中世東海道(沼津・車返しの里〜三嶋大社)
| 日時・行程 |
| 2011年11月27日 |
| 沼津蓮光寺(車返しの里) 〜 日枝神社 〜 日吉廃寺跡 〜 日枝神社 〜 |
| 県道380号 〜 黄瀬川宿 〜 黄瀬川渡渉地点 〜 黄瀬川橋 〜 |
| 特種東海製紙 〜 長泉町竹原 〜 三島高校 〜 伊豆国分寺 〜 |
| 広瀬通 〜 伊豆国府跡 〜 圓明寺 〜 桜小路 〜 三嶋大社 |
| 地図 |
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| 蓮光寺(車返しの里) | 推定・車返しの坂 | 蓮光寺前を東に向かう | 蓮光寺東側の高台 |
| 車返しの里があったとされる中心地である蓮光寺が今回の出発点だ。沼津市誌等で車返しの坂を |
| 蓮光寺東側の坂に比定しているが、沼津史談60号に掲載された宮下義雄氏の説では蓮光寺西側 |
| 国道414号を挟んだ向い側としている。そして蓮光寺から日枝神社に延びた高台から狩野川にかけ |
| 広い地域が車返しの里といわれていた。 |
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| 山神社 | 日吉廃寺塔跡の礎石 | 日吉廃寺説明板 | 日吉廃寺当時の伽藍配置 |
| 蓮光寺前から東に向い日枝神社北からJR東海道線日吉踏切まで緩い坂道を北進すると、線路脇に |
| 山神社がある。この地が日吉廃寺跡で現在塔跡の礎石が保存されている。詳細は不明だが白鳳 |
| 時代に創建された大寺院があって、西方の式内社である丸子神社と共にこの地域に駿河郡家の所 |
| 在地であったとされる説の有力な根拠となった。 |
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| 日枝神社 | 日枝神社北側の道を東進 | 県道380号に出る | 県道の下石田地区を東進 |
| 日枝神社まで戻り日吉廃寺往復に20分かかった後、北側の道を東進する。現代では完全に古道を |
| 辿ることなど不可能で、ここでも平成建設の敷地に突き当たり右折して県道380号に出る。近世の |
| 東海道下石田地区だ。しばらく県道を歩き東下石田交差点で近世東海道と分かれ県道380号をその |
| まま東進する。 |
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| 黄瀬川地区に入る | 黄瀬川宿跡 | 黄瀬川宿からの富士山 | 黄瀬川宿東側一帯 |
| 日枝神社から20分ほどで黄瀬川地区に入る。黄瀬川宿に比定される地域はこの地区の字名から |
| 見ても広範囲にわたっているようで、いずれの文献史料からも黄瀬川橋右岸が中心であり、ここから |
| 「春の深山路」に見えるように足柄路へ分岐路もあった。黄瀬川宿からは沼津市街からは見えにく |
| かった富士山も愛鷹山の上から山頂部が見えている。 |
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| 県道黄瀬川大橋 | 黄瀬川右岸渡渉地点 | 右岸から対岸渡渉地点を見る | 黄瀬川渡渉地点から上流を見る |
| ここで当時の黄瀬川を渡り三島に向かう道は何説かに分かれていて渡渉地点を探ってみる。黄瀬川宿 |
| を川の右岸地域とする説より、現代の木瀬川から北側に長泉町本宿という地名があって、また清水町 |
| の新宿という地名をもってしてこのあたりを渡っていたのではないだろうか。県道黄瀬川大橋から右岸 |
| 堤防を上流に遡り、マキタ沼津で大きく川が湾曲した向こうの丸富製紙あたりが右岸渡渉地点と仮定し |
| 対岸を見ると八幡樋管の水門が見える。おそらくこのあたりであろう。 |
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| 黄瀬川大橋を渡る | 清水町に入る | 国道1号側道から左岸に迂回 | 側道から降りる |
| 県道黄瀬川大橋まで戻り、堤防往復30分を要した。橋を渡り清水町に入る。推定渡渉地点では今では |
