身延道(岩淵筋)南部橋〜身延



日時・行程
          2014年5月16日
          南部橋西詰 〜 南部宿跡 〜 妙浄寺 〜 南部横宿の道祖神 〜
          富津川 〜 中野地区 〜 中野交差点 〜 国道52号 〜 身延町境 〜
          実教寺入口 〜 桜清水 〜 横根国道合流点 〜 旧榧の木隧道 〜
          坂本地区 〜 相又坂本の道祖神 〜 正慶寺 〜 国道52号豊岡郵便局 〜
          相又針山の道祖神 〜 大城入口 〜 善行寺入口 〜 小田船原交差点 〜
          久遠寺入口交差点 〜 身延山久遠寺総門


地図

国土地理院地形図



南部橋西詰 戸栗川を渡って南部宿へ 南部宿跡 郵便局の前を西に入る


今回は南部橋西詰の南400mのアルカディア総合公園の駐車場に車を置いて南部橋まで戻り出発。
時刻は8:30いつもより行程が長いので30分早く出発する。すぐに戸栗川を渡って南部宿跡に
入っていく。宿場跡の表示はないが、何となく南部の町並みは昔の面影が残っているような風情で
ある。町の中心部である南部郵便局の前を南部中学校の方に向かって登っていく。



南部中学校を右折する 妙浄寺 妙浄寺下の題目塔 南部横宿の丸石道祖神


中学校に突き当たり右折すると妙浄寺。本堂が見えた所を下に降ると新旧3基の題目塔。元禄5年
(1692)と享保16年(1731)安永3年(1774)の設立年が見えた。その向かい側の見落としそうな
角に南部横宿の丸石道祖神。コンクリートで固められた台座の上に丸石が2層に乗せられている。
やはり山梨県の峡南地区は静岡県と違って丸石と石祠の道祖神が多いようだ。



旧街道に下りる 船山川を渡る 富津川を渡る 富津川岸の石祠道祖神


旧街道に下りて北に向かう。船山川と富津川を渡り中野地区に入ってくる。富津川を渡った右手に
石造物を見つける。石祠道祖神とその裏手に大小5基の題目塔であった。



道祖神の裏手に題目塔群 中野地区 中野交差点 交差点手前の常夜燈


髭題目の文字も薄くなっていてわかりにくいが、中でも1番高い石塔は3mくらいあって安永9年(1780)
と見えていた。この先が中野地区の中心部。公民館の前を過ぎ国道52号と合流する交差点に向かう。
中野交差点手前の草むらの中に4基の墓標と常夜燈が見えていた。しかし、旧道・国道の合流する
地点も双方からも入りにくい場所で刻字を読むことはできなかった。



国道52号に出る 身延町境 実教寺入口 坂を登って振り返る


国道52号に出る。緩い上り坂を行くと町境の表示板が立っていた。平成の大合併で第2回目の
万沢隧道南から旧富沢町と南部町を合わせて南北に長い南部町もここまで。いよいよ身延町に入る。
中野交差点に着いたのが9:35。町境の表示まで10分。久遠寺総門まで7.3kmと書かれていた。
往来の激しい国道を歩くのは気持ちのいいものではない。町境から5分程で再び旧道に入る。
途中往来の隙間をぬって道路を横断、左側に登り口のある実教寺に向かう。



横根地区に入っていく 実教寺 桜清水 横根の石祠道祖神


坂を登って高台になった横根地区に入る。横根中の実教寺、日蓮が休憩して泉の水を飲んだ所に
杖を立てたら桜の木になったという伝説。この桜清水には古井戸が残されていた。傍らに数基の
題目塔と馬頭観音。実教寺の前には石祠道祖神があった。



