東海道(沼津宿〜原宿)



日時・行程
          2010年9月26日 
          日枝神社 〜 川廓通り 〜 沼津城址 〜 問屋場跡(通横町) 〜 
          本陣・脇本陣跡(上本町・下本町) 〜 乗運寺 〜 浅間神社 〜 間門 〜  
          傍示杭 〜松長一里塚 〜 神明塚古墳 〜 松蔭寺(原宿)  


地図

          国土地理院地形図(沼津)     現地住宅地図(ゼンリン) 



日枝神社  日枝神社参道  三園橋  狩野川 


日枝神社の参道から前回のコースに戻る。街道が三園橋に出合うと交差点の歩道橋を渡り狩野川 
堤防道路に出てみる。しばらく堤防から屈曲部を通して御成橋方面の景色を眺め、行止りから街道 
に戻った。県道は三園橋からまっすぐに大手町方向に伸びているが、旧街道は川沿いを通っていた 
ようだ。 



 旧道は川沿いを通る 水神社  川廓通り  川廓通り説明板 


やがて堤防下に小さな祠が見えてくる。このあたりはかつて三枚橋城の曲輪内で狩野川洪水の 
守り神として水神社が祀られていた。ここから通横町交差点まで狩野川の屈曲部に合わせてカーブ 
している。川廓通りと呼ばれている所だ。沼津城の曲輪(郭)と狩野川に挟まれているが、かつては 
舟運の拠点として重要な位置であったらしい。 



沼津城址(中央公園)  本丸跡石柱  朝日稲荷神社  三枚橋城外堀の石垣 


川廓通りのすぐ背後の中央公園が沼津城本丸跡だ。今では街道をまたぐように中央公園からあゆみ橋 
が対岸に架けられている。橋の下をくぐり堤防に上がる。右手に新しく開発された上土地区。ホテル裏 
には朝日稲荷神社が祀られていた。元々は天正5年(1577)この沼津の地を北条・武田が争っていた 
時代に武田勝頼が三枚橋城築城の折に城内に建てられたものであるという。またホテルの表側には 
建築した折に発見された三枚橋城外堀の石垣が一部保存されている。 



 通横町交差点 問屋場跡(通横町)   通横町から本町に入る 沼津宿の標識 


道は御成橋西詰で通横町交差点に出る。ここから沼津宿はジグザグになり宿場中心部を通り西に 
向かう。まず通横町交差点北側が問屋場のあったところ。現在ここから北の町方町というあたりに 
かけて問屋・馬指・人足指などの役人がいたらしいがそれらしき遺物も面影も見られない。街道は 
通横町交差点の駿河銀行西を左に折れ曲がり南に行く。角には沼津宿の標識が建っていた。折れ 
曲がるとそこは本町通り。 



高田本陣跡  高田本陣跡から宿場の南方向   中村脇本陣跡 中村脇本陣跡から南方向 


南北に通る本町は宿場の中心部。南に向かって左手、標識のある角を曲がってすぐ高田本陣跡だ。 
高田氏は古く元亀年間から武田氏により問屋職を安堵されていた。また元禄年間からは屋号を 
「松屋」といっていたようである。高田本陣のすぐ先に中村脇本陣。脇本陣跡の石柱が庄司歯科医院 
前に建てられている。沼津宿絵図には脇本陣が4ヶ所見られるが、徐々に減って九左衛門の子孫が 
中村を名のり屋号「とらや」といって残った。 



 間宮本陣跡 間宮本陣跡から宿場の北方向  清水本陣跡  清水本陣跡から南方向 


通りの西側に間宮本陣があった。間宮氏は代々喜右衛門を称し沼津町の年寄役を命ぜられていた。 
その屋敷は向かい側の清水本陣に対して「西本陣」とも呼ばれていたようだ。今ではベルタクシーの 
ある南側あたりか、本陣跡の石柱が建つ。そして「東本陣」の清水本陣がその向かい側。清水氏は 
元は北条氏の家臣で下田から来て土豪層になったといわれている。代々助左衛門を称しその屋敷は 
下本町今の本町将棋クラブあたりだろうか。 



 下本町から南へ千本浜道  乗運寺 東方寺  下本町から出口方面 


本町を通り抜けると下本町・新町の交差点。南に向かう道は千本に行く浜道。交差点のすぐ南には 
2つの寺院が向かい合っていた。西側が乗運寺。京都知恩院の末寺で浄土宗の寺院である。天正 
8年(1580)増誉長円上人の開基になる。東側には東方寺。こちらは臨済宗妙心寺派で興津にある 
清見寺の末になる。乗運寺の墓地には若山牧水の墓があるらしいが、本堂前の庭に見ほれて 
墓地の確認を怠ってしまった。下本町交差点に戻って旧街道は西に折れる。 



