東海道由比宿の由比川から北に入り、入山地区より尾根を通って内房に抜ける。内房の富士浅間 |
神社で岩淵筋に合流する。この合流地点までを1回で歩いてみた。 |
途中には芭蕉天神宮があり、後醍醐天皇の勅使として久我大納言が富士宮の本宮浅間大社に参詣、 |
帰途につく時この大晦日での急死からこの地に祀られたという。 |
14世紀には使われていたことがわかるが、その後も武田氏が甲斐から今川氏が駿河から行き来が |
あり、中世・近世を通じて頻繁に往来する道であった。 |
1500年代武田氏の家臣である穴山信君(梅雪)によって伝馬制度が確立され公道として発展していく。 |
「みのぶ道」3コースの内、歴史的には一番古い道で、距離も短く興津筋・岩淵筋より尾根ルートを |
通ることから安定した通行が可能であった。 |
しかしながら時代は下って江戸時代になると、のちに開かれた興津筋・岩淵筋が中心となって、やがて |
由比筋は往来が途絶えがちになっていく。 |
今回は入山地区から旧芭蕉天神道といわれる尾根道が荒れていることから、朝日堂より尾根を西側に |
迂回して、槍野・桜野への分岐を経由して久保山に出た。ここからは芭蕉天神宮まで尾根道、廻り沢を |
下って内房に出るコースを記録したものである。 |
日時・行程 |
2014年10月27日 |
由比川西(北田) 〜 北野天神宮 〜 県道76号 〜 東山寺 〜 菅原天神宮 〜 |
由比入山郵便局 〜 朝日堂西 〜 銚子口の滝入口 〜 槍野橋 〜 桜野橋 〜 |
池田橋 〜 大桜橋 〜 久保山 〜 3市境 〜 大晦日 〜 芭蕉天神宮 〜 |
泉水分岐 〜 廻沢橋 〜 県道75号 〜 内房浅間神社 |
地図 |
東海道由比川橋西 | 妙榮寺 | 県道396号交差点 | 北野天神宮 |
東海道由比宿の由比川橋下に無料の駐車場がありよく利用している。今回もここがスタート地点で |
ある。6:45橋に上がると東海道を西に向かい、300mも行った和菓子店の横を北に入る。ここからが |
東海道と分かれて甲州に向かう「みのぶ道由比筋」となる。入るとすぐに妙榮寺。門前をさらに進み、 |
県道396号を横切って北に向かう。100mほどの交差点の左手に北野天神宮が見えて立ち寄る。 |
浜石岳への分岐 | 東海道新幹線ガード | 由比川を渡る | 菅原天神宮 |
北野天神宮から50mほど元に戻り北に進むと200m程の所が三叉路で左は浜石岳のハイキング |
コース。ここも真っ直ぐ進み東海道新幹線のガードをくぐって由比川に出る。川を渡って県道76号。 |
ここまでの所要時間が20分。ここからは県道76号の緩い上りを入山地区まで上っていく。 |
すぐ右手に菅原天神宮が見えている。 |
馬頭観音 | 東山寺の室野橋 | 室野会館前の供養塔 | 巡拝供養塔 |
菅原天神宮の向かい側に昭和12年(1937)5月の馬頭観音文字碑が建っていた。脇には2基の |
馬頭観音像と同じく2基の文字碑。街道のスタートにあたって道中の無事を祈らざるを得ない。 |
さて、ゆっくりと坂を上っていき、室野橋を渡って県道は由比川の右岸になる。橋の先右手にある |
室野会館前には大きな供養塔が建つ。秩父・西國・坂東 巡拝供養塔と彫られていた。設立は |
文化13年(1816)11月とあった。 |
入山の幸橋手前に地蔵 | 幸橋 | 郵便局前の馬頭観音 | 郵便局横の坂を上る |
幸橋を渡って入山地区に入る。橋のたもとにトタン板で囲われた地蔵が1体。設立年不明だが、やや |
新しいようだ。7:45出発地点からちょうど1時間。由比北小学校の前、由比入山簡易郵便局脇の |
細い坂を上る。郵便局前には1基の馬頭観音文字碑が建つ。設立は昭和2年(1927)と新しい。 |
