村山道(富士山本宮浅間大社〜村山浅間神社)



日時・行程
          2013年5月6日
          富士山本宮浅間大社(湧玉池) 〜 平等寺裏 〜 国道139号・阿幸地北交差点 〜 
          舞々木墓地 〜 舞々木橋 〜 重林寺 〜 粟倉団地 〜 国道469号 〜
          富士根北公民館 〜 観音堂 〜 妙心寺 〜 山辻の石畳 〜 道者道 〜
          国道469号 〜 西見付 〜 村山浅間神社


地図

国土地理院地形図(富士宮)     現地住宅地図(ゼンリン)



富士山本宮浅間大社 元城町の道祖神 双体道祖神 萬松院


村山道西ルートは古代・近世それぞれのコースから富士山本宮浅間大社で合流する。浅間大社に
参拝の後、湧玉池のある東側から旧道を辿る。元城町にある商店の店先に双体道祖神が祀られて
いた。設立年不明だが、富士宮にはこういう何気ない街角にいくつもの道祖神が見られる。その先、
萬松院の門柱の両脇、左手の中に六地蔵で右手の外に5体の如意輪観音・地蔵菩薩等、その内の
1体が正徳3年(1713)の設立だった。



平等寺裏を左折 国道139号阿幸地北 交差点北の馬頭観音 北進して登っていく


浅間大社鳥居前の大通りから1本北側の路地を東に向かう。平等寺まで来て左折して登っていく。
10分も登ると国道139号にあたる。阿幸地北と表示された交差点(6叉路)を渡った右手に幸楽と
いう中華料理店があって、ここのご主人が説明板を立てて馬頭観音を祀っている。2基ある内、
右側のものは明治34年(1901)という。前を通り過ぎて北に向かう。



舞々木墓地 墓地上のY字路を右へ 分岐に建つ道標 舞々木橋


阿幸地北交差点から500mも登ると左手に広い公園のような所が見えてくる。舞々木墓地である。
広い墓地前を過ぎてY字路にさしかかる。遠くから分岐点に建っている石造物が見える。近寄ると
道標であった。正面には 右 富士山道  側面には 寛政元己酉年(1789)林鐘日と刻まれている。
林鐘日というのは陰暦で6月のこと。道標通り右に行って舞々木橋を渡る。



橋を渡り川沿いを行く 六地蔵と供養塔 富士登山満行供養塔 重林寺


舞々木橋を渡り、川沿いにしばらく行くと多数の石仏が立っているのがわかる。中心に六地蔵、右に
富士登山満行供養塔と地蔵菩薩の文字碑。左は文化4年(1807)で石經供養塔と書かれていた。
なお、右の文字碑は弘化丙午だから3年(1846)と慶應二寅年だから1866年だ。奥には7体の小さな
石地蔵。石仏群を後にして広い道と合流して重林寺が見えてくる。



重林寺の題目塔 馬頭観音と道祖神 重林寺の脇を北進する 粟倉団地交差点


大岩方面から来た県道397号と重林寺西側で合流、その地点に題目塔が建っていた。真中に新しい
地蔵尊をはさんで大きな髭題目は下に馬頭観世音菩薩とも刻んである。また右側の題目塔の脇には
小さな馬頭観音像も建てられている。重林寺脇を過ぎさらに登って行って粟倉団地交差点。



国道469号交差点を右に 富士根北公民館を通過 粟倉観音堂 馬頭観音群


国道469号が粟倉団地入口5叉路でV字形になって上っている。この右側の道を登っていく。
やがて富士根北公民館の交差点を通過。粟倉団地入口から国道を登ること800m、そして約
400mも登って粟倉観音堂に着く。観音堂の中は拝観できなかったが、外には8体の馬頭観音像や
小祠、巡拝塔などがあり傍らの丁寧な説明板でよくわかる。



観音堂から少し戻る 東に入って妙心寺へ 妙心寺 国道と並行して旧道を行く


観音堂を見たら国道を行かずに古道を歩きたいので少し戻る。200m程も戻って東側に住宅の脇の
道を入る。目印がないのでわかりにくく妙心寺をめざして行ってみる。変形の十字路になった先が
妙心寺であった。ここも寺院の大屋根ではなく国道側からだとわかりにくい。本堂前で黙礼して境内を
通過、北側から出て前の道を北進する。



妙心寺の北の道祖神 北進していく 路肩に石像群がある 半分埋まった如意輪観音


少し行ったT字路状を左斜めに行くわけだが、畑の中に道祖神が建っていた。何か威風堂々と道案内
をしているように見える。さて古道は国道に近づきながら並行して登っていく。小さな十字路の右下に
半分土に埋もれた石像群があった。ほとんどが文字の判別ができない中で、如意輪観音像1体が
下半身は埋まっていたが、文化八未年とかすかに読める。西暦1811年にあたる。



山道を登っていく 山辻の石畳 旧表口登山道案内板 残っている石畳


さらに山道を登っていくと、妙心寺から25分くらいの所に石畳が残っていた。山辻の石畳と記された
標柱から右手の林の中に分け入っていく。入口には標柱と富士根北中生徒会の案内板があるので
迷うことはないが、あまり人の通行はないようだ。枯葉の下に敷かれた石が見えている。



旧登山道に入っていく 所々に倒木もある 旧登山道の出口 国道469号に出る


この表口登山道(道者道)は荒れているが何か昔のままの風情がよい。途中、倒木が何本も見られて
多少歩きにくさはあっても、そう長くは続かない。わずか15分程度である。出た所は国道469号の下
であった。妙心寺を出たすぐ上から、国道469号に上がるまで視界が全くきかないから、何か急に
国道に飛び出たような気がする。



西見付跡 西見付の馬頭観音群 村山の双体道祖神 村山浅間神社


国道に上がり渡った先が県道72号との分岐で、ここが西見付跡である。ここにも馬頭観音が見えて
設立年を見てみると天明6年(1786)安政6年(1859)と中の2体には刻されていた。西見付跡から
村山地区に入っていく。浅間神社までは東に直線で500mくらいである。途中民家の庭先に双体
道祖神を見る。やがて村山浅間神社に到着。浅間大社からのコースタイムは約2時間のところ
ちょうど3時間かかって到着した。



村山浅間神社拝殿 富士山興法寺大日堂 水垢離場 護摩壇


村山浅間神社境内を散策する。2つの石段を上がって鳥居をくぐり、拝殿と本殿。右手に興法寺大日堂。
ここは役行者(役の小角)が建立し、末代上人が大日如来を祀り修験を確立した所である。大日堂の
下に不動明王を祀って水垢離場。そして東の方に護摩壇があった。



浅間神社西側の道 村山口の修復された石畳 石畳出口 最奥民家の上の分岐


9時30分に村山浅間神社に着いたので粟倉のバスが14時ということから多少時間が取れ、もう少し
登ってみる。神社の西側の駐車場の北側に富士山村山口の石畳が修復されていた。ここからは結構
道案内も整備されていて迷うことはない。2〜3か所復旧された石畳を感慨深く登っていく。1番奥の
民家(鯛津宅)の上の畑の先で二又に分かれ、右が村山古道の表示がしてある。しかし、ここには
鎖があって無断での立入はできない。もちろん時間もありここから引き返す。往復で約1時間。
11時には村山に戻れたので、そこからのんびりと粟倉まで下りることにした。



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