生 土 城
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第1回 現地踏査記録 |
日時 2003年5月4日 |
コース 富士市(自宅)8:00 → 十里木街道(R469) → 裾野IC → R246 → 御殿場(萩原北) → |
R138 → 御殿場(市役所北) → 足柄街道 → 竹之下(9:20〜10:15) → 生土10:20 |
参考地図 1/25000地形図(駿河小山) 現地住宅地図(ゼンリン) |
踏査地点 乗光寺 |
城山 八幡郭 第U郭 第V郭 堀割 八幡祠(淡島神社) 井戸跡 竪堀 出丸 |
鮎沢川 野沢川 頓沢川 |
行動記録 御厨地方へのルートを十里木経由に変更する。裾野ICまで出てR246に入る。後は深沢城の時と同様、 |
御殿場足柄街道を通り小山町に着く。途中、前回見落とした竹之下に立ち寄り少々歩き回る。 |
生土地区には竹之下から県道竹之下・小山線をおよそ3〜4km北へ鮎沢川沿いに下っていく。途中二又 |
に分かれるが下を行くと小山町役場方面、上の道を回りこんで川岸に下りるとJR御殿場線を渡り、鮎沢 |
川にかかる富士見橋だ。橋の手前左側に小公園と駐車場があり、ここに車を置かせてもらうことにする。 |
身支度を整え10:25出発。富士見橋を渡り交番のある信号交差点を右に曲がって松田方面に5分程歩く |
とガソリンスタンドの右手に乗光寺への入口がある。ゆるやかに登って山門に着く。 |
臨済宗雲居山乗光寺の開創期には諸説があり、大森氏相模進出の面から見て応安5年(1352)とされ |
ている。開基 大森頼明・妻 是妙・頼春・氏頼・藤頼・実頼といった大森氏六代の宝篋印塔も残っている。 |
10:45乗光寺を出て頓沢橋を渡り、県営住宅北(裏側)の分岐より北側に入っていく。やがて頓沢川を渡 |
る橋の手前に道標があり城山への登り口である。 |
10:55頂上から南東方向に伸びた尾根の先端に取り付くがかなりの急登である。針葉樹林帯をひたす |
ら登る。下は堆積した枯葉が多くいたって滑りやすい。この地も富士山から直線距離にして20km〜 |
25kmくらいの所であることから、度重なる噴火による堆積物と腐植土とで覆われている。 |
11:10曲輪跡と思われる平坦地に出る。沼館愛三氏はその数を三郭に分けているが、そのように思えば |
そう見える程度でよく区分けがつかない状態だ。とりあえず一番下段の第V郭らしい半藪状態の平坦地 |
を決定づける。というのもその北端は段差になっており、井戸跡がその口をコンクリートで固められて保存 |
されているからである。 |
上段の第U郭は東西にやや広く東側に小祠がある。淡島明神であろうか。北側の堀割というのは全くはっ |
きりとせず、沼館氏の踏査された昭和12年頃より60〜70年を経てさらに崩壊・堆積があったのだろうか。 |
現在この第U郭の西側上段部の所に土塁状の地形が南に下っているが、伊礼正雄氏の調べられた犬走 |
りや竪堀らしき部分は決定づけるまでには至らなかった。しかし、沼館氏の言われる八幡郭部の北側虎口 |
状の所から北に登って行くと、城山最高部三角点(379.2m)までは区分がなくここが主郭だと思われる。 |
11:20ここより北に向かう。10分ほど尾根道を辿りやや下った鞍部に堀割らしき跡、竪堀らしき跡を見る。 |
11:35不老山へのハイキングコースと合流し、11:40一登りした所にかなり広い平坦地があり開けて |
いる。おそらくここが出丸跡であろう。城山より800m北側の地点だ。 |
12:00出丸より西に下りる道があり中島方面(金時神社)に出るが、今日は元の城山方向に戻ることに |
する。城址を過ぎ尾根道を下っていく。登りは尾根に沿って辿っていけばよいが、下りは道がいたって |
不明瞭だ。最近ほとんど通行した形跡がなく展望も悪い。踏跡を辿るのも堆積した枯葉により非常にわか |
りにくい。登りではあまり気がつかなかったが城址遺構地点よりこの尾根は二方向に分かれている。頓沢 |
川より西に向かって1つの尾根を登り始めたが、下る時になって自然に足は南方向に向いてしまう。途中 |
