身延道(岩淵筋)富栄橋〜南部橋



日時・行程
          2014年5月11日
          坂下地区(富栄橋西詰) 〜 真篠地区 〜 集会所 〜 真篠城址鞍部 〜
          原戸地区 〜 聴法寺 〜 竹之花双体道祖神 〜 楮根地区 〜 
          正行寺入口石塔群 〜 大和峠 〜 大和地区 〜 大和駒形神社 〜
          南部警察署 〜 南部橋西詰


地図

国土地理院地形図



富栄橋西詰(真篠へ登り) 真篠地区 真篠地区集会センター 集会所裏の身延道入口


JR身延線芝川駅の近く芝川会館に車を置き、電車で井出駅まで。井出駅から前回到着地の富栄橋
西詰までは富士川を渡りおよそ20分。今回の出発地点には9:00、予定通り出発できた。まずいきなり
上り坂である。15分も登って真篠地区集会センターに到着。ここは元栄樹庵という寺だったそうだ。
この建物裏に身延道はついていた。



元栄樹庵の墓地 真篠城址西側 真篠城址鞍部の祠 竹林の中を下っていく


集会所裏からは山道になる。元寺院跡らしく何か所かの墓地を見る。登っていく道の東側に高くなった
所は真篠城址である。小高い城址の西下を巻くように身延道は上っている。やがて登りきった所に
小祠があった。しかし石垣の積まれた壇上に祀られているものの木製で半分壊れていた。その上
左側の灯籠も上半分が台座から転げ落ちている。9:27小祠前を通過して竹林の中を下っていく。



真篠城址北西側 沢の手前の石垣 水路管の下を渡る 渡渉地点


城址の北西側尾根を下っていく。この地も3月の下見の時より歩きやすい。ほぼ尾根を下った所で
沢に出る。これも前回下見で見ておいたので迷うことはない。このあたりには石垣が所々積まれて
いて、ここまで集落があったのだろうか。水路管の下が渡渉地点だ。浅瀬は問題なく対岸に渡れるが、
雨の降った後は通行を止めた方が良いようだ。



対岸の林道 原戸地区最上部 聴法寺 国道手前を左に進む


対岸に渡り林道を下っていく。しばらくすると原戸地区の1番上の民家が見えてくる。原戸地区に入ると
国道に出る手前に聴法寺。真篠城址をふり返って仰ぎ見ながら小休止。10:05出発。国道52号には
出ずに左の細い道を入っていく。



中部横断道路の建設 竹之花双体道祖神 突き当たりの常夜燈 細い道を入り橋を渡る


前回同様このあたりも中部横断道路の工事はすすんでいた。細い道は国道の西側すぐの所を北に
伸びていた。この先民家の前に1基の道祖神が立っている。竹之花の道祖神は石祠であるはずだが、
最近造りかえられて、かわいい双体の道祖神になっていた。2001年1月とある。ここから楮根地区。
突き当たりに文化12年か、常夜燈がありその脇に人ひとりやっと通れる道があった。



楮根地区町屋集会所 正行寺入口の石塔群 国道52号を北進する 大和峠


楮根地区の集会所から国道52号に出る。出た所に石塔群が立つ。正行寺への入口になっていたが、
大きな自然石の題目碑が享保18年(1733)と真新しい2年前平成24年に建てられた題目塔。そして、
それらの左側に石祠道祖神がある。天保10年(1839)のもので近隣2ヶ村、楮根・沖村の守護を祈念
したものである。国道を北進し大和峠に向かう。緩い上りである。



峠を過ぎて右折 大和地区の題目塔 南部町公民館大塩分館 大和の石祠道祖神


斜度7%の表示板を過ぎた所が峠の頂上。左手の上段に身替地蔵、右に日蓮五百遠忌碑と左に
先祖代々の供養塔。嘉永元年(1848)のものらしい。峠を越えてすぐに右に曲がる道があり、入ると
大和地区になる。ここからはずっと下っていき南部宿に向かう。緩いカーブに題目塔、高祖六百遠忌
の石塔や日蓮大菩薩と刻まれた年代不明の石碑とともに石祠道祖神がありさらに下っていく。



大和駒形神社 大和地区 南部警察署 南部橋西詰


左手大和駒形神社は大和・塩沢地区の鎮守であり社殿は町指定の文化財のようだ。のどかな
大和地区をのんびりと歩いていく。だんだん町中に入って行って南部警察署の西側に出る。
警察署の前を過ぎて次の交差点が南部橋西詰になる。今回はここまでにして帰途につく。
到着時刻11:15。2時間15分の歩行時間で、距離は山間部は不明だが約6.0kmであった。



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