下街道‐2‐(元吉原〜中吉原〜前田〜川成島〜五貫島)



日時・行程
          2017年 8月18日 ・ 8月28日                   
          元吉原(木之元神社下) 〜 河合橋(沼川) 〜 三股淵 〜 依田橋 〜
          中吉原宿跡 〜 追分 〜 島田橋(小潤井川) 〜 前田跨線橋下 〜
          前田浅間神社 〜 柳島浅間神社 〜 川成島浅間神社 〜 万太郎塚 〜
          靖国橋(早川) 〜 五貫島(道の駅北側) 〜 靖国公会堂


地図

国土地理院地形図


明治20年測量地形図




江戸時代の近世東海道は慶長6年(1601)に整備されましたが、吉原宿は元吉原宿といわれる
鈴川・今井の地でした。そして、依田橋手前から田島・中河原を通って前田に向かうルートで
あったわけです。それ以前の西(蒲原宿)に向かうルートは鈴川の見付から吉原湊を舟で渡り
対岸の前田新田から幾筋もの乱流となった富士川を徒歩でまた舟で蒲原の吹上六本松をめざして
行ったということです。慶長6年の東海道の整備とともに吉原湊の渡船も廃止され、初期の下街道を
通るようになったわけです。しかしながら度重なる漂砂・高潮の被害で元吉原宿も北の方に移転
せざるをえなくなってきました。寛永16年(1639)〜17年(1640)のことです。沼川・和田川を遡り
依田橋地区の悪王寺神社(現 左富士神社)から和田川対岸の地に中吉原宿と呼ばれている
宿場を形成します。そして下街道も中吉原宿の西木戸の先、追分から南下して三度橋(現 前田橋)
に向かう下街道も利用するようになってきました。ところがわずか40年後の延宝8年(1680)には
大津波(台風)が起こってしまいます。この時代は延宝2年(1674)に古郡氏三代にわたる苦難の
末に完成させた「雁がね堤」によって富士川の乱流がようやく広大な扇状地の西側にまとまりかけて
いたころです。大津波は残っている記録によりますと田島・中河原・外木・中吉原・荒田島・津田まで
村々や道を破壊して原田から比奈あたりまで流されていったということです。壊滅した中吉原宿では
急遽再びの宿場移転に迫られ延宝8年(1680)から天和2年(1682)にかけて、それより北の地に
新吉原宿(現 吉原商店街)を作ることになりました。この吉原の地は富士川の流れに左右され
続ける歴史を辿っていますが、江戸(東京)から京都・大阪を繋ぐ日本の大動脈である東海道の
14番目の宿場であり、戦国時代でも駿甲相三国が争う重要な地点でもありました。当然に人々が
往来する道も重要になってくるわけで渡船から下街道2ルート、やがて上街道から新吉原宿を通る
東海道へと移っていきました。




元吉原(木之元神社下) 河合橋南詰の馬頭観音 河合橋(沼川) 三股淵(沼川和田川合流)


元吉原〜中吉原〜前田〜川成島〜五貫島の下街道ルートは2回に分けて歩きました。
その1回目は元吉原から川成島まで。2回目は川成島から五貫島まででしたが、距離が短いので
そのまま三四軒屋まで行って海岸沿いに田子をぐるっと回って鮫島〜柳島から川成島まで戻り
ました。その内の川成島から五貫島の(推定)渡船場跡までです。
8月18日14:00JR吉原駅南口から木之元神社下まで行き、ここを出発点にする。



西側から三股淵 小潤井川河口 吉原橋から和田川上流 左富士神社


下街道(1)を河合橋から三股淵を回って依田橋へ。途中、三股淵は沼川河口部から日本食品化工の
東側和田川河口右岸を小潤井川河口まで行ってみる。三股淵は河川改修されてない江戸時代以前
ではなるほど深い淵になっていて生贄伝説もあろうかと頷ける。
さて和田川右岸を旧国道1号の吉原橋まで戻り、依田橋西交差点から東海道を依田橋地区に入って
いく。左側に悪王寺神社とかつて言っていた左富士神社。『田子のふるみち』によれば、大津波の時
にはこの神社に逃げ込んだ村人だけが助かったとか。和田川左岸は地形的に自然堤防になっていた。



和田川左岸(左富士神社) 中吉原宿跡 中吉原西木戸跡(推定) 中吉原宿説明板


左富士神社の裏に出て和田川左岸堤防を左富士橋まで歩く。調査報告書によればこのあたりから
鍵の手に西の方に中吉原宿が作られていたようだ。今ではきれいに整備された道路を西に向かって
進む。左富士橋から1km弱の所、富士警察署裏側あたりまで宿場があってその西端に西木戸が
あったらしい。下街道はここから富士警察署の裏側の細い道を荒田島に向かって伸びている。



追分(荒田島・津田境) 追分(右・上街道 左・下街道) 小潤井川(島田橋) 潤井川(前田橋)


