村山道(富士川・岩淵一里塚〜富士山本宮浅間大社)



日時・行程
          2013年4月20日
          JR富士川駅 〜 岩淵一里塚 〜 近世東海道 〜 富士川橋 〜 水神社 〜
          四丁河原 〜 護所神社 〜 四ツ家公園 〜 旭町 〜 永源寺 〜 琴平神社 〜
          岩本園 〜 高原街道 〜 第六天神社 〜 山本 〜 黒田 〜 金谷橋 〜
          田中町 〜 JR身延線踏切 〜 東町 〜 平等寺裏 〜大宮小学校裏 〜
          富士山本宮浅間大社


地図

国土地理院地形図(富士宮)     現地住宅地図(ゼンリン)



JR富士川駅 岩淵一里塚 富士川に下りる 富士川橋


村山道西ルートの近世は岩淵光栄寺より富士川を遡った古代・中世から、舟山地区で富士川に
下り水神社へと渡ったのである。17世紀までの富士川は急流でかつ東の方に幾筋もの流れに
分かれ、上流の瀬を渡るしかなかった。50年以上かけて完成した かりがね堤 によって以後は
岩淵から水神社のある松岡に渡ることができたのである。今回は岩淵舟山地区から富士川橋を
渡って、岩本山に上り富士宮の浅間大社まで資料はほとんどないので、道標・道祖神等の石造物
から江戸時代の集落を結んで 古道 を推測しながら村山道松岡筋として歩いてみた。



水神社 富士山道の道標 道祖神 四丁河原で左折


さて富士川を渡って水神社。渡船場跡の石塔を確認、さらに宝暦8年(1758)に建てられた 富士山道
という道標から実質スタートになる。水神社の前を東進して県道396号(旧東海道)を500m程行った
所に四丁河原の歩道橋がある。その少し手前に小さな石塔が道路右側に発見。道祖神だと思われ
るが判別できない。もう1基は道標か。歩道橋を渡って北側に、細い道を護所神社に向かう。



護所神社 県道176号を渡る 岐流橋 浦町の道祖神


護所神社は人柱伝説のある かりがね堤 がいかに難工事であったかをもの語り、その御霊を祀って
いる。護所神社を出て県道176号の向こう側、松岡小橋を渡って北進する。このあたりは潤井川
から分かれた支流か、それとも農業用水として引いた掘割なのか細い川筋が多い。その1つの
岐流橋を渡ると右手に2体の道祖神。自然石の上に後になって丸石を乗せてある。碑銘はかすかに
見える 道禄善 の文字が半分埋まっていた。



浦町の道標 馬頭観音 実相寺参道入口 四ツ家稲荷神社


南北に長い松岡の中で北の方に位置する浦町地区に入ってくる。小さな十字路交差点の南東側で
西を向いて建っている道標を見つけた。右 かんばらみち 左 よし原 彫られたところを指で辿って
何とか判別できる程度であり、当然年代は不明である。交差点の先100m位行った所の渡辺家の
庭先にほぼ完形で残っている馬頭観音があった。頭上の馬頭だけ分かりづらいが、一面六臂の姿
手にした斧・棒・独鈷などはっきりと分かる。元治元年とあるから1864年のもの。ここからさらに
150mも行った所のT字路に大きな題目塔が建っている。どうもここが実相寺参道の入口のようで
ある。高さは180cmもあるだろうか。通り過ぎて北進すると東名高速のガードの手前左手に四ツ家
の稲荷神社と奥に山神社。道に面した鳥居脇には道祖神がある。寛保2年とあるから1742年だ。



四ツ家公会堂 四ツ家公園 県道176号手前を右折 松岡東田の道祖神


稲荷神社から北に行くと東名高速のガードをくぐって、四ツ家公会堂前、四ツ家公園の前を通り過ぎて
県道176号の1本手前を右に折れる。県道176号は護所神社の所から岩松地区を通って岩本山の
裾を回って鷹岡へ、そして大宮街道と合流して富士宮との市境まで伸びている。これもかなり古い道
だと思われる。松岡ももう北のはずれになった。東田地区の旭町交差点に出る手前の庭先にある
小さな道祖神を見る。かすかに見える文政11年の文字は1828年のもの。



旭町から岩本山を見る 永源寺 庚申塔・観音像・写経塔 釈迦三尊像


旭町交差点までくる。旧道は交差点の50m先に北へ斜めに上っていく道があり、岩本山に直登せず
回り込むように上がっている。その前にすぐ西側にある永源寺を訪問した。境内にはいくつもの石造物。
明和4年(1767)の結界石、元禄9年(1696)の六地蔵、天明6年(1786)の庚申塔や年代不明だが
釈迦三尊像などが見られた。また、本堂向拝には板倉聖峯師の牡丹に獅子の彫刻がある。



