アルバム |
日時・行程 |
2015年6月29日 |
須山交差点(バス停) = バス = フジファーム前(バス停) 〜 畑岡道 〜 |
太平洋クラブ御殿場ウエストコース西端 〜 県道157号 〜 光真寺 〜 忠霊塔 〜 |
印野小学校郷土資料館前(道しるべ第49号・50号・51号・52号) 〜 |
県道155号交差点 〜 天満天神宮 〜 小木原十字路 〜 小木原三叉路 〜 |
川柳への分岐(道しるべ第19号) 〜 川柳ポケットパーク(道しるべ第53号) 〜 |
川柳浅間神社(道しるべ第54号) 〜 御殿場口登山道 〜 |
佐藤洋服店前(道しるべ第21号) 〜 ナガイ酒店前(道しるべ第20号) 〜 |
滝ヶ原不動尊(道しるべ第23号・24号・25号) |
地図 |
須山浅間神社駐車場 | 須山浅間神社 | 須山バス停 | フジファーム手前 |
第4回目。今回は須山バス停から須走登山道入口の道しるべ第22号までを予定していたが、ここも |
演習場内を旧道が通っており立入禁止のため、やむを得ず御殿場滝ヶ原不動尊までにした。 |
須山浅間神社は世界遺産登録後周辺を整備して、駐車場も広くトイレまで完備されていた。ここに |
車を置かせていただいて須山交差点に向かう。本来ならばここから国道469号を演習場の先まで |
歩いていき印野地区に入るのだが、演習場内を通る国道の路肩が狭く歩くのには危険を感じられた |
ためフジファームバス停までバスを使って行くことにした。 |
国道469号の下畑岡道 | 国道のガードをくぐり西へ | 左は演習場で立入禁止 | 演習場東端 |
フジファーム前バス停の手前にループして下に降りる道があった。畑岡道と書かれた案内板が西方向 |
を指している。今の国道をくぐって道が西に伸びていて、ほとんど誰も通らないような道を登っていく。 |
右側は畑、左側は東富士演習場で立入禁止。射撃中なんて表示まで出ている。国道のガードから |
約2kmくらいか30分程登って行った所で斜めに道が曲がっているが、演習場の東端で忠ちゃん牧場 |
から分断されていた県道157号がここに繋がる。つまり通行可能な時には大野原の十文字辻を通って |
ここに出てくるようだ。 |
県道157号を行く | 太平洋クラブゴルフ場 | 道しるべ第50号のあった所 | 光真寺入口 |
太平洋クラブのウエストコースを回り込んで県道157号を歩いていく。ゴルフ場入口を通過して道が |
北東方向に曲がった所に道しるべ第50号があったようだが、演習場東端にあったと思われる |
第49号と共に現在印野の郷土資料館前に建てられている。道が曲がった左手は光真寺入口。 |
入口には7体の馬頭観音が祀られていた。参道を入っていく。 |
光真寺三十三体仏 | 光真寺 | 印野本村の馬頭観音 | 堀金の道祖神 |
参道を入っていくと阿弥陀三尊像をはじめとして33体の観音像が祀られている。文化7年のものだ。 |
光真寺は富士峯修行の法印が立ち寄った場所で加持祈祷を行った。最後の法印秋山氏の話では |
大日堂と呼んでいたようだ。光真寺を出て北東に県道を歩いていく。途中に馬頭観音や道祖神が |
大変多く見られる。 |
弘法の井戸 | 井戸跡 | 忠霊塔 | 忠霊塔前から旧道へ |
堀金地区には弘法の井戸という伝説の井戸跡。水がなく困っていた所に旅の僧侶が通りかかって |
錫杖を突いたところを掘ると水が湧き出た。したがってこの僧侶が弘法大師ではないかという全国に |
よくある話。井戸跡から約5分で忠霊塔の交差点。ここにも道しるべ第51号と第52号があった |
ようだが、やはり印野小学校の裏手で郷土資料館前に移転されている。忠霊塔の前からは県道から |
離れて旧道を進む。 |
でもどり地蔵 | 県道155号交差点の道祖神 | 天満天神宮 | 天神宮先の道祖神 |
分岐から旧道に入りすぐ右手の小祠の中に地蔵が1体祀られていた。病気治癒を祈って建てられて |
いるそうだが、ここから持ち帰って祈りご利益があったらすぐに元の場所に戻さないと再び病気になる |
という言い伝えの地蔵だそうである。この先で県道155号と交差する。この交差点の手前に双体 |
道祖神が建てられているが、詳細は風化が激しくて全く不明。ここから3分程行った所に天満天神宮。 |
これは印野村小木原地区の山田家の屋敷内に享保6年に祀られていたものを明治28年にこの地に |
移築したものだといわれている。その先の右手にも双体道祖神。判別が難しいが合掌型のようである。 |
小木原十字路の石仏群 | 供養塔と菩薩像 | 小木原三叉路の石仏 | 道祖神・如来像・菩薩像 |