下って国道に出る 榧の木隧道の上を行く 旧榧の木隧道を通る 隧道を出る


横根の高台から国道に降りる。下ってすぐに榧の木隧道が見えてくる。身延道旧道は当然隧道では
なく峠を越えている。左手前に隧道入口の上を越える道がついていて登っていく。本来の身延道は
隧道の東寄りの峠(榧の木峠)を越えて沢筋を下りて相又坂本に出るようになったいたようであるが、
今回は峠越えができず国道の右側にある旧榧の木隧道を通り抜けた。



旧榧の木隧道手前を右折 馬頭観音 相又坂本地区への山道 私有地に付き通行禁止


4月に下見をした時に榧の木峠まで行こうとしたが、入口で私有地に付通行禁止の看板があり
チェーンがしてあったので、今回の歩行では峠越えをあきらめて旧隧道を通ることにした。



相又坂本地区に右折する 相又坂本地区 榧の木峠を越えた場合 坂本の題目塔


隧道を出て10分も下ると波木井川沿いに開けて相又坂本地区に入る。身延道は国道から離れて
右に入り川の右岸を通っている。10:55〜11:05身延道からはずれて峠越えをした場合の下り地点
に行ってみる。山の尾根が切れた所からここに下ってきているらしいが、はっきりとした道は不明で
ある。ただ題目塔が1基立っているのを見ると、やはりここから坂本に出たのではないだろうか。



相又坂本の石祠道祖神 波木井川の右岸を行く 正慶寺 正慶寺の石祠道祖神


元の道に戻り波木井川右岸を進む。石祠道祖神と常夜燈が見えてきた。相又坂本の道祖神である。
常夜燈には天保12年(1841)とあった。やがて正慶寺に着く。日蓮聖人御休息の大石というものが
あり、それにならって寺の門前で川のせせらぎを聞きながら昼食休憩とする。大変爽やかで気持ちの
いい所であった。



川を渡り身延山を見る 国道52号に出て北進 豊岡郵便局前で西に入る 大城川を少し遡る


正慶寺の前の橋を渡り国道に出る。橋の上からもう身延山が正面に見えていた。あの下までである。
国道を5〜6分も歩くと右側の豊岡郵便局前を西に入る。豊岡小学校と体育館の間の細い道だ。
身延道は大城川に沿ってやや遡り川を渡ってまた国道沿いに戻っている。



相又針山の道祖神 大城川を渡る 大城入口で国道に出る 豊岡洞門


郵便局前を入って道が右カーブになった所に台座の上の道祖神が見えている。相又針山の石祠
道祖神である。横にある常夜燈は天保十?とあり、道祖神と常夜燈の設立年は違うだろうが、やはり
この時代に道はここを通っていたようだ。右カーブの道が川に向かい大城川を渡る。渡った所を右に
国道52号に出る。もう身延まではわずかでしばらく国道を歩く。



善行寺入口の石塔群 小田の石祠道祖神 清水(興津)から44km 身延山へ2.5km表示


12:37国道左手に善行寺入口の看板の下に石塔群があった。文字の判別できるものが少なく、石祠
道祖神の他台座のみ残った常夜燈が1基、日蓮聖人六百遠忌の題目塔明治14年(1881)が1基と
全く不明なもの3基が立っている。この前を過ぎると清水から44km(現国道52号の距離)と身延山へ
2.5kmの案内を見る。もうすぐだ。



妙正寺題目塔 小田船原交差点で左へ 久遠寺入口交差点 身延山久遠寺総門


左手高くなったところに妙正寺の題目塔が見えたので上ってみる。2基の題目塔の左のものには
天明元年(1781)はっきり見える。右のものは日蓮聖人七百遠忌だから結構新しく昭和56年(1981)
建立のものだ。妙正寺前から国道の小田船原交差点で左に入っていく。300〜400mで久遠寺入口
の交差点、このすぐ北側に身延山久遠寺総門が建つ。8時半に南部宿を出て久遠寺総門着が13:02.
約4時間半の所要時間であった。歩行距離は山間部は不明だが約12.8kmの区間。
総門から先は別の日に境内をゆっくり散策した。身延道岩淵筋を歩く行程はここまでにした。



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