富士警察署の西側で旧国道1号に交差するあたりで少し途切れるが、そのまま旧国道1号を突き
切って住宅地の間を進んでいく。すると小さな交差点が当時の追分の場所に比定する。
西に向かって真っすぐが上街道、やがて今の高島町で旧国道1号に合流し、近世東海道が新吉原宿を
通ってきた道に重なり松岡方面へと行って水神社で岩淵への渡し場となる。
さて、ここは下街道を行くことなので、追分から南に折れ真っ直ぐに三度橋(現 前田橋)に向かう。
ちなみに、北西側へも新吉原宿の西木戸を通って瓜島〜中村〜伝法〜厚原から中道往還へと
続く道や後には追分から依田原〜今泉〜根方道〜鎌倉往還へと続く道もあったようである。



前田地区の海抜表示 蓼原(江川起点) 柳島東交差点 柳島浅間神社


追分から南西方向、小潤井川の島田橋を渡り前田跨線橋下に出る。ここから前田浅間神社までは
下街道(1)と同じである。前田地区の海抜表示を見る。やはり今まで通ってきた道筋は高くて4.1m
低い所では2.6mであり、確かに大津波でもあればひとたまりもなく流されてしまうであろう。
前田から交差点を西に向かう。蓼原で江川を渡り柳島を過ぎ浅間神社に立ち寄り。下街道からは
北側に60〜70m程入ったところ。そして神社前の道は南に下って下街道を横切りさらに南下して
鮫島から田子へと続く古い道(鎌倉時代からあったかもしれない)となっている。



川成島(新富士駅南口) 川成島浅間神社 浅間神社本殿 浅間神社力石と道祖神


柳島浅間神社から10分足らずで川成島に到着。新幹線新富士駅南口着が17:00。あちらこちら
寄ったりゆっくり歩いたりで3時間。第1回目はここまでにする。
8月28日の第2回目は川成島(新富士駅南口)をスタート地点にして10日前の続きを歩く。
まずは県道174号(東名富士ICから下ってきた富士見大通り)沿いの川成島浅間神社へ立ち寄り。
新幹線が通り開発が進む新富士駅南地区は昔通りの位置とは限らないだろうが、県道から回って
神社正面に入る。古い木造の本殿と力石の脇に建つ道祖神。下半分がコンクリートの中に埋まって
いるが、安政5年(1858)の刻字は読み取ることができた。



県道174号川成島交差点 交差点を西に向かう 宮島 宮島の海抜表示


さて下街道に戻り県道を西側に渡って進んでいく。途中路肩に建つ刻字も判読できない道祖神があり
やはりこの道が古い渡し場への道だと確信する。やがて宮島に入り海抜表示を見ると7.3mであった。
前田より3mほども上がっている。ここから北側にはさすがに大津波もこなかったのだろう。ここの表示
地点は丁字路になっていて、南に下るとやはり三四軒屋に向かう道がある。



万太郎塚(地蔵堂) 地蔵堂 地蔵堂内部 万太郎塚説明板


宮島に入って左手に公園になった地蔵堂が建っている。ここは万太郎塚といって仇討のいわれが
あるらしいが、今では塚は現存しない。それより地蔵堂を中心として左右に並べられた石像群が
すごい。入口の常夜燈が享和2年(1802)のもの、右手に並んだ石像が坂東・秩父・西国三十三所
の観音像、地蔵堂内は施錠されていて近くで見られないが、地蔵菩薩の立像と坐像、それに
並んだ一番左は舟形光背の観音像か。



地蔵堂脇の石塔群 中興庵主の供養塔 地蔵菩薩 万太郎塚橋


地蔵堂左手にはずらりと並んだ地蔵菩薩立像、如意輪観音像、それに当庵の庵主供養塔やら
判別のつかない石像が相当数祀られていた。そうゆっくりと見ている時間もないため先を急ぐ。
万太郎塚橋を渡って西宮島の地区に入る。このあたりは潤井川から滝戸地区(龍巖淵)で
上中下堀やその支流の用水路が多く加島五千石といわれる所以だろう。



西宮島 早川に出る 靖国橋(早川) 五貫島に入る


西宮島では道がカーブしていてそのまま行くと国道1号を渡って早川橋、そのまま下ると三四軒屋に
出るが、この道の東側と西側では地図上で見ても大きく違いがわかる。東側は道も細く入り組んで
西側は新しく開発したことがわかる碁盤目状の道である。さて、西宮島から早川を渡り五貫島に
入っていく。



道の駅「富士」北側 道の駅北側の海抜表示 道の駅の東側地下道 地下道南の靖国公会堂


道の駅富士(国道1号)の北側で海抜7.7m。宮島から西側はずっと7m台であった。ある研究者の
レポートで五貫島渡船場跡をこのあたりに比定していたが、明治20年測量地形図と現代の道路図を
重ね合わせると、どうも国道1号の反対側(南側)のような気がする。そこで道の駅の東側にある
地下道で国道をくぐり靖国地区の公会堂を今回の終点(推定 五貫島渡船場跡)にした。
ただ、三四軒屋地区は五貫島を開発した人が移って住み集落を作ったと思われるため、やはり
早川を境にして先程の西宮島から三四軒屋への道から西側は河原であった可能性が強いように
思われる。そしてその道の西側の靖国地区が渡船場跡と私は推定する。
靖国公会堂着10:25。川成島からここまで55分。



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