永源寺を出て岩本山へ 琴平神社 琴平神社下の釈迦三尊 旧道を岩本山に登る


永源寺から元の旭町交差点北に戻り、斜めに細い道を登っていく。左手上に小さな赤い鳥居が見える。
急斜面を琴平神社まで登り周辺の石造物を探すが見あたらない。すると一旦元の道に戻って少し行くと
路肩に釈迦三尊像が祀られていた。舟形の石像は上段に釈迦三尊、下段に双体道祖神と二段になって
いるのは大変珍しい。坂を上ると旭町から広い道路の高原街道が接してくる。



岩本園 岩本山を登っていく 奥原圃場の茶畑 岩本山公園への道を横断


おそらく古道は広い通りに出ずに岩本山丘陵地を直に上っていった気がする。運動不足の体には少々
きついなと思った頃、上に福祉施設岩本園の建物が見えてくる。横を通りすぎて丘陵地の上に出た。
岩本山の山頂展望台は左の奥もっと高台になるが、今は真っ直ぐに茶畑の中を進む。曇天で残念
ながら富士の霊峰を拝むことはできなかったが、晴れたら絶景だろうと思う。



高原街道に出る 第六天神社 山本の双体道祖神 山本の馬頭観音


さて、ずっと広がる茶畑を過ぎて、下を新東名高速が通っている上あたりで細い道は高原街道に出て
しまう。出た所のすぐ左手が第六天神社。そして斜め前に茶色の表示板が見えている。反対側に
渡って確認。山本勘助ゆかりの勘助坂が近くにあるらしい。しかし、それより案内板の下方に石造物。
双体道祖神である。設立年は不明。それから左斜め前を見ると馬頭観音が路傍に祀られていた。



星陵高校前交差点 明星山登り口の道祖神 黒田小学校下交差点 左は西ルート(古代)へ


もうここから高原街道を自動車に気を付けながら真っ直ぐ辿って富士宮の市街地に入っていく。
星陵高校に入る交差点を過ぎたところに数基の石造物が見えてきた。道路に近いものから甲子神
の寛政6年(1794)、単体道祖神で設立年不明、馬頭観音像で設立年不明、大日如来像でこれも
設立年は不明であった。黒田小学校の前で大きく右にカーブして次の信号交差点を直進。左を
見れば、西ルート古代の星山から野中に行く所だ。



本光寺入口 潤井川の金谷橋 田中町の題目塔 JR身延線を渡る


北進した右へのT字路には本光寺参道への石塔とその後ろに題目塔。これがやや古そうなので
回り込んで設立年を確認すると寛文3年(1663)とちょうど350年も前のものである。潤井川の金谷橋
を渡ると左手の路肩に大きな題目塔が建っていた。文化6年(1809)設立のものと右下には金谷村衆
によって天明4年(1784)に建てられた双体道祖神がある。さていよいよ富士宮の市街地中心部に
入ってくる。新しい右側の陸橋を渡らずに直進してJR身延線の踏切を渡る。



県道414号を渡る 常泉寺門前の道祖神 東町交差点の先の参道 平等寺


左に行くとJR富士宮駅前に出る県道414号を越えて左手に常泉寺。門柱の左に題目塔があり、
享保8年(1723)の設立、また右には道祖神と法界萬霊塔があった。さらに歩を進めると変則の
十字路になった東町交差点。渡ると参道を石灯籠に導かれて平等寺の山門に行き当たる。この
山門は説明板によると明治維新の廃仏毀釈で壊されそうになった、富士市今泉の東泉院にあった
中門を解体移築したものだそうでかなり古く重厚な山門である。



平等寺裏の道を行く 萬松院 山門前の如意輪観音 富士山本宮浅間大社


さてもうわずか。平等寺は右手から回り込んで裏の道に入る。ここから西に真っ直ぐ行って浅間大社の
東手、湧玉池に出る。途中の萬松院の六地蔵と如意輪観音が山門前で出迎えてくれる。今回の
村山道西ルート、古代と合わせて富士山本宮浅間大社にて合流することになった。西ルートは
今後、北東方向に向かい村山の浅間神社まで登っている。予定コースタイムは約3時間なのだが、
ゆっくり歩き石造物の設立年代を見たり撮影したりで4時間半の所要時間であった。



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