側から中央部まで入ってみるが、やはり一面膝下くらいまでの草原
            地帯である。東半分には東面・北面・東北と三方が土塁で囲まれ中央部がやや
            低くなっている。北面土塁上から北堀を覗き込むとかなりの深さがあり、対岸の
            外側土塁までの距離も15mくらいあろうか。外側土塁は五の郭の曲輪面より
            2〜3mは下になるが、五連郭の最前線をしっかりとガードしていて車で言えば
            バンパーのような役目をしているように思われる。散策路は東北土塁の下から
            階段で五の郭北堀に降り、堀底を西の方に道がついていて県道に出るように
            なっている。
                                            行動時間  約1時間45分




第2回  現地踏査記録


日時         2003年11月2日
コース        富士市(自宅)8:00 → 十里木街道 → 御殿場(川島田) → 国道246号 →
            萩原北 → 国道138号 → 市役所北 → 足柄街道 → 竹之下 →
            県道149号 → 金太郎・富士見ライン → 足柄峠駐車場9:30 →
            (阿弥陀尾・通り尾砦) → 明神山 → 茶屋平場 → 山の神曲輪 → 五連郭
参考地図      1/25000地形図(関本)  現地住宅地図(ゼンリン)
踏査地点      五連郭(一の郭・二の郭・三の郭・四の郭・五の郭)
            明神山   茶屋平場   ダイカンヤシキ   山の神曲輪   クラヤシキ   
            上六地蔵   マタイノダイ      下湾入堀        


行動記録      9:30〜11:05までは足柄峠から阿弥陀尾砦を折り返し、通り尾砦から明神山に
            向かう。砦下の駐車場から矢倉岳を眺めながらのんびりと5分も歩くと、県道
            左手にこんもりとした小山が見える。その手前に南東方向に入っていく細い道が
            あり、ここからが明神山の遺構である。
            小山のように見えた所が東櫓台であり、5〜6mくらいの高さであろうか。細い道は
            東櫓台の奥にある山頂部を南側に回り込んでいる。1989年版報告書によると
            東櫓台と山頂部の間に北堀があり底からの比高が8mとなっていて、調査当時の
            写真では雑木の密度も薄く山頂部まで行けるようだが、現在では雑木と薮がひどく
            入っていくのは困難だと思われる。山頂部には東曲輪の平坦部と堀切が残って
            いるようだが確認できない。
            東櫓台を回り込んで東側に帯曲輪があり、小祠がまつられているが明神祠と呼ばれ
            明神山という名のいわれとなっている。ここから道は南側に参道が伸びて小田原
            古道に合流する。
            古道合流点から再び県道に出る。道路を挟み北西側には西櫓台が広場の中に
            ポツンと取り残されたようだ。そこから北東にかけて東櫓台まで外側土塁が県道に
            沿って細長く続いている。ここも大沢筋(甲斐側)に対する備えのようだ。
            11:30小田原古道が県道に出た所には堀切があり、ダイカンヤシキ・茶屋平場へと
            続く。位置的には本城郭の東で東西150mもの広い曲輪面ではあるが、南には
            山の神曲輪が隣接し北側は大沢の源流へと落ちていて、本城一の郭より一段
            低い位置にあるも比較的安全性の高い場所であったものと思われる。
            茶屋平場の真中を県道が横切り、その東側は茶屋の別館が建つダイカンヤシキと
            呼ばれている所で、古道を抑える代官所があった場所らしい。一方西半分は
            本城側に聖天堂が建ち、その東は江戸時代からの峠の茶屋を営んだ高橋邸が
            ある。
            11:35茶屋平場をぐるっと一周して関所跡の横から尾根の入口に取付く。ここは
            本城一の郭の南端、切通しになった所(今の県道)から東に本城とほぼ同じ高さの
            部分で約100mばかり伸びている。この幅20mほどの細長い尾根上を削平して
            9つの平坦部を作ったとされているが、七の平と三の平は土塁もしっかりと残り
            確認することができたが、他はよくわからないようである。一の平には山の神の
            祠があり、ここから山の神曲輪と名付けられた。最高部二の平からは現在切通し
            の上を立派な橋が架けてあって、本城一の郭の南面土塁の横に出られる。
            
