アルバム |
日時・行程 |
2015年3月13日 |
JR東田子の浦駅 〜 旧東海道田中新田(道しるべ第1号) 〜 沼川(清勇橋) 〜 |
新赤渕川橋 〜 東海道新幹線ガード 〜 富士岡花守 〜 愛鷹神社 〜 |
消防吉永分署西 〜 根方街道横断(赤渕川橋) 〜 富士岡橋(道しるべ第3号) 〜 |
県道76号 〜 花川戸入口(道しるべ第5号) 〜 間門下(道しるべ第6号) 〜 |
新東名高速ガード(道しるべ第7号) 〜 間門浅間神社入口(道しるべ第8号) 〜 |
間門浅間神社(道しるべ第9号) 〜 鵜無ケ淵橋(道しるべ第41号) 〜 |
石井橋手前三叉路(道しるべ第13号) 〜 黒川製茶上(道しるべ第14号) 〜 |
桑崎公会堂 〜 善光寺参道右(道しるべ第15号)桑崎公会堂北西(道しるべ第43号) |
地図 |
道しるべ第1号 | 国道1号をくぐる | 沼川(清勇橋)を渡る | 新赤渕川橋で赤渕川の右岸へ |
JR東海道線の東田子の浦駅で降りて旧東海道を西に100m程行くと田中新田。道の北側に |
道しるべが建てられているのが見える。傍らには富士市教育委員会で建てた表示杭。ここが |
仁藤春耕の道しるべを辿り御殿場まで行く出発点になる。道しるべ第1号。石碑の表面には |
得意の和歌と当時の風景も刻まれていた。このすぐ北側は明治時代は浮島沼であった。釣り人と |
沼の渡し舟の絵がある。沼の縁を通って北上したか、または渡し舟で渡ったのか。道しるべの |
横の細い道を入り国道1号をくぐる。田植え前のこの時期、黄色に枯れた田園の先の富士が |
裾野まで見えて壮大であり見事な風景である。当時の道は(あるいは渡し舟かも)不明だが |
現在の道路で推定して富士岡花守に向かう。 |
東海道新幹線のガード | 富士岡花守の田園地帯 | 花守の愛鷹神社 | 愛鷹神社鳥居と拝殿 |
沼川を渡り沼川にそそぐ赤渕川の右岸に出て、これから先その赤渕川の右岸に沿って桑崎まで |
登っていくことになる。東海道新幹線のガードをくぐって下花守地区に行きつく。愛鷹神社に立ち寄り。 |
創建は不詳だが愛鷹明神を祀る愛鷹山周辺の神社の1社。享保6年の庚申塔他馬頭観音や念仏塔 |
など数基の石塔を見る。仁藤春耕の生家はこの下花守地区にある。愛鷹神社の西側の道を北上して |
行く。 |
吉永分署西で二又を右に | 富士岡渋脇の道祖神 | 岳南電車の踏切を渡る | 富士岡花守の常夜燈 |
通称沼津線といわれている広い道を消防署吉永分署の西で横断する。渡るとすぐ道が二又に。 |
進路を右にとりなるべく赤渕川に近いところを進む。すると渋脇地区の路地交差点に道祖神が建て |
られていた。左手に馬頭観音。説明板が古く文章がよく読めないが道祖神は伊豆型の単体坐像 |
らしい。馬頭観音は舟形光背の一般に多いタイプ。年代は不明である。この前を過ぎて岳南電車の |
踏切を渡り本花守地区に入る。狭い道を曲がり曲がって突き当ると1基の常夜燈が建っていた。 |
秋葉山常夜燈。天保14年10月10日と刻まれている。172年前のものだ。 |
根方街道に出る | 赤渕川橋の六地蔵 | 根方街道の常夜燈 | 道しるべ第2号跡から北へ入る |
常夜燈に突き当ったら右折して赤渕川方向に進む。やがて根方街道(県道22号)に出る。この右手が |
赤渕川橋。六地蔵や供養塔・道祖神か馬頭観音らしき石塔が並ぶ。左手の店舗前に常夜燈が建て |
られている。秋葉山常夜燈、本来は江戸時代末期のものだが交通事故で破壊され真新しい石塔に |
建替えられていた。この向かい側あたりに道しるべ第2号があったようだが今では広見公園内に |
移転されている。ここから細い道を赤渕川に向かう。 |
富士岡橋の道しるべ第3号 | 県道76号へ出る | 六地蔵と如意輪観音 | 東名高速のガード |
川に突き当った所が富士岡橋。橋を渡ると宗玄沢方面でこちらには道しるべ第4号と第36号がある。 |
富士岡橋の左詰に道しるべ第3号があった。ここを川に沿っていくと県道76号に合流する。約3分程 |
の所左手に六地蔵と馬頭観音・如意輪観音が祀られているのが見える。小祠の前を通り過ぎて |
北に向かうと東名高速のガードをくぐる。 |
道しるべ第5号 | 花川戸入口 | 間門入口 | 間門に入る |
東名ガードから30mくらいであろうか新しい道の交差点。すぐ北側の旧道を入ると花川戸地区に。 |
