中世東海道(黄瀬川宿〜永倉駅)
日時・行程 |
2012年1月8日 |
沼津蓮光寺(車返しの里) 〜 日枝神社 〜 黄瀬川宿 〜 大光寺 〜 |
諏訪神社 〜 西園寺 〜 上石田 〜 県道22号南小林 〜 尾尻公園 〜 |
一柳直末の墓 〜 下長窪交差点 〜 蓮華寺(永倉駅) 〜 城山神社 |
地図 |
蓮光寺 | 日枝神社 | 黄瀬川宿 | 黄瀬川大橋右岸を左折 |
東海道は古代には足柄路がメインであった。いく度かの富士山の噴火で箱根路が開かれ、中世から |
近世にかけて急峻ではあるが距離的に近い箱根路が主に選ばれるようになった。古代・中世の関東 |
への道筋は蒲原から分かれ根方道と浦方道があり、浦方道は黄瀬川宿で箱根路と足柄路に分かれ |
ていた。今回は中世東海道が足柄路に向かうコースを辿ってみた。 |
推定箱根路との分岐点 | JR東海道線のガード | 臨済宗大光禅寺 | 大光寺境内の馬頭観音 |
黄瀬川宿までは車返しの里から三嶋大社のコースと同じである。黄瀬川大橋からが本日の出発点と |
なる。右岸の堤防沿いに遡るとすぐに二又に分かれている。右手にはマキタ沼津と丸富製紙の工場 |
群で、このあたりで箱根路と分かれていたものだと思われる。Y字路を左方に行き、道なりに進むと |
JR東海道線の高架に突き当たりやがてガードをくぐった所に大光寺があった。臨済宗の禅寺だ。ここ |
までは蓮光寺を出て約1時間、黄瀬川大橋から20分である。境内にある馬頭観音は文化4年(1807) |
と表示されていた。 |
大光寺門前SKハイツを右折 | JR御殿場線黄瀬川踏切 | 諏訪神社 | 県道87号を横断 |
大光寺を出てすぐのSKハイツと書かれたアパートの交差点を右折。しばらく行くとJR御殿場線に出 |
合う。この黄瀬川踏切を渡り北進していく。左手に諏訪神社があるが由緒書きや説明板もなく特に |
いつ頃創建されたものかはわからない。しかし社寺を辿る道はおそらく古来からの街道であったと |
推測される。やがて旧国道246号であった現在は県道87号(長泉町役場から394号に変わる) |
に出るが、ここを突っ切り進んでいく。 |
国道1号ガード | 沼津市大岡北街道地区 | JR東海道新幹線ガード | 西園寺本堂 |
国道1号の大きなガードが見えてくる。ここをくぐり抜けると沼津市大岡の北街道地区と表示されて |
いた。やはりこの道が古代永倉駅を通り足柄路に向かっていた道に違いないと勝手に納得する。 |
このあたりの細い道のわりに両側の家々はかなり広い屋敷が建ち並ぶ。中にはいかにも旧家を |
思わせる造りをした建物も見えていた。JR東海道新幹線のガードをくぐると右手に西園寺の入口。 |
ずっと黄瀬川沿いに歩いていくので本堂裏の黄瀬川を見に西園寺境内に入ってみた。 |
西園寺裏の黄瀬川 | 上石田山の神様 | 渡戸川放水路 | 沼津消防22分団前三叉路 |
西園寺本堂を回り込んで瀬の音のする方に向かう。市街地を流れている川にしては浮遊物ゴミの類は |
見られず爽やかさが漂っていた。西園寺を後にして北に向かっていく。T字路にあたると小さな祠が |
祀られていて上石田山の神様と書かれた看板が建てられている。ここを道なりに左の方に折れる。 |
やがて黄瀬川に流れ込んでいる渡戸川の放水路を越えると沼津市消防団第22分団のある三叉路。 |
分団前三叉路に建つ石像・石塔 | 県道22号(根方道)と合流 | 南小林交差点 | 黄瀬川牧堰橋 |
三叉路の橋のたもとに石像と石塔が建っていた。石像の方は如意輪観音か、また石塔は刻まれた |
字も判別できず年代も不詳だが、いずれも幕末頃の道祖神のようなものだと思う。この三叉路は |
用水路に架かる橋を渡り左方に進む。この先が県道22号である根方道と合流する交差点だ。ここを |
右折してしばらく行くと南小林の変則五叉路に出る。ここまで蓮光寺から約1時間50分、黄瀬川大橋 |
から1時間10分かかった。すぐ東側を流れる黄瀬川に鮎壺の滝という所があるらしく寄り道をしようと |
