身延道(岩淵筋)岩淵〜内房



日時・行程
          2014年4月16日
          岩淵(光栄寺前) 〜 富士川楽座 〜 小島地区 〜 木島地区 〜 馬坂峠 〜
          南松野 〜 松野まちづくりセンター 〜 富士川第二小学校 〜 北松野 〜
          妙松寺 〜 大北町 〜 毛通り 〜 廻り沢 〜祥禅寺 〜 内房浅間神社


地図

国土地理院地形図     



岩淵(光栄寺)前 題目道標 小山地区 松雲寺


JR富士駅に車をおいて駅前よりバスで出発点に向かう。富士急静岡バスの寺尾橋行に乗り          
富士川橋で下車。旧東海道の岩淵で光栄寺の前に出る。東海道と身延道との分岐点だ。
光栄寺石段下に2基の題目塔。その内の1基にこれから身延までの行程が刻まれていた。
「北松野江一里半 万澤江三里半 南部江三里 身延江三里 享保十六辛亥年五月吉祥日」
7:15題目道標前を出発。富士川楽座前を過ぎ小山地区に入る。左手の松雲寺前には馬頭観音。



県道10号に合流 木島地区入口の念仏碑 旧道の木島地区 木島地区中心部


松雲寺の前を過ぎると県道10号に合流する。やがてY字交差点の信号を左に入ると身延道。
入ってすぐ左手に元禄3年の念仏碑と地蔵菩薩は宝永7年のもの。その先のY字路を左へ登ると
木島地区の中心部。木島地区は円通寺・庚申堂の周りには道標・常夜燈・馬頭観音像等々
石造物が非常に多く残っている地域である。



木島から馬坂峠に向かう 馬坂峠手前の常夜燈 馬坂峠 斜面崩壊部分


木島地区を抜け馬坂峠に向かう。キウイ畑の中しばらくは細いがコンクリート道であるが、やがて
山道に入っていく。緩い上り下りの後、峠に出る手前に享保11年の常夜燈と傍らに地蔵菩薩が立つ。
馬坂峠は現在では新東名高速道路によって分断されている。高速道路のフェンスに突き当たった
所で道路下をくぐって風の宮に出るようになっているが、斜面の崩落で通行止めになっていた。



風の宮から新東名高速 風の宮題目塔他石塔群 風の宮 馬坂峠を下り松野地区へ


実際には木島に戻り旧道を迂回して風の宮の下に出たが、ここでは通行止めになる以前の写真を
載せておいた。風の宮は展望広場になっていて新東名の道路面が下に見える。そして展望台前に
石塔群。元禄11年、万治2年、元禄12年と3基の題目塔、文化3年の馬頭観音像、それに正徳2年
の如意輪観音像である。風の宮を後に急勾配を下って南松野地区に入っていく。



陣屋跡 常夜燈 血流川沿いに入る 南松野の題目道標


南松野に入って旧道沿いに大きな倉庫がある。その右手奥に墓地が見えた。名主望月家の先祖
代々の墓所である。望月家の屋敷が陣屋であった。脇の常夜燈は宝暦6年(1756)とある。
また倉庫前のもう1基の秋葉山常夜燈は文政6年(1823)。血流川(ちぼがわ)を渡り、川沿いに
少し下って身延道を見つける。本来は先程の陣屋跡からここに出てくるようだ。ここには題目道標と
馬頭観音。題目道標の下の方には「みのふ道」と刻まれていた。裏に寛延2年(1749)。



松野まちづくりセンター センター東の道標 南松野の双体道祖神 原方区公民館


旧道より1本東側に細い道が残っている。ここが身延道で所々切れてはいるがよく残っている方だと
思う。松野まちづくりセンターに突き当たる。センターの入口向かって右側に身延道の入口。角には
道標が立っているが「左身延みち」は読み取ることができた。ここから少し行った旧道沿いに双体
道祖神が祀られている。富士川の右岸では珍しい。さて、身延道に戻るとまた突き当たる。



公民館前の常夜燈 富士川第二小学校 小学校裏の古道 北松野地区


突き当たった所に原方区公民館が建っていて、その入口両脇に秋葉山常夜燈が文化14年(1817)
貞享3年(1686)の念仏碑。この先は身延道が切れていて旧道に出なければならない。右手に
富士川第二中学校、左手に富士川第二小学校がある。道は小学校の裏手にあった。しばらく行って
つくろい場への上道もあるが、右手の本街道へ向かう。



北松野旧道沿いの常夜燈 有無瀬川を渡る GSの北側を回り込む 北松野岡成の題目道標


一度旧道の信号を渡って、やや迂回するように右回りで再び旧道へ。ガソリンスタンドの西側をもう
一度回り込むと、裏手に題目道標が立っている。刻まれている文字は「ひだり みのぶ道」文化10年
(1813)のものらしい。



妙松寺前の題目塔 妙松寺から大北町に入る 旧日本エメラルから山道 倒木を越える


妙松寺石段下で小休止。10:00出発。本来身延道はここから妙松寺の墓地を抜け台山峠に登って
いる。しかしゴルフ場の建設があり遮断され、現在は通行がなく薮化しているので突入を避けて
大北町に回り込み日本エメラルという会社があった道路を通って台山峠を下った所に出る。妙松寺
前にあった倒木で通行止という看板通り、ここから先は車両が入れない状態だ。



倒木地帯を進む 毛通り 富士川と芝川(内房)地区 落合道への分岐


何か所かの倒木を越えて毛通りと呼ばれる石畳の残る所まで約30分。高低差はないが標高180m
あたりの等高線に沿った道は右側が切れ落ちて芝川駅・富士川がよく見えていた。やがて落合地区
への道との分岐。ここで休憩、11:00出発する。もうここからは南西側に緩やかに下っているが、
廻り沢川の音とウグイスの声、カエルの声で快適に歩を進める。



分岐を左に廻り沢方面へ 由比からの天神道方面 廻り沢地区 祥禅寺


沢音がだんだん大きくなるにつれ廻り沢地区に近づいてくる。下りきる手前で左手が開け川の
向こうに由比筋の天神道方面が見える。完全に下りきると廻り沢地区で左手路肩に道標が立って
いた。古道はここが天神道との合流地点らしい。表面に薄くなっているが「右ハ芭蕉天神由井道
左ハ松野岩淵村」とあるようだ。そのまま2〜300mも行くと祥禅寺が見えてくる。



廻り沢の馬頭観音群 内房地区 山側に迂回していく 内房浅間神社


祥禅寺で昼食11:35〜12:00。その先T字路に当たる交差点に馬頭観音の石像群がある。どうも
祥禅寺周辺にあった石像をまとめてこの地に合祀したようだ。古いものは文政6年(1823)のもの
をはじめ18基建てられていた。T字路を右折して旧内房村村役場跡の碑が立つあたりが中心地か。
身延道はそのまま行かずに山側に迂回していたようである。落合前橋で稲瀬川を渡り、内房小学校
から元の道に出て突き当たる所が内房富士浅間神社であった。12:24到着。第1回目はここまでで、
所要時間5時間9分、地図上の距離は山間部が不明なので正確ではないが約15.0km。



Back Home Next