この旧道入口に道しるべ第5号があった。日露戦捷記念と彫られている。明治39年は日露戦争で |
凱旋してきた年だ。さらに北へ向かい進んでいくと富士岡・比奈境から間門地区に入っていく。 |
間門地区に入るとすぐに前方には富士山、新東名高速の高架が見えて左手に道しるべ第6号が |
建っている。 |
道しるべ第6号 | 新東名高速をくぐる | 新東名の下に道しるべ第7号 | 間門浅間神社入口 |
道しるべ第6号の後ろには細い道があり、表示によると右十里木近道、間門となっていて、左十里木道 |
神戸とあるが、この細い道が本来の十里木道(県道24号)に繋がるのか。このままこの県道76号を |
北に向かって間門を通るのが近道というのか。こんなことを考えながら新東名高速の高架下に来た。 |
立体交差する交差点には表示杭が建っている。左下に小さな道しるべ第7号がガードレールに挟まれ |
るようにして残されていた。第7号の表示は左方向のみで富士岡・停車場となっている。ここから先 |
停車場とよくでてくるが明治22年にできた東海道線の鈴川駅(現吉原駅)のことか。この100m先の |
右手にヤマザキショップがあり間門浅間神社の入口になる。 |
道しるべ第8号 | 間門橋を渡る | 浅間神社前の馬頭観音 | 道しるべ第9号 |
道しるべ第8号はこの入口分岐点にあった。表示は左方向のみ、間門村・十里木道で右側面に和歌。 |
間門浅間神社に立ち寄る。間門橋を渡った先、鳥居の左手に3基の馬頭観音。造立は幕末のようだ。 |
鳥居の右手は道しるべ第9号がある。表示は左方向のみで間門村・鵜無ケ淵道であった。 |
間門浅間神社で休憩してから再び県道76号に戻る。 |
鵜無ケ淵の道しるべ第41号 | 県道76号と分かれ北へ | 石井橋下の銚子ヶ渕 | 道しるべ第13号 |
県道を20分くらい登ると左手に吉永第二小学校、その向かいに吉永北まちづくりセンター。 |
桑崎から先の第2回目はここのまちづくりセンター駐車場に車を置かせていただくつもりだ。ここで |
トイレを拝借してから歩を進める。70〜80m先が鵜無ケ淵橋。橋を過ぎた先に1基の道しるべが |
建てられている。第41号だ。この先県道76号は左に大きくカーブして十里木道(県道24号)と |
交差して富士宮方面に伸びている。ここはカーブせずに直進して桑崎に向かう。石井橋手前の |
右手を覗き込むと渇水状態の銚子ヶ渕、左手の三叉路脇に道しるべ第13号が建っている。 |
黒川製茶前 | 桑崎に入る | 道しるべ第14号 | 桑崎バス停(公民館前) |
第13号から400m位も登っただろうか、右手道路下に黒川製茶。ここの黒川氏が東富士演習場内で |
草刈中に道しるべを発見して庭に保管してあるらしいという情報があって尋ねてみた。時刻は昼時の |
12時半過ぎ。事務所を訪問するとちょうど黒川氏ご本人が休憩中でいろいろと当時の話を聞くことが |
できた。やはり演習場内で見つけて持っていたが、市の教育委員会と相談してしかるべき場所で |
しっかり保管した方がいいということになり、裾野市十里木にある富士山資料館の庭に建てることに |
なったということであった。黒川氏にお礼を述べて上の道に戻るとそこに道しるべ第14号。表示は |
右吉原道、左富士岡・停車場とある。三叉路に建っているので来た方向が左で進行方向と交わる |
方向で下る道が吉原道つまり十里木道を指しているのだろう。この先はもうすぐ桑崎のバス停だ。 |
善光寺参道入口 | 道しるべ第15号 | 道しるべ第43号 | 桑崎公民館に戻る |
第1回目の予定到着点に着いたが、この周辺の2基の道しるべを見に行くことにする。まずは第2回目 |
の入口、善光寺参道の脇に道しるべ第15号が建っている。右石井道、桑崎村、左十里木道、勢子辻 |
となっている。左側の参道を登れということで、右に入っていくと石井に抜けられるということらしい。 |
今度は桑崎のバス停に戻ってバス停前の公民館から北西方向に入っていく。公民館先の交差点を |
右に折れた畑に道しるべ第43号が建っていた。第43号は左上部が欠損していてはっきりとは読め |
ないが右吉原道、左富士岡ということらしい。上から降りてきたところの表示だろう。さて、第1回目は |
ここまでにして桑崎公民館前バス停に戻る。(桑崎までのバスはこの3月末で廃止になるようだ) |