みのぶ道は郵便局脇を上るようになっているが、この先集落の中を行くのは、今では全くわかりづらい。 |
上段の朝日堂に出るには小学校の先の広い道から上った方がはっきりしている。 |
入山郵便局裏の石塔群 | 銚子口の滝入口 | 由比川支流 | 槍野橋 |
郵便局の裏を回った所に石塔群があった。やはりこちらを行かなければなるまい。大小合わせて |
9基もの石塔が林立する。明治24年(1891)の馬頭観音、大日如来碑、昭和11年(1936)の馬頭観音、 |
天保14年(1843)の供養塔、延宝元年(1673)という古い題目塔もあった。山内集落を適当に上った |
せいで朝日堂は通り過ぎた所に出てしまった。8:15銚子口の滝入口。先を急ぎ道路より結構下に |
下りるようなので滝を見ずに通過。由比川の支流に沿って上っていく。やがて槍野(うつぎの)橋。 |
桜野橋 | 桜野橋から右に進む | 桜野橋先の崩落地 | 杉の樹林帯を行く |
槍野橋は渡って西に入っていくと槍野地区だが、橋を渡らずに川というよりこのあたりはもう沢くらいの |
川幅になっているが、左岸の道を北に向かう。10分ほどで今度は桜野地区に入る桜野橋。ここで |
地形図では標高233m地点。出発点が8mだからもう225mも登ってきたことになる。桜野橋も同様に |
渡らずに右寄りに進む。この先は前の台風で斜面が崩落したようで、今ではきれいに土砂も片づけら |
れていたがその爪あとが残されていた。 |
池田橋 | 浜石池田線は崩落 | 大桜橋 | 瓜島線も崩落通行止 |
桜野橋から20分で池田橋。林道浜石池田線の終点である。だがこの林道も崩落倒木で通行不能。 |
ここから15分で大桜橋で、林道瓜島線の分岐。やはり瓜島へも通行止であった。昨年、今年と |
どうもこの山域から山梨県南部にかけて、かなり山は荒れているようである。 |
久保山地区 | 鬼子母神・福沢へも通行止 | 久保山佐野家の稲荷社 | 久保山佐野家の墓地 |
大桜橋で道はややT字路になって東の方に曲がる。この先はもう久保山地区だ。ここには民家が1軒。 |
約300年前にこの地に土着した佐野家が残り、稲荷社・代々の墓地と共に歴史を感じさせている。 |
佐野家前で道は直角に曲がり尾根の上を北に向かっている。曲り鼻には鬼子母神から福沢に通る |
道があったがやはり通行が厳しそうだ。おそらくここから尾根上を通って朝日堂に出るのが旧の |
芭蕉天神道だと思われ、中世往来の盛んだったころはここを通ったに違いない。 |
3市境 | 本コースの最高点 | 大晦日への下り | 樹間に富士山を見る |
9:48佐野家前から20分ほど尾根道を北に辿ると、上に高圧線が通る手前で、このあたりが3市境。 |
富士市南松野・富士宮市内房・静岡市清水区久保山の境目で、この下には新東名高速の富士川 |
トンネルが通っているはずだ。やがて高圧線の通るあたりが今日のコースの最高点か。約440m。 |
もうあとは内房へ下る一方になる。大晦日(おおづもり)地区まで約20分快適に下っていく。 |
久我大納言石入口 | 樹林下に社殿を見る | 大納言石の入口斜面 | 大晦日と天神宮の分岐 |
大晦日まで下っていくと左手に標識が立つ。芭蕉天神宮のもとになった久我大納言石があるらしい。 |
ただ、入口を示す看板の所は樹林帯の中で結構な斜面を登るように矢印。それらしい道も見落とした |
かもしれないが、先を急ぎ大納言石には向かわない。反対側を見ると樹林の中に赤い屋根が見えて |
いた。どうもこの下に芭蕉天神宮の社殿があるようだ。大晦日集落への分岐から下に降りる。 |
天神宮参道で右が廻り沢 | 芭蕉天神宮参道 | 由緒書石板 | 社殿説明板 |
分岐を鋭角に曲がり降りると広い駐車場。内房から車で来るとここに駐車する。駐車場の下に見えて |