            11:50橋を渡り一の郭に入る。一の郭は東西約40m南北約60mのほぼ長方形
            をしていて、北から1/4位の所で北郭と南郭に分かれる。その境目には中仕切
            土塁があったらしく曲輪面の東西に盛り上がりを見せ、わずかに土塁の根石を
            残している。
            南郭は広く県道の足柄峠からの曲輪進入路や公園整備の影響があり、南面土塁
            や西面土塁が残ってはいるものの、あまりそれらしい遺構には感じられない。
            また東側には湧水池があり茶屋平場の裏に続く流水路を伴っている。この湧水池
            は「玉手ヶ池」と名付けられ、現在は湿地状ではあるが標高750m以上あるこの
            地点での湧水は大変珍しく、古絵図等にも流水路と合わせその存在が記されて
            いることから当時の水資源として重要な役割を担っていたものと思われる。
            池を囲むような東面土塁は、おそらく中仕切土塁の東端に続くものとしてこの位置
            に虎口部分が想定される。また中仕切土塁の西側は西面土塁へと続き、その北側
            には北西櫓台が一段高く盛り上がる。西面土塁は北西櫓台から直角に北面土塁
            へと変わる。ここは一の郭の土塁遺構では最も顕著にその痕跡をとどめている所で
            あり、本城郭のシンボル的な地点でもある。現在の土塁の長さは約35m高さは
            1.5m位であるが、地震などの自然崩壊や公園整備による人為的な削平によって
            の数値であり、当時としては2倍以上の規模であったに違いない。
            北面土塁の東側に遊歩道が下り、本城北堀切の土橋状の部分から二の郭に
            上がっている。本城北堀切の堀底幅は5mくらいか、ここから北面土塁を見上げると
            やはり5m位はある。実際には畝堀らしく堀の長さは西畝まで30m位で、その外側
            は県道へと下っている。この土橋状の部分もその点ではおそらく畝(東畝)であろう。
            堀底から3m程上がった二の郭に入る。二の郭は南北に長い長方形の変形である。
            南側は本城北堀切に落ち、西側は緩斜面の中段に小さな平場をもって県道まで
            下りている。曲輪面はほぼ平坦で東西幅約20m・南北長約50m程であり、北東
            部分は細長く突出していてその下にはクラヤシキ遺構群がある。前回と同様に
            東突出部からクラヤシキに降りてみようとしたが、標識の建つ所から下にはロープ
            が張ってあり(私有地なのだろうか)立入禁止の札がある。従って前回見残した
            クラヤシキ中段・下段平場と東腰曲輪には入れなかった。
            やむなく引き返し、二の郭北側にある虎口平坦部から二の郭北堀切に降りること
            にする。しかし、それにしてもこの二の郭にはわずかに虎口部分に残る土塁の他、
            全くその残存部分がない。古絵図によると当時は一の郭・二の郭と石垣が廻って
            いたようであるが、今ではその面影はなく県道脇に数個の一抱えもありそうな
            大石が散乱しているのがその名残であろうか。
            三の郭との間、二の郭堀切はやはり畝堀で中央部の畝に今では土橋状となり
            遊歩道が通っている。堀幅はおよそ堀底で3m、深さ約5mである。        
            土橋状になった畝を渡り三の郭の裏虎口に出る。三の郭の形状はほぼ正方形
            で東西・南北共約20mと五連郭中最も小さい曲輪である。ここまでが完全に
            整備され見通しも大変よく公園としても非常に快適であるが、土塁・建物跡を
            示す礎石等遺構らしきものは全く見られない。見通しが良いのも当時でもそうで
            あっただろうか。前回は東側の遊歩道を通り、東堀・北堀から四の郭に降りたが
            今回は曲輪面北西部の虎口から四の郭西土塁に伸びる土橋を渡る。
            三の郭土橋は長さ50m以上もあろうか、中央部は広くその北部は四の郭の虎口
            に入る西土塁へと続いている。土橋西下には中段平場と県道を挟んでマタイノダイ
            があり、西方面への備えとしてはこの大きな土橋も曲輪的な性格をも有した部分
            であったのだろう。
            西土塁から四の郭虎口に入り曲輪面を西側から眺める。南西側と東側は土塁や
            高壇で高く盛り上がり中央部が低くかなり広い。北側は四の郭北堀が深く落ちて
            いるが北面の土塁は現在見られない。四の郭北堀の西側には西北張出櫓台が
            あり、五の郭と上段・下段と2つの土橋で繋がれている。上段土橋の東は幅30m
            もある最大の北堀で、西は下湾入堀が西北張出櫓台をぐるりと廻って五の郭
            入堀となって下段土橋にせり上がっている。
            2つの土橋を渡り五の郭西面土塁を通り曲輪面の西側に降り立つ。五の郭の西端
            には張出虎口が続き県道に下っているが、虎口部分を除くと東西の長さは
            約70m南北は一番幅の広い東側で約50m、中央部のくびれた部分で約10m
            である。現存する土塁は東面・東北・北面・西面とありほぼ当時の状況で残って
            いるのではないだろうか。北面土塁の下、五の郭北堀は曲輪面から10m以上も
            深さがあり、五連郭最前線を守るにふさわしく壮大な堀切である。
            曲輪面からやや見下ろし加減に東西に伸びる外側土塁は五の郭北堀の北側に
            沿うようにおよそ150m程の長さで続いている。その東端と中央部には櫓台をもち、
            五の郭張出虎口の西端にある櫓台と併せいかにも足柄城が北西の甲斐に対して
            の防備の城ということが明確に表れている所であろう。
            堀底から県道に出るとすぐ下に上六地蔵と下六地蔵があり、上六地蔵の曲輪に
            行ってみる。上段・下段と2面の曲輪をもつ平場であるが、東西50m南北25m程
            で中央部を中仕切と北面土塁で2段に分けている。下六地蔵には行かなかったが、
            この2か所の平場にはそれぞれ6体の地蔵尊がまつられている。
            上六地蔵から県道を足柄峠方向に登りかえす。現在この舗装された県道で寸断
            されているが、五の郭北堀から張出虎口を回り五の郭入堀へと続き、入堀は
            下湾入堀からマタイノダイの下を通り上湾入堀に入り込んでいたのではあるまいか。
            マタイノダイの比高は下湾入堀から5mの高さ、三の郭西端の土橋からは下に
            10m程であろう。その頂部はほぼ三角形をしており北西に西縁土塁が伸びている。
            再び県道に下り足柄峠駐車スペースに向かう。
                                             行動時間  約3時間



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