| 橋もなく渡渉も不可能であるため迂回して左岸に回りこむ。県道380号が長沢信号の先、国道1号と |
| 立体交差をしている脇の側道を左折する。側道が国道1号に合流する手前で下の道に降りていく。 |
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| 左折して左岸堤防に向かう | 山一金属構内から堤防に出る | 左岸渡渉地点の八幡樋管 | 左岸から対岸渡渉地点を見る |
| 澤村梱包商事の木材置場を左折すると堤防に向かう。山一金属構内を突っ切って堤防に上る。八幡 |
| 樋管と表示された水門に出た。対岸に丸富製紙の大きな工場が見えている。先程右岸から見た渡渉 |
| 地点と思われる所である。当時橋はなく舟か徒歩で渡ったであろうと思うが、だいたいこの地点を中心 |
| に上流JR線鉄橋から下流は鈴与商事ガスターミナルあたりで渡っていたのではないだろうか。 |
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| 国道1号のガードをくぐる | JR東海道線のガードをくぐる | 工場を回りこむとJR御殿場線 | 特種東海製紙正門前 |
| 再び国道1号下の道に戻りガードをくぐる。そこはもうJR東海道線の側道になっていて、JR線のガード |
| もくぐって北に進む。左側が長泉町、右側が清水町の境界線になっていた。実際には清水町と長泉町 |
| にまたがった特種東海製紙工場の構内を東進していたらしい街道だが、やむをえず北側に回りこんで |
| 東を目指すことにする。 |
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| JR東海道線竹原踏切 | 竹原陸橋南交差点 | 三島高校北交差点を右折 | 三島高校正門前 |
| 工場正門前からゆっくりと10分も歩くとJR東海道線竹原踏切を渡って竹原陸橋南の信号まで来ると |
| その先に三島高校が見えている。三島高校北の信号交差点を右折して高校正門前に出る。特種 |
| 東海製紙前から来て、三島高校でクランクして東進するわけだが、地図で見ると実際には工場と |
| 高校の広い敷地の中を真っ直ぐに街道が通っていたような気がする。 |
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| 三島高校正門前を東進 | 境川を渡り三島市に入る | 伊豆国分寺 | 伊豆国分寺本堂と庫裏 |
| 高校正門前を東進するとこのあたりが清水町の新宿だ。やがて小さな境川を渡っていよいよ三島市 |
| に入って行く。境川から5分も歩くと左手に伊豆国分寺の山門がある。現在の国分寺(旧称日蓮宗の |
| 蓮行寺)本堂裏手に往時の塔址の礎石が残っており、国の史跡に指定されている。 |
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| 史跡 伊豆国分寺塔址 | 塔跡の礎石 | 国分寺当時の伽藍配置 | 伊豆国分寺塔跡の説明板 |
| 国分寺は聖武天皇の時代、天平13年(741)頃から全国に建立された国立寺院である。そして伊豆の |
| 国分寺はここから広小路に北側一帯に建てられていたとされているが、当時の伽藍配置の西側に |
| 位置する塔址の礎石が8個残されているのみである。塔は七重塔で高さ約200尺というから、およそ |
| 60mくらいもあったようだ。 |
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| 伊豆箱根鉄道蓮行寺踏切 | 蓮沼川の歌舞伎橋を渡る | 源兵衛川の広瀬橋を渡る | 広瀬通に入る |
| 山門前を東進し伊豆箱根鉄道は蓮行寺の名前の残る踏切を渡り、三島市中心部に入って行く。 |
| さすがに湧水の豊富な土地で小さいながらも清流が幾筋も街中に流れていた。そのまま東に向かう |
| 道は1本南の表通り、近世の東海道三島宿のすぐ北側である。広瀬通とまた鎌倉古道と表示されて |
| いた。 |
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| 伊豆国府跡 | 楽寿園南側の地 | 圓明寺参道 | 圓明寺山門 |
