村山道(吉原宿・西木戸跡〜村山浅間神社)



日時・行程
          2013年4月29日
          吉原宿西木戸跡 〜 吉原一中南 〜 富知六所浅間神社 〜 三日市公会堂 〜
          県道353号・伝法小東交差点 〜 国道139号・伝法二丁目交差点 〜 
          東名高速ガード下 〜 広見公園 〜 西富士道路・中原橋 〜 軽食トトロ 〜
          マルダイ・ビヨンズ前 〜 増田鉄工所交差点 〜 五十鈴前 〜 県道88号 〜
          新東名高速・辻畑橋 〜 釈迦堂 〜 境町 〜 千貫松 〜 大富町 〜
          杉田二区集会所 〜 次郎長町 〜 県道158号 〜 鞍骨橋 〜 市境 〜
          スナック彩 〜 横沢 〜 村山旧バス停 〜 東見付 〜 村山浅間神社


地図

国土地理院地形図(富士宮)     現地住宅地図(ゼンリン)



吉原宿西木戸跡 国道139号を渡る 吉原一中南を回り込む 富知六所浅間神社


近世東海道で吉原宿西木戸から分かれて真っ直ぐに北西方向に上っていく道があった。厚原から
大宮へと浅間大社参拝に向かう道だが、古来東国から富士山修験に訪れた者たちは今の田子の浦
で水垢離をして、この道から村山浅間神社経由で富士山に登っていった。今回は東ルートとして
この修験道を西木戸跡を出発点に村山浅間神社まで歩いてみた。



勧正寺跡 三日市公会堂 公会堂の先を北に向かう 地下道入口の道祖神


通称三日市の浅間神社である富知六所浅間神社は、明治維新の神仏分離までは東泉院が別当職を
務める富士下方五社の1つであった。この浅間神社から西に向かう。すぐ前に勧正寺の石塔が建ち
奥に小さな祠堂が見えるが、敷地はほとんどが空地化していて本堂の所在もわからない。この三日市
地区を西に行って2度ほど右左に路地を折れ公会堂前。この先を斜めに出ると東名高速富士ICから
下ってきた県道353号(港大通り)の伝法小東交差点。横断地下道の入口に草むらに隠れるように
2基の道祖神が祀られていたが、おそらく道路拡幅のため移動させられたものであろう。



県道353号を横断 国道139号を横断 厚原への旧道を渡る 右手に寺院跡の墓碑


伝法小東交差点を斜めに渡り酒類量販店の前の細い道を登る。やがてすぐに国道139号(大月線)に
出合う。ここは伝法二丁目と信号の表示だ。信号を渡ってY字を左に進路をとる。この上の交差点が
伝法から厚原(かつては熱原)を通り富士宮(かつては大宮)まで行った旧道であろう。所々石造物が
建っているのを知っている。今回は浅間大社には行かずに直接村山まで行くのでこのまま直進する。
右側の造成地の中に1段高く墓石群が見えた。どうも旧寺院の跡地で住職の墓石らしい。年代は
天明から寛政年間の刻字が見える



東名高速ガード 西富士道路広見IC西 広見公園西端 西富士道路中原橋


さらに登っていくと上に東名高速がはしってガードをくぐり抜けていく。500m行って西富士道路の
広見ICのすぐ西側に出た。ここは広見公園の西端になる。公園で小休止して西富士道路の中原橋
を渡る。このあたりからの富士山は誠に美しく見事だが、このルートはこれから先ずっと富士山は
見えていくはずである。



軽食トトロを右に入る Y字路を左に 増田鉄工所交差点 第1の道しるべ


中原橋を渡って西富士道路の側道をすぐの所、マルダイの大きな看板と軽食トトロの間の細い道が
古道である。ここを入ってY字路を左に行くと大きな工場地帯である。抜けたところの増田鉄工所の
交差点を本来は斜めに上るのだが、新東名高速の建設で分断され、やむなく少し左を迂回する。
さて、増田鉄工所の北向いに第1の道しるべがあった。左 むら山道 東 三ツ倉 と刻まれた高さ
50cm程の自然石である。



新東名入口手前を北に 県道88号を横断 新東名高速辻畑橋 釈迦堂手前の馬頭観音


左に迂回するとすぐに新東名高速の入口であった。ルートは手前を北に県道88号を渡り、また新東名
も辻畑橋で渡って進んでいく。このあたりからはもう茶畑の中を道は続いている。700mほどで釈迦堂
のある交差点に出るが、その手前の道下に後ろ向きの石像があった。文化9年(1812)設立の馬頭
観音だ。当時の道の状況がわからないので何とも言えないが、道と反対側を向いている理由はわから
ない。



釈迦堂交差点 交差点下の道祖神 釈迦堂 堂内の石像群


釈迦堂交差点から200mも下った所に道祖神があると資料からわかったので行ってみる。この南北の
道も結構古い道のようだ。双体道祖神が2基と単体道祖神が1基建っていた。年代不明。再び釈迦堂
交差点に戻って参拝する。中は釈迦如来立像を中心に庚申塔や地蔵菩薩等が祀られていた。



第2の道しるべ 境町(左 む ○ ○) 道しるべを左に 三社氏神社の石塔群


釈迦堂交差点から登って上の方に新富士病院が正面に見えるY字路に第2の道しるべはあった。
ここは境町。ここから先はしばらく富士市と富士宮市との市境になっている道を行く。表示は判別
しにくく、左 む としか読めない。Y字路を左に行くと千貫松の交差点。右に行くと大渕中野の交差点、
左は杉田から小泉若宮の西富士道路出口に向かう。信号の交差点にコンビニがあった。この先
飲食物の補給とトイレは困難が予想されるため、コンビニでペットボトル1本購入、トイレを拝借した。
信号渡った先に三社氏神社があり、ここが村はずれなのか何基もの石塔が建っている。明和・天明
から大正・昭和まで数時代にまたがり馬頭観音が5基あった。