何度となく藪の 中に突っ込み引き返し、地形図を見て方向修正をする。約40分のロスをしてようやく登山 |
口に下りることが できた。ちなみに南方向のササ藪の下は50〜60度くらいの急斜面で大変危険な個所 |
である。 |
行動時間 3時間40分 |
第2回 現地踏査記録 |
日時 2003年5月10日 |
コース 富士市(自宅)9:00 → 十里木街道(R469) → 御殿場(川島田) → R246 → R138 → |
御殿場(市役所北) → 足柄街道 → 竹之下(9:45) → 県道150号 → 10:00下古城 → |
県道147号 → 10:45藤曲(中野沢橋) → 11:00藤曲(浅間神社) → 藤曲屋敷跡 → |
11:20浅間神社 |
参考地図 1/25000地形図(駿河小山) 現地住宅地図(ゼンリン) |
踏査地点 藤曲屋敷跡 |
野沢川 河岸段丘 |
浅間神社 |
竪堀 |
行動記録 富士市から県道24号を経てR469の十里木街道を通り、御殿場川島田交差点でR246に出るコースが |
最短だとわかり今後の来訪コースとする。 |
今回は藤曲屋敷跡を踏査すべく行動したが、途中で下古城地区の子之神社を中心とした城址も訪ねる |
ことにした。現在、馬伏川に挟まれた深沢城にも類似した城址部分は、そのほとんどが水田であり遺構 |
らしいものは見あたらない。 |
下古城より県道150号から149号竹之下を経て生土地区に入る。六合橋より県道147号を野沢川沿い |
に少し行くと中野沢橋がある。橋からは藤曲地区の台地状になった河岸段丘がはっきりと見てとれる。 |
背後は城山だ。 |
中野沢橋を渡り台地状の部分を登って行くと成美小学校に入るT字路があり、小学校の北側が浅間神社 |
である。神社の社務所は閉まっていたが、前の広場に駐車させてもらうことにした。 |
ここから元の県道まで数分歩くと、その北側にある「岩田宅」の裏に藤曲屋敷と思われる地点がある。 |
この裏にまわる道端(敷地内)に藤曲氏歴代の宝篋印塔・五輪塔が16基建っていた。 |
この地は藤曲地区を東から北へ包みこむように野沢川が屈曲しているが、ここの段丘は川面までは10数 |
メートルもあろうかかなり高い。現在北にR246の高架になった道路が見えるが谷となった向こう側は |
湯船 地区であり小野畑山も見える。 |
行動時間 約2時間 |
第3回 現地踏査記録 |
日時 2003年6月8日 |
コース 富士市(自宅)9:00 → 十里木街道(R469) → 御殿場(川島田) → R246 → R138 → |
御殿場(市役所北) → 足柄街道 → 竹之下 → 生土 → 藤曲 → 湯船(本蓮寺)10:10 → |
中島神社 → 勝福寺 → 生土 → 乗光寺11:55 |
参考地図 1/25000地形図(駿河小山) 現地住宅地図(ゼンリン) |
踏査地点 乗光寺 |
乗光寺付近 小字名(御園・遊林・上屋敷・下屋敷・城下・松葉・関屋口) |
頓沢川 |
行動記録 前回の藤曲屋敷跡と今回の東光寺付近と生土城の居館跡を探索すべくテーマをもった行動となった。 |
生土に入る途中別掲の湯船城探索をした後、昼頃乗光寺に到着。参道からも頓沢川沿いから入る道も |
駐車場はなく、東側松葉地区の公民館前に駐車させてもらうことにした。 |
乗光寺を中心に松葉から御園地区を一周する。小野家庭先、室伏家庭先に残る宝篋印塔・馬頭観音の |
石塔などこのあたりは幾多の石塔が残存していることに驚く。 |
寺の参道を上がった所に山門があり、その上一段高くなって本堂があるわけだが、ここからは南の方向 |
に鮎沢川をへだてて対岸の足柄山塊がよく見える。また、眼下には上屋敷・下屋敷と小字名が残る地区 |
があり、寺の門前というよりまさしく城下といった感である。ちなみに頓沢川の西、城山の下には城下とか |
関屋口とかいう地名がある。 |
ここの地区を対岸の足柄諸砦の最北端から見れば、おそらく西側に城山その下の頓沢川と東側の西沢 |
川に挟まれ、鮎沢川沿いの街道より少し小高くなった地に乗光寺がある御園地区が見てとれるであろう。 |
行動時間 約2時間 |
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