村山道(富士川・中之郷〜富士山本宮浅間大社)



日時・行程
          2013年3月17日
          JR富士川駅 〜 岩淵一里塚 〜 光栄寺 〜 県道10号 〜 富士川楽座 〜 
          木島 〜南松野・法蓮寺 〜北松野 〜 県道76号 〜 蓬莱橋 〜 
          マルエスイミング 〜 星山 〜 倭文神社 〜 星山放水路 〜 県道76号交差点 〜
          第三中学前交差点 〜 西町T字路交差点 〜 富士山本宮浅間大社


地図

国土地理院地形図(富士宮)     現地住宅地図(ゼンリン)



JR富士川駅 岩淵一里塚 新豊院 八坂神社交差点


村山道を通り富士山に登山したルートは東西2ルートあるが、実は西ルートが富士川の流れに
よって古代は上流を渡っていた。つまり、今の富士川橋あたりを渡ったのは、かりがね堤ができて
からであって、それまでは蓬莱橋あたりを渡渉したのである。従って、まず西ルートの古代の道を
石造物をたよりに富士宮の浅間大社まで推定してみた。出発点は中之郷のJR富士川駅とした。



岩淵小休本陣 光栄寺入口 舟山町区に入る 身延道の起点


近世東海道を岩淵一里塚から小休本陣常盤家前を通り光栄寺の南側より少し下って舟山地区に
入っていく。眼下に富士川が見えるが、そのまま下るのは近世東海道である。左折した路地を
入ってすぐに光栄寺に上がる石段。左脇に大きな題目塔に隠れるように身延道の起点となる
道標が建っていた。松野へ1里半、万澤へ3里半、南部へ3里、身延へ3里とあり合計11里で
今の距離で約43kmくらいか。しばらくは富士川の渡し地点まで身延道を行く。



富士川右岸県道10号 富士川楽座 小山地区の常夜燈 松雲寺


舟山から下ると富士川右岸道路、県道10号に出る。交通量が多いがゆっくりと川を遡行していく。
東名高速のガードをくぐると東名のSAも兼ねている富士川楽座がある。ここの東側の駐車場は
富士山を眺める絶好のポイントだ。楽座の先の交差点、吉津地区から降りてくる所から県道を
離れ、小山地区の旧道に入る。すぐ左手に秋葉山常夜燈が建つ。嘉永4年(1851)11月と刻され
ている。さらに進むと曹洞宗普門山松雲寺がある。山門前の広場を過ぎ北に向かう。



木島入口 名号碑 木島地区に入る 木島地区の馬頭観音


旧道は1度県道に合流するが、またすぐに左に分かれる。ここから木島地区に入る。Y字路になった
信号の先左手に石塔群が見えていた。中に建つ南無阿弥陀仏の名号碑は元禄3年と刻まれている
ことから結構古く1690年の建立である。左は宝永7年(1710)の地蔵菩薩、右は宝永6年の巡拝塔
だ。ここから200mも行って左手山の方に登って木島地区をぐるっと回ってみる。地区内いたる所に
水神燈、庚申燈、観音碑、馬頭観音像、観音供養塔が見られる。



木島地区を出る 新東名高速を見上げる 南松野地区に入る 法蓮寺


先が長いので木島地区を出て急ぎ北進を開始。富士川体育館の上段を過ぎて富士川を回りこむ。
新東名高速の橋下をくぐり南松野地区に入っていく。本当は木島地区を回っていた所から山腹を
きて、新東名の下にある風の宮の馬坂峠を越えて南松野に下っているようだ。しかし、現在は
どうも道が途切れているようなので下を回ってきた。松野氏の菩提寺日蓮宗圓應山法蓮寺に立ち
寄り休憩。



南松野の道標 富士川第二小学校 県道76号北松野交差点 県道を東進


法蓮寺を出て旧道を北に向かうと次の交差点の右手に松野まちづくりセンター(旧名 公民館)が
見えている。このすぐ東側の細い道が身延道だと思われる。案の定、近くまで行ってみると
傍らに小さな石塔。よく見ると道標のようだ。左やまみち としか判別しにくいが、古道がここを
通っていたのは間違いなさそうだ。再び旧道に戻り富士川第二小学校・第二中学校を過ぎて
コンビニが角にある交差点に来る。県道76号でここで身延道とは分かれて右折する。



蓬莱橋から富士宮市 丸ヱ砂利から右折 星山下から対岸の松野 星山地区に入る


右折した県道はやがて県道10号の交差点。蓬莱橋の西詰である。交差点を渡り富士川を渡る。
橋の上から川下を見ると溶岩が露出した浅瀬になっていて、やはりこのあたりで渡渉していたのか。
そういえば、橋の手前右岸の地は船戸というようだし渡船場だったとしてもいいような気がする。
蓬莱橋からは富士宮市に入る。坂のカーブを登った途中右手にマルエスイミングクラブの大きな建物。
隣の丸エ砂利販売の所から川の方向に下っていく。ここは私有地なので本来は通行をためらう所
だが、心の中で通行のお願いをして急ぐ。やがて下った所から北東方向に上り返して星山地区。



甲子塔と双体道祖神 大悟庵 観音堂 倭文神社


星山地区は先ほどの県道76号と星山放水路に挟まれた緩い勾配の細長い丘陵地である。ここは
古代の歴史を紐解けば、渡来人が渡ってきて織物製紙を伝えたという富士市の製紙工業の発端が
この地にあるという伝説だ。それが倭文(しどり)神社。隣には観音堂と大悟庵。大悟庵は曹洞宗の
寺院で観音堂では縦30m横15mの白布に描かれた巨大な十一面観音像が開帳されていた。



星山出口の道標 月の輪平遺跡 星山放水路 黒田に入って左折


倭文神社でゆっくりと休憩をとり星山地区を出る。出口の放水路を渡る手前、小さな道標を見つける。
右 やまミち すぐ ほし山 かろうじて読めるかどうか半分が埋まっていてわかりづらい。放水路脇に
月の輪平遺跡の碑がある。古墳時代前期の集落跡のようだ。放水路を渡ってT字路交差点。ここを
左折するが、すぐ右は村山古道西ルート松岡筋が高原街道を通ってきている。



再び放水路を渡り西進 水神塔と道祖神 富士宮三中前交差点 三中前の道標


放水路を渡り返して西に進む。野中地区に入ってすぐ5基の石塔群が建つ。水神塔、道祖神、題目塔
時代は宝暦から寛政で1700年代中期から後期のもののようである。野中を通過して西端にある
第三中学の前で三叉路になる。左は芝川からくる沼久保道だ。この交差点中学の石垣に埋められた
題目道標がある。右 沼久保道 身延道 左 星山道 とある。



滝戸橋で潤井川を渡る 道祖神 西町T字路を右折 富士山本宮浅間大社


交差点を右に折れ滝戸橋で潤井川を渡る。身延線踏切の手前で真新しい道祖神を見る。以前の
ものが損壊したからなのか、昭和12年と刻まれていて新しい。踏切を渡って西町のT字路。町中
に入ると浅間大社はもうすぐである。西町で右に折れ、あとは真っ直ぐ東進し浅間大社の鳥居前
に着く。3時間半のコースタイムを写真を撮りながらの歩きで5時間半かかってしまった。



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