千貫松交差点を北に 第3の道しるべ 大富町Y字路を左に 第4の道しるべ


交差点から250m位行った所で第3の道しるべを見つける。ここは大富町。表示は 左 むら山道
ここはX字状の間に建っているが、この先15分も登っていった所のY字路に第4の道しるべがあり
ここは漢字で 左 村山道 と微妙に違いがある。またここには並んで自然石の題目塔もあった。
刻字が消えかけてややわかりにくいが正徳4年(1714)らしい。



杉田二区集会所 集会所前を北西に 次郎長町 第5の道しるべ


Y字の左側をS字に300mも登ると杉田二区の集会所があった。道の右側が富士市大渕、左側は
富士宮市杉田になる。ここを北西に行くと大渕も次郎長町に入っていく。町名の通り江戸末期に
活躍した侠客、清水の次郎長が子分衆と明治時代に開墾した土地である。次郎長町に入って
十字路交差点に第5の道しるべはあった。



次郎長町(左 村山道) 次郎長町(道祖神) 次郎長町(右 よし原) 次郎長町(馬頭観世音)


次郎長地区の公会堂から南西に下った交差点、さらに下へ下ると天間方面に。ここを横切る角に
50〜60cm位の道祖神と並んで第5の道しるべがあった。ここも 左 村山道 である。道祖神は
昭和52年(1977)と新しくきれいなままであった。並んだ2基の西側にもう1基の自然石が建って
いて、文字をたどるとゴツゴツした表面に 右 よし原 は、はっきりしているが、左 ぼんぶ川 と
そのように読めて石の向きはこれでよいのか。凡夫川は下っていった天間を流れている川だ。
その先にも馬頭観音の文字碑。明治拾有八年とあるから1885年と比較的新しい。



八大金剛童子の石碑 第6の道しるべ 右 村山道 富士山 県道158号の市境


道が大きく右にカーブする頂点奥に天保4年の大きな八大金剛童子と書かれた文字碑が建つ。富士嶺
行所ともあるので修験者は間違いなくここを通っていたはずである。ここから200mも行くと右手に
自動販売機が並ぶ。その下に村山道の立札と第6の道しるべ。ただ、この石は真新しく非常に不自然な
気がする。 右 村山道 富士山 とあり、自販機の横の細い道を入るということだろう。すぐに県道
158号に出て富士・富士宮市境の表示板が見えている。



県道を渡り北へ 鞍骨橋 富士宮市粟倉に入る 石仏群


県道を横切ってそのまま上ると鞍骨橋で市境と別れて富士宮に入っていく。ここは粟倉地区。左手
富士根北地区に向かう広い道の手前で、ここにも道に背を向けた石仏群があった。古道といっても
実際は当時石仏前を通っていたのではあるまいか。現代の道を新しく通したのが石仏の後ろ側だった
のかもしれない。馬頭観音が4基、はっきり設立年のわかるものは文化10年(1813)のもの。



スナック彩を右に入る 彩前の馬頭観音 道なり(左)に登っていく 水神の石碑


広い道で左折するとすぐにスナック彩という店があり、その右脇の細い道を入っていく。店の前の
馬頭観音の年代は不明だが、隣の古い小祠は宝永3年(1706)と書かれていた。さて、道なりに
登っていくと新しい水神の石碑。このあたりの集落は昔は水が貴重で貯水槽を作ったり、逆に
大雨による土砂崩れがあったかもしれない。新旧取り混ぜて水神碑があちらこちらに建てられて
水神に祈りをささげている住民の姿が見えてくるようだ。



Y字路を左へ 第7の道しるべ 横沢区旧バス停 第8の道しるべ


道が二又に分かれ左に進路をとる。なんと分岐点のコンクリート壁に第7の道しるべが埋め込まれて
いた。ここも 左 村山道 である。道しるべ通り左に行くわけだが、もうここは村山の横沢地区。
X字状にクロスした所は、ロータリーになっていて、かつてはここまでバスが入ってきた。村山行の
終点だったらしい。ここに第8の道しるべを見る。ここはひらがなで 左 むら山道。左というのは 
X字状の左斜めにも上がれるが、実はこの左の家を左側からぐるりと回り込むのが本来の古道らしい。



旧バス停を左へ やがて合流する 東見付跡 東見付の道祖神


住宅を回り込んだ道は山道になってやがて先ほどの道と合流する。合流点から100mも行くか行か
ないところに東見付の跡はあった。古くてよくわからないが双体道祖神と平成元年(1989)という
本当に新しい地蔵が建つ。東見付跡から東側高くなったところを見上げると墓地がある。



東見付上の墓地 末代上人の墓碑 国道469号のガード 村山浅間神社


墓地の中で一際大きく目立った石塔に富士家とあるので、浅間大社宮司の富士家だろうと思われる。
富士氏は宮司ではあるが戦国時代には今川氏の恩顧を受け、北の武田氏からの防御をしたといわ
れる浅間大社の東側に大きな館を構えていた。富士家の墓石の背後に富士山修験の祖、末代上人
という文字のある墓石があった。墓地を出て登っていくと国道469号のガードが見えてくる。ガードを
くぐるともうすぐ村山浅間神社に到着する。コースタイムで3時間40分の予定を、昼食・休憩・寄り道
時間を入れて4時間40分とだいたい予定内の所要時間だった。ただしここからの帰りは国道469号
を粟倉団地まで下りて富士宮駅行のバスに乗らなければならない。



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