牧堰橋から右岸を下るがすぐ国産電機の敷地内になってしまい断念。 |
南小林五叉路を北に向かう | 尾尻公園 | 一柳直末の墓(首塚) | 首塚の説明板 |
再び南小林交差点に戻り五叉路を北に折れていく。このあたりから緩い上り坂になって沼津市から |
長泉町に入る。右手奥の尾尻公園にて小休止。公園の1本北側の道筋に一柳直末の墓がこんもり |
とした木の下にあった。説明板によると天正18年(1590)秀吉の小田原城攻めの時、戦死した一柳 |
直末の首を家臣が敵方から守りこの地に葬ったとされている。このような話は信長の首塚といい |
各地に残る伝説だが真偽は疑わしいものである。 |
桃沢川高橋 | 下長窪交差点 | 下長窪交差点から見る富士山 | 交差点に建つ石仏群 |
長泉町下長窪は桃沢川の高橋を過ぎ広い交差点に着く。交差点東側に石塔・石仏群が見受けられ |
近づいてみるが、やはり年代等刻された字は判別し難くその形から観音像・地蔵ではないだろうか。 |
中に1点新しい石板が建ち大黒天と記されていた。 |
推定永倉駅跡の南側 | 推定永倉駅跡の北側 | 法華宗蓮華寺 | 蓮華寺の題目塔 |
史料によるとこの下長窪交差点の北側一帯が永倉駅があった地とされる説が有力である。しかし |
今では全くその面影がないどころか普通の住宅地になっている。ただ右手の蓮華寺や題目塔が |
建つところに古の駅の所在が偲ばれる。この先街道がどこから黄瀬川を渡り足柄古道になって |
いくのかは判然としない所があるが、自分なりに推測して北にある城山神社の東から渡渉したこと |
にしてとりあえず城山神社を今回の到着地点に定めた。 |
城山神社前交差点 | 観世音菩薩の石板 | 観音像 | 交差点に建つ道しるべ |
城山神社前交差点に到着する。本当にのんびりと歩いてきたので蓮光寺よりちょうど3時間かかって |
しまった。黄瀬川大橋からは2時間20分である。交差点の北西側一段高い所に城山神社があるが、 |
その下に観音石像と道しるべが建てられていた。往古よりここに建てられていたのかは不明である |
も、やはり黄瀬川宿から足柄路に抜ける古道としてこの地を通過していたことが推測される。道しるべ |
の南面には「右 みくりや 左 山みち」と刻されている。つまりここまで上ってきた街道が城山神社の |
高台に突き当たって右折し黄瀬川を渡ったという一説ができるのではないだろうか。 |
城山神社説明板 | 城山神社拝殿 | 長久保城説明板 | 長久保城曲輪と土塁跡 |
新築されている城山神社の拝殿に一礼して周囲を散策する。中世の時代には長久保城として駿河・ |
甲斐・相模3国の争う重要な拠点となっていた地である。社殿の建てられている場所も曲輪の跡と |
はっきりわかる土塁跡に囲まれ、北の方に連郭しているように見える。ただ残念なのは長久保城址 |
として完全な形態をとどめておらず国道246バイパスが曲輪を分断していることだ。昼食後帰途に |
つくのは交差点を東に向かい、黄瀬川を渡って旧246号(現県道394号)に出てJR御殿場線の |
長泉なめり駅から沼津に戻った。県道394号はかつて長泉町下土狩から小田原までの足柄古道 |
を歩いたコースに合流するものだ。 |
【参考資料】 |
更級日記・・・ 東から西への道中 この地点での記述 |
特に記載なし (足柄山・横走・岩壺より富士山までの間記載なし) |
海道記 ・・・ 西から東への道中 この地点での記述 |
木瀬川の宿場に泊って粗末な萱葺の家に休んだ。ある家の柱に、中納言宗行卿が |
和歌一首を詠み一筆を書き留めておかれた。15日木瀬川を出発。遇沢という野原を |
通る。この野原は何里ほどかわからないほど広い。 |
東関紀行・・・ 西から東への道中 この地点での記述 |
特に記載なし (黄瀬川宿から箱根路のため) |
十六夜日記・・・西から東への道中 この地点での記述 |
特に記載なし (黄瀬川宿から箱根路のため) |
春の深山路・・・西から東への道中 この地点での記述 |
特に記載なし (黄瀬川宿から箱根路のため) |