| 日時・行程 |
| 2012年10月21日 |
| 高尾山・熊野神社 〜 県道405号新幹線ガード下 〜 光長寺 〜 |
| R246岡一色交差点 〜 門池 〜 北小林 〜 南小林バス停 〜 |
| 尾尻公園 〜 下長窪交差点 〜 永倉駅(城山公園) |
| 地図 |
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| 高尾山熊野神社を出発 | 新幹線ガード下5叉路 | 常照寺 | 県道22号岡宮地区 |
| 根方街道最終回は沼津市東熊堂の熊野神社を出発点に、長泉町下長窪の古代永倉駅までの |
| 約4.8kmと距離的にはいつもの半分くらいであった。3回目から2週間後の10月21日に実施。 |
| 熊野神社前から県道22号を再び東進していく。700mばかり行くと新幹線のガード下の信号交差点 |
| に出る。ガードをくぐって反対側、臨済宗妙心寺派の佛日山常照寺。門前を相変わらず県道22号を |
| 東に向けて歩を進める。ここは岡宮地区である。 |
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| 中尾バス停の道祖神 | 光長寺に向かう | 光長寺 | 境内 |
| 光長寺に向かう途中、中尾バス停のポール下に道祖神があったが、刻字が消えていていつのものか |
| 判別できない。やがて左カーブから突き当たるところ。本門法華宗大本山光長寺という大きな石塔が |
| 見えてくる。正面には仁王門が構えて中の境内を窺うも広大な敷地に木々が茂り、伽藍配置は見え |
| ない。 |
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| 仁王門 | 阿形金剛力士像 | 吽形金剛力士像 | 光長寺説明板 |
| 仁王門は正保2年(1645)建立、左右の阿吽の金剛力士像の造立は慶安5年(1652)と書かれていた。 |
| 傍らには大草鞋も奉納され、このあたりではなかなか見られない立派な門である。街道脇に建てられた |
| 由緒書によると、開山は宗祖日蓮聖人で建治2年(1276)日春・日法両聖人の開創となっている法華宗 |
| 本山でこの時に徳永山光長寺として開かれたという。 |
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| 岡一色地区を行く | R246岡一色交差点 | 門池 | 弁天神社と門池より富士山を見る |
| 光長寺を後にして東に向かう。大きな交差点に歩道橋が渡っているのが見えてくる。国道246号との |
| 交差点である。左に折れると東名高速の沼津インターに出る。街道を行く道は歩道橋を渡り東へ。 |
| 100mも歩くとすぐに門池の西端に着く。門池は黄瀬川を堰き止めて用水路として灌漑用に溜めた |
| 池である。江戸時代より農業用水として作られたという。 |
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| 門池配水塔 | 説明板 | 渡戸川放水路 | 門池東の墓石群 |
| 牧堰の用水の説明板。池のほとりを南側ほぼ半周回ってまた街道に戻る。散策する人、釣りをする人 |
| それぞれが楽しむことのできる景観は憩いの場になっていた。門池を南東側出るところに放水路。 |
| その前の一角に墓石軍が見えた。手を合わせて墓石を覗き込む。安永五丙申四月十一日いう日付の |
| わかる墓石を見つける。江戸時代のここに住む部落の人たちが眠っているのか。 |
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| 北小林地区 | 北小林(浦方路からの合流地点) | ケヤキの巨木群 | 南小林バス停交差点 |
| さて、門池を過ぎると5分ほどで北小林地区。1月に中世東海道の車返しの里から黄瀬川に沿って |
| 三島方面と分かれ永倉駅まで歩いたコースと合流する。ここから先は1度歩いた道を思い出しながら |
| 辿っていく。南小林の県道22号から分かれる地点の手前にケヤキの巨木群を見た。やはりこんな |
| 街道沿いの樹木を見ると古道らしい思いで感慨に浸ることができるものだ。南小林バス停交差点に |
| 来る。 |
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| 南小林から北に入る | 尾尻公園 | 一柳直末首塚 | 下長窪交差点 |
| 古代永倉駅から足柄古道に続くには、県道22号に分かれて北に入る。入ってすぐに緩い上り坂を |
| 行くと、もう沼津市から長泉町に入る。かつて来た、尾尻公園、山中城合戦で戦死した一柳直末の |
| 首塚を過ぎて、下長窪の交差点に出る。公会堂の南側、石仏群が目につく。 |
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| 下長窪の石仏群 | 城山通り | 永倉駅跡 | 蓮華寺前の題目塔 |
| 大黒天の碑をはじめ、明治時代等比較的新しい石仏の中に嘉永五壬子三月十日という観音菩薩碑も |
| あった。下長窪交差点から上の蓮華寺にかけて古代永倉駅跡に比定されている。別の説もあるよう |
| だが、この地をとりたいと思う。緩く登っていくと右手に蓮華寺前の古い題目塔が建っている。 |
| 題目の左右の年号はかすかに元禄十六癸未年二月十三日と読める。1703年、18世紀初頭という |
| 石造物はあまり見たことがなかった。 |
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| 蓮華寺 | 城山神社 | 神社前に建つみちしるべ | 城山公園下の黄瀬川 |
| 法華宗蓮華寺門前から150mも登ると城山神社前交差点。神社前に建つみちしるべの通り、左が |
| 山みちで右が黄瀬川を渡り「みくりや」に続く足柄古道への道となっているものと思われる。 |
| 古代・中世の東海道は海岸から浦方路として車返しの里(沼津)より北に入り、今回辿ってきた愛鷹山の |
| 山裾を通る根方路と合流、やがて足柄峠を越えての東下り。やっと2本の古代からの東海道を歩いて |
| かつて小田原まで辿った足柄古道につながったのである。第4回の行程は4.8kmゆっくりの旅路 |
| 1時間45分であった。 |