いる参道入口の大きな石塔で、そのまま鋭角に下ると内房方面である。以前から気になっていた |
芭蕉天神宮の社殿を見学に参道を下っていく。今までかなり多くの神社に参拝してきたが、通常は |
参道・石段を上った所に社殿が建てられているが、ここは逆に参道を下った所に(谷底)に社殿がある。 |
白髯神社 | 天神宮鳥居 | 鳥居下をさらに下る | 650年祭奉賛者名板 |
鳥居脇には白髯神社。鳥居をくぐり右手の奉賛者名が刻まれた石板を見る。芭蕉天神宮650年祭の |
ものだが、そうそうたる顔ぶれの名があり大納言の子孫か元公爵の久我氏。中でも女優の久我美子 |
さんの寄贈名もあった。鳥居をくぐってもさらに下る。 |
芭蕉天神宮拝殿 | 親子の狛犬 | 拝殿額 | 神馬 |
10:30芭蕉天神宮に到着。じっくりと本殿彫刻を見ながら昼食をとる。境内を散策する。大納言が |
浅間大社参詣後の帰途、この地で馬上にて倒れたとかという伝説で白馬が祀られているのか。 |
一番興味を持ったものに狛犬がある。奉納年代は不明だが何か微笑ましいような親子の狛犬で |
あった。傍の灯籠が文政9年(1826)とあったからやはりその頃のものだろうか。 |
拝殿と本殿 | 本殿向拝 | 本殿海老虹梁 | 境内の芭蕉の木 |
芭蕉天神宮 ・拝殿 嘉永5年(1852)再建 ・本殿 明治13年(1880)再建 ・社務所 明治18年 |
・厩 明治17年5月 ・手水舎 明治17年5月 |
・無格社 ・弘化2年(1845)境内出火の際に文庫焼失したので詳細は不明 |
・住所 富士宮市内房字大晦日5820 |
・創建 (伝)建武元年(1334) ・祭神 菅原道真・久我長通 ・神紋 梅鉢 |
・本殿彫刻 蟇股(鳳凰)蟇股裏(竹に麒麟)海老虹梁(上り龍下り龍) |
向拝柱(上り龍下り龍) ・彫工 後藤芳治郎重利 |
猿田彦大神 | 側面は道標(文政5年) | 芭蕉天神社(文化12年) | 天神道 道標 |
参道入口の由緒板横と裏にある石柱3基。猿田彦大神は東海道由比宿へ二里半。文政五壬午(1822) |
年七月十六日。芭蕉天神社は文化十二亥年(1815)そして、天神道道標は設立年不明だが右に |
ミのぶと読める。 |
廻り沢への下り | 下り道の馬頭観音像 | 泉水地区への分岐 | 内房方面に行く |
参道入口の石板・石塔群から帰途につく。廻り沢を右下にどんどん下っていく。途中正面に塚状の |
こんもり盛り上がった所は大晦日集落から来た道との合流点だ。塚をぐるっと回り込んで下る。 |
小さな馬頭観音を左下に見て泉水地区への分岐。廻り沢川上流の泉水地区への下り道は泉水橋を |
渡ってリバー富士のゴルフ場から富士市北松野に抜けられる。11:42標識の内房方面に向う。 |
崩落個所の補修地 | 樹間に対岸を見る | 廻り沢と対岸の毛通り | 秋葉山常夜燈 |
だんだん廻り沢川の音が大きくなってくる。真新しいコンクリート道とガードレールが見えてきた。 |
最近この個所が崩落したと思える。しばらくは内房から入る天神道は通行止だったようだ。補修ヶ所を |
過ぎると川の対岸に廻り沢地区の集落が見えてくる。そして、樹林が切れてきたところからは遠くに |
岩淵筋の毛通りのルートがわかる。上部欠落した秋葉山常夜燈は天保3年(1832)のもの。 |
対岸の祥禅寺 | 内房 芭蕉天神宮入口 | 廻沢橋 | 内房富士浅間神社 |
もう内房で岩淵筋との合流点はすぐである。対岸の祥禅寺が見えてくると廻沢橋に出る。橋を渡って |
内房宿跡から本日の到着地たる富士浅間神社に着くのは12:25であった。6:45に由比川橋を出て |
から休憩時間を含めて5時間40分であった。地図上の距離は15.57km。 |