 浅間神社 出口町見付  蛇松緑道  御成橋通りとの合流点 


次の交差点北東側に浅間神社があった。ここは浅間・丸子という2つの由緒ある神社が合祀されて 
いた。神社前の交差点を渡りしばらく行くと歩道の植え込みの中に説明板。これがないと全くわから 
ないと思われるが、地名から言っても出口町という沼津宿西の見付があった場所だとされる。説明板 
を過ぎすぐ先に緑道を越える。かつては国鉄時代に沼津港線(通称蛇松線といった)が廃線になった 
跡地を緑道公園化したところだ。しばらく歩くとY字路。御成橋通りからの合流点である。沼津宿を 
ジグザグ通ってきた個所を通横町から真っ直ぐくるとここに出る。 



 妙傳寺 六代松の碑  新中川  間門交差点 


東間門まで来ると街道沿い左側に妙傳寺。法華宗の寺院である。真新しい山門をくぐり本堂の向拝 
彫刻を見る。龍・獅子・牡丹に惹かれるほどの作品だ。ただ銘が刻されていなかった。妙傳寺の裏手 
にまわると平家物語ゆかりの六代松の碑がある。妙傳寺の前に戻り新中川を渡る。このあたりから 
吉原宿にかけて東海道の北側は広大な沼地であった。洪水の被害が多く放水路が作られている。 
放水路を渡るとすぐにX字状となった交差点に出合う。右から来た道は大手町からの旧国道1号(県道 
380号)で千本街道。旧東海道は直進して行くが交番前の歩道橋を渡らなければならない。 



 八幡神社 西の傍示杭  傍示杭説明板  沼津領境の標識 


旧街道(県道163号)を行くと右側に間門八幡の鳥居が建っている。鳥居の脇に傍示杭。是より東と 
大きな字で書かれた石塔は2mもあろうか。沼津領がここから東という境表示である。これと対になって 
いるものが大岡にあった。八幡神社を過ぎて真っ直ぐ原宿に向かう。 



諏訪神社  松長一里塚跡地  松長一里塚碑  蓮窓寺 


やがて小諏訪の地に諏訪神社。ここは鳥居から参道が長く続いていて通りからは社殿が見えない。 
小諏訪から大諏訪を抜け松長に入る。「東海道宿村大概帳」には松永と書かれているようだが今は 
松長。左の塚は大諏訪村地内、右の塚は松永村地内とあるように村境に2つの塚があったようだ。 
現在では全くそれらしいものもなく、民家のブロック塀に囲まれた石塔が建っていた。松長一里塚は 
江戸から31里目。 



 神明塚古墳の碑 前方後円墳  神明宮説明板  神明宮 


蓮窓寺の山門を左手に見ながら神明塚へ。神明塚古墳へは入口の看板を見落とすとわからないかも 
しれない。街道の右側を歩いていき、小さな看板の路地から入っていくと東海道線の線路に当る手前で 
こんもりとした小山に突き当たる。古墳とは何にも表示がなければ下から見てもわからないだろう。 
小山の正面に階段と上には神明宮が祀られていた。周りをぐるりと回って社殿まで上がって下を見ると 
なんとなくわかる。前方後円墳だ。 



 三島神社  祥雲寺 JR東海道線踏切  原の神明宮 


神明塚の路地から出て右手に並ぶように祥雲寺と三島神社。やがて街道はJR東海道線踏切を渡る。 
いよいよここらあたりから原宿に入っていく。原の神明宮を右に見て歩いているこのあたり原宿の東端 
東木戸跡であろう。表示・説明板等あるようだが見落としてしまった。 



 松蔭寺入口 松蔭寺山門  松蔭寺本堂  新築された客殿 


原宿に入り清梵寺・長興寺を過ぎ現地名でも大塚から原に変わる。左手松蔭寺入口の大きな石塔が 
見えた。鎌倉時代弘安年間の開基になるが享保2年(1717)白隠禅師が住持になってあまりにも 
有名である。山門の奥正面に本堂と右手に新築されて間もないような客殿。岡山藩池田公から贈ら 
れたという備前焼の擂鉢の松は最近切られてしまったようだ。 



 白隠の里案内図 白隠の墓石  白隠産湯の井戸  白隠誕生の地石碑 


門前に白隠の里という案内図で白隠ゆかりの史跡が表示されていた。境内の山門入って左手に 
墓石、西隣の西念寺まえの空地に古井戸がそのまま残っていて産湯の井戸だという。また街道に 
出たところに白隠誕生の地という石碑が建っていた。 



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