身延道興津筋も比較的新しく、東海道から身延山詣に使うのは近世になってからである。東海道より |
身延への3ルートは由比筋が一番古く、戦国時代の駿甲相3国が相争う戦場としての道であった。 |
永禄3年(1560)の桶狭間で今川義元が没し、それまで駿甲相3国の同盟によってバランスがとれて |
いた東駿河地域はにわかに戦場と化していく。永禄11年(1568)より武田軍はいよいよ駿河の地に |
攻め入ってくる。この時代には由比筋が尾根道であり安定した行軍ができるので武田氏により整備 |
され、駿河への主要道として使われていた。やがてこの地域を穴山信君(梅雪)によって武田方の手で |
統治されると、今川方の興津氏を追い横山城(興津城)も穴山氏の統治下におかれていく。万沢から |
興津に出る身延道は江戸時代になってから主要道として由比筋にとって代わり使われるようになった。 |
今回はこの身延道興津筋を2回に分け岩淵筋に合流する万沢宿まで歩いてみることにした。 |
興津 静岡県静岡市清水区興津 ↓ ![]() 宍原 静岡県静岡市清水区宍原 |
宍原 静岡県静岡市清水区宍原 ↓ ![]() 万沢 山梨県南巨摩郡南部町万沢 |
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