足柄古道(御殿場〜小山)
日時・行程 |
2005年12月10日 |
御殿場駅(御殿場市) 〜 若宮交差点 〜 御殿場市役所 〜 浅間神社 〜 |
御殿跡 〜杉原交差点 〜 深沢城址入口 〜 足柄橋 〜 上横山遺跡 〜 |
有闘坂 〜 竹之下交差点 〜 足柄駅(駿東郡小山町) |
地図 |
御殿場駅南口駐車場 | 若宮交差点 | 市役所北交差点から箱根方面 | 市役所北から足柄街道に入る |
第2回目は御殿場駅南口駐車場に車を置き、駿東郡小山町にあるJR御殿場線足柄駅までとする。 |
駅前から県道394号若宮交差点まで戻り北進する。やがて国道138号との大きな交差点、市役所北 |
に着く。右方向を見れば乙女峠を通り宮城野、宮ノ下から国道1号に合流して小田原まで続いている。 |
市役所北交差点を渡るとここから県道78号が始まる。通称足柄街道である。 |
浅間神社 | 浅間神社前の道祖神 | 足柄街道(県道78号) | 御殿跡入口 |
交差点から150mくらい歩いたあたり左側に浅間神社。ここの地名は二枚橋である。隣に正定寺と |
いう寺があり、どちらが神社・寺の境内か区別がつかないが、鳥居をくぐった右手に墓石群。鳥居の前 |
右手には道祖神や庚申塔などが建っている。さらに10分程歩くと杉原交差点手前、押しボタン式信号 |
の所に御殿跡入口の看板が見える。 |
穂見神社 | 穂見神社拝殿 | 吾妻神社 | 吾妻神社拝殿 |
細い道を50〜60mばかり入っていくと左手に穂見神社、その奥に吾妻神社が祀られている。 |
御殿場発祥の地 | 発祥の地の石碑 | 御殿跡説明板 | 御殿場の地籍図 |
穂見神社、吾妻神社とその北側の御殿場高校の敷地は御殿場の地名由来となった所である。元和 |
元年(1615)駿府で隠居の身となった徳川家康が足柄越えで江戸に向う時の宿泊所として御殿が |
建てられた地であることから、御殿跡のここが御殿場という地名になったのである。説明板と大きな |
石碑が建てられていた。 |
杉原交差点 | 深沢地区から箱根方面 | 深沢地区にある道祖神 | 深沢地区から足柄峠方面 |
県道に戻り3分ほどで杉原交差点。左方向は県道394号となって小山町役場方面に行く道だ。ここは |
右方向そのまま県道78号を竹之下方面に向かう。杉原を過ぎると深沢地区に入っていき、周りの風景 |
が一変する。街中を抜けた道は開けた田園風景。道端に残された道祖神が古道を思わせてくれる。 |
深沢城址入口 | 唯念上人念仏碑 | 小山町に入る | 東名高速を渡る足柄橋 |
田園地帯の中を15分歩いて、左手に細い道があり深沢城址入口これより300mと刻まれた石碑が |
建てられている。深沢城は2年前にじっくり見ているので通過。抜川に架かる宮沢橋手前で唯念上人 |
の念仏碑を見て蓮花寺地区から道は坂を上っていく。右手にアイリスのビルが見えてきたところから |
小山町に入る。すぐに東名高速道路を跨ぐ足柄橋だ。 |
上横山遺跡 | 竹之下合戦陣場跡 | 小山高校前を有闘坂に入る | 竹之下合戦釜沢跡 |
足柄橋を渡り足柄峠金時山がよく見える開けた草地に説明板が建っている。奈良時代初期の住居跡 |
が発掘された上横山遺跡である。この先からが竹之下合戦における史跡が続く。まず左手に陣場跡の |
案内板が建つ。建武2年(1335)の時の官軍陣場跡である。その先小山高校前で県道78号は右手に |
下っているが、ここはまっすぐ細い有闘坂を下る。坂の入口が釜沢。官軍が兵糧を炊いた場所と書か |
れていた。 |
有闘坂入口の一里塚 | 竹之下合戦有闘坂 | 有闘坂の説明板 | 有闘坂から足柄峠方面 |
有闘坂の上には足柄街道が官道であったことを示す一里塚跡が残っている。元和4年(1618)箱根路 |
に東海道が変わるまでの官道であった。それより280年以上も前のこと、竹之下合戦での激闘地でも |
ある。細い坂を下り県道78号との合流点に向かう。 |
竹之下足柄駅入口交差点 | 竹之下から足柄峠方面 | 竹之下合戦千束橋 | 足柄駅 |
坂を下りた交差点である。足柄駅入口と表示されていた。この日くっきりと足柄峠方面が見えている。 |
交差点から駅に行く途中にも戦跡の説明板が建てられている。千束橋となっていた。このように |
このあたりには足利軍と新田軍の激闘を物語るいくつもの戦跡がある。やがてJR御殿場線足柄駅 |
に出て第2回目はここまでとした。 |