5分ほど歩くと小木原十字路に出る。この交差点は右に曲がると御殿場口登山道を横切り、足柄街道 |
へと続いている旧道で、角の地に庚申供養塔3基と江戸中期に祀られた菩薩像3体が整然と並んで |
いる。それから3分程の三叉路、県道157号の合流点に道祖神・如来像・菩薩像などがまとめて |
建てられているが、その中の不動明王だろうか、右山道左吉原と刻まれた道しるべにもなっている。 |
三叉路先で左方向へ | 道しるべ第19号 | 道しるべ前を東へ | 道しるべ向いの道祖神 |
小木原三叉路の石仏・石塔群を見るとすぐ先がまた二又に分かれていて、右が県道だが左の旧道を |
川柳地区に向かう。するとすぐ左手に道しるべ第19号。表示は須走へとなっている。道しるべの反対 |
側に道祖神。寛政9年の供養塔の横に2基の双体道祖神が建っていた。1基は弘化2年造立で |
持物型に分類されるだろう。もう1基は風化していてかろうじて双体だとわかるが型までは判別しにくい。 |
川柳コミュニティーを左へ | 川柳地区 | 交差点のポケットパーク | 道しるべ第53号の残欠 |
また3分程行くとT字路で角には川柳コミュニティー供用施設があり、ここを左に曲がる。曲がって |
100mも行くかどうかという所で小さな交差点。この角にはポケットパークのような囲まれた場所が |
あって、奥の左手やや高くなった所に3基の石仏が建つ。1基は双体道祖神とかろうじてわかるが、 |
あとの2基は全く何だか判別できない。そしてなんとその右の方に半分欠けて左上部しかない |
石片が転がっていた。よく見ると「十」の字と¬の付いた仁の字だけ読める。これが道しるべ第53号 |
である。十の字は十里木だろうか、仁は他の道しるべにもよくある仁藤の印だ。 |
川柳浅間神社 | 道しるべ第54号 | 川柳浅間神社の杉 | 弘法堂前を直進 |
川柳の交差点を後にして北方向に登っていくと川柳浅間神社に出る。神社入口に道しるべ第54号が |
建っていた。ここには扶桑樹と呼ばれている樹齢500年の杉の木がある。浅間神社の前を通過して |
道しるべに表示されている須走方面に向かう。やがて団合地区の弘法堂。弘法堂の前には秋葉山 |
常夜燈と双体道祖神が建つ。しかしここには道しるべ第23号があったようだ。今では滝ヶ原不動尊に |
移されている。 |
二又の細い道を入る | 御殿場口登山道に出る | 道しるべ第21号 | 登山道を登る |
富士山御殿場口登山道は今では県道23号で広い道になり滝ヶ原自衛隊を突っ切って太郎坊まで |
行っているが、その1本手前に旧道が残っている。弘法堂から300mも北に行った所で二又に |
分かれ左に入る。このあたりに道しるべ第25号があったようだが、これも滝ヶ原不動尊にまとめら |
れた。やがて旧登山道に出た。出た所の佐藤洋服店前に道しるべ第21号が建てられている。 |
左矢印の十里木・荻原・印野で今来た道の方向を示している。旧登山道を200m程登る。 |
ナガイ酒店前 | 道しるべ第20号 | ナガイ酒店前をさらに登る | 左折して滝ヶ原不動尊 |
すると新登山道(県道23号)に合流する前にナガイ酒店。店舗向いの空き地に2基の道しるべと |
双体道祖神。右に建つ方が道しるべ第20号で登山道を指さして道者道、右を差して須走であった。 |
ナガイ酒店から旧登山道を50m登って左折する道があり、曲がった所に滝ヶ原不動尊が祀られて |
いる。 |
滝ヶ原不動尊 | 不動尊像 | 道しるべ第23号24号25号 | 桜公園から須走へ |
滝ヶ原不動尊は仁藤春耕が道しるべを建てる時、夢枕に不動明王が立ってお告げをしたという。そこで |
明治39年の道しるべ建立後の明治45年に不動明王を彫ってこの地に祀ったという。現在でも春耕の |
子孫が来て4月に祭りを行うということだ。ここに近くにあった道しるべ、団合弘法堂の第23号、不動尊 |
から新登山道に出た桜公園のところにあった第24号、そして弘法堂から旧登山道に出てくる所にあった |
第25号と3基の道しるべが移築されていた。仁藤春耕は滝ヶ原が終点ではなくて須走まで行っている。 |
県道23号を渡った所に広い桜公園がある。この三叉路を登山道から右に向かうと須走方面。本来は |
ここから30分程行った国道138号に出た須走口の三味線林まで行くべきであるが、途中東富士演習場 |
で一般道は大きく迂回を余儀なくされるため、滝ヶ原不動尊を終点地と決めた。なお、須走には |
道しるべ第22号が建つ。 |