| 広瀬通も東側三島駅から本町通に来る道の西側一帯に伊豆国府があったと思われる。ちょうど楽寿 |
| 園の南側である。今では住宅が密集して全くそれがどこだったのか比定することも難しい。本町通を |
| 渡り圓明寺参道を過ぎる。圓明寺の山門は江戸時代に三島宿本陣としてあった樋口家の表門が移築 |
| されたものだといわれているが、鎌倉〜室町時代の薬医門という様式で江戸時代の本陣の表門で |
| あったということは非常に貴重なことらしい。 |
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| 御殿川の赤橋を渡る | 桜小路は三嶋大社に突き当たる | 三嶋大社 | 大社の北東方向に古道は続く |
| 圓明寺参道前の道を桜小路というようだが、御殿川の赤橋を渡って三嶋大社の西側に突き当たる。 |
| 三島市街地の鎌倉古道は明瞭であるが、蒲原宿から辿ってきた今までのコースは鎌倉時代の日記 |
| 紀行文学を参考にし、昭和55年3月に発行された静岡県文化財保存協会による調査報告書に基づ |
| いて独自に推測した古道ルートに他ならない。当然13世紀から21世紀にはいった現代では全く |
| 環境は異なり、当時の風景を偲ぶことはできない。しかし自然の地形はそんなに変わってはいない |
| だろうし、いろいろと想像を廻らし古道を探しながらのゆったりとした歩みもいいものである。三嶋大社に |
| 到着し、大勢の参拝客の間を抜けて北東方向の道に出ると鎌倉古道は箱根に伸びている。 |
| 【参考資料】 |
| 更級日記・・・ 東から西への道中 この地点での記述 |
| 特に記載なし |
| 海道記 ・・・ 西から東への道中 この地点での記述 |
| 車返しという所を通る。車返しというからには、昔、蟷螂が道に立ちふさがって |
| 旅人の車を止めた所だろうか。それとも路上で土の城を作って遊んでいた子供が |
| 孔子の命令を聞かずに車を引き返させたことがあったのか。私たちは馬に乗った |
| 旅人なので車を返すこともなく連れ立って過ぎた。木瀬川の宿場に泊って粗末な |
| 萱葺の家に休んだ。 |
| 東関紀行・・・ 西から東への道中 この地点での記述 |
| 車返しという里がある。ある家に泊ったら網をひいたり魚を釣るのを家業とする |
| 漁師の住家であったのか、その夜の宿りは臭気がひどく床の敷物も足りないこと |
| であった。伊豆の国府にきたので、三嶋神社の境内に参拝申し上げたが、松に |
| 吹く風が木陰の奥に響いていて、庭の様子もおごそかである。この神社は伊予 |
| 国の三嶋大明神を勧請したのだと聞くにつけても、能因法師が伊予守実綱の命令 |
| によって、雨乞いの歌を詠んで奉ったところ、日照りの続いていた空から雨が急に |
| 降ってきて、枯れていた稲の葉がたちまちに緑の色にもどっていったという、その |
| 霊験のあらたかな神の分かれということであるから、言葉にかけて言うのも畏れ |
| 多く思われる。 |
| 十六夜日記・・・西から東への道中 この地点での記述 |
| 伊豆の国府という所に宿る。まだ夕日が残る時刻に三嶋明神に参詣するという |
| ので詠んで奉納する。「いじらしいと三嶋の神も見てくださいましょう。ただこの宮に |
| 詣でたくてやってまいりました」「伝えるべくして自然に伝えてきた歴史もあるのです |
| から、神もおわかりくださいましょう。私の主張する歌道の家としての正しさを」「この |
| 社に尋ねてきて私のこれから越えかかる箱根の難所で山越えの苦難のかいがある |
| ようにと、道案内の三嶋の神様のご助力をお願いいたします」 |
| 春の深山路・・・西から東への道中 この地点での記述 |
| 黄瀬河は足柄越えの道にあたるので横目に見て通り過ぎる。駿河の国府の近くに |
| なって小さい川がある。「雨降り河」というのでそのわけを聞くと「雨が降らない時は |
| 水がなくなる」という。興味深いことだ。国府に着いたところ、本当に御手洗河の清く |
| 澄んでいることは、神の御心がこのようかと推量されてありがたい。これは三島明神 |