甲州街道【中道往還】(富士山本宮浅間大社〜吉原宿・西木戸跡)



日時・行程
          2016年10月10日
          富士山本宮浅間大社 〜 欠畑交差点 〜 弓沢橋 〜 小泉 〜 代立寺 〜
          富士根南公民館 〜 天間北(下向道合流) 〜 天間沢橋 〜 富士西公園 〜
          下榎澤橋 〜 凡夫川(念力橋) 〜 室伏半蔵道しるべ第5号 〜 二本樋 〜
          曽我八幡宮 〜 曽我寺分岐庚申塔 〜 玉渡神社 〜 本照寺 〜 片宿 〜
          虎御前腰掛石 〜 伝法橋(根方道分岐) 〜 伝法三丁目公会堂 〜 
          伝法小東交差点 〜 三日市 〜 勧正寺 〜 富知六所浅間神社 〜 
          永田北町(吉原一中南側) 〜 国道139号横断 〜 吉原宿(西木戸跡)


地図

国土地理院地形図

明治20年測量地形図





富士山本宮浅間大社 大頂寺参道 欠畑交差点 欠畑から旧道に入る


10:20本宮浅間大社前を出発。本来は交番のある現在の商店街より1本南の通りが往還道路で
あったらしい。甲州へはこの前から西町方面に向って北方向にカーブしていたようだ。今回は
吉原宿に向かって東進して行く。現商店街を歩いて旧連雀町の大頂寺参道に来る。東隣の
平等寺との間を寺の裏から北に行くのが村山浅間神社への道、東に行くのが勢子辻・十里木・
須山、あるいは印野に向かう大みや道である。また南に行って傳馬町から富士本道となる。
浅間大社前から約1.2kmの欠畑交差点から右に折れ、弓沢川沿いの旧道に入る。



弓沢川沿いの道祖神 弓沢橋 県道76号に合流 県道合流点の馬頭観音


弓沢川沿いの題目塔は宝暦12壬午年(1762)10月13日、隣の文字道祖神は自然石の楷書で
天保3壬辰年(1832)正月吉日と読み取れる。弓沢橋を渡る。大きな通りを横断し7〜8分も行くと
左手から県道76号(商店街の通り)が合流して東に向かっている。その交差点に1基の馬頭観音。
造立年不明。



用水路脇の道祖神 富士根南公民館西の道祖神 富士根南公民館前の石塔群 代立寺


県道合流点のすぐ先の用水路脇に建つ双体道祖神は浮彫で合掌型。資料によると天明五巳年
(1785)らしいが年号等確認できなかった。そのすぐ先は富士根南公民館がある。公民館西の
個人住宅の塀の所に元禄八年(1695)の双体でくり抜き合掌型の道祖神。公民館前には石塔群が
並ぶ。一番左が双体で合掌型、中2基が題目塔、一番右には甲子塔。左の題目塔は享保2年(1717)、
双体道祖神は造立年不明。代立寺の交差点を通過する。



小泉4区区民間前の道祖神 富士市に入る 下向道との合流点 天間沢橋


代立寺から100mちょっとで尾無沢の荻間橋を渡る。小泉四区区民館前の道祖神。自然石で
行書の文字碑、安政六未(1859)九月吉日とある。若宮で県道76号は北に曲り大淵方面に。
中道往還は直進して富士市に入る。天間北2の信号を越えると左手から村山からの下向道が
合流してくる。この右手が天間北公会堂、そしてこの先で天間沢を渡るが橋を下に回り込むと
旧道の天間沢橋があってそちらを渡る。



富士西公園前 凡夫川(新榎澤橋) 新榎澤橋脇の題目道標 鷹岡中学前で旧道へ


鷹岡病院前を通り過ぎ、このあたりは石造物も残されてなくとにかく東に歩を進める。富士西公園前を
過ぎて坂道を下ると凡夫川に出合う。川に沿って南北に県道88号線。出合った交差点左手に榎澤橋、
正面が新榎澤橋、ここは県道88号を南に折れて進む。新榎澤橋の西詰には大きな題目道標が建つ。
正面の題目に右側面は 右 山みち 左側面に 左 大ミやみち とあった。交差点から南下して
鷹岡中学の正門前から細い旧道に入って念力橋に出る。



凡夫川渡渉地点 念力橋を渡る 道しるべの奥が渡渉地点 室伏半蔵道しるべ第5号


村山下向道と合流して通る区間で凡夫川を渡る地点は念力橋のやや下流で川底が浅くなった所だ。
渡渉地点を確認しながら念力橋を渡る。渡った所で右に折れ下っていくとすぐに道しるべが見えた。
この道しるべの奥が凡夫川渡渉地点の対岸になる。そして道しるべは室伏半蔵の道しるべ第5号で
中央の甲子神の下に 右 新田道 左 大ミや道 一りはん と書かれている。



五郎の首洗い井戸の説明板 曽我五郎の首洗い井戸 曽我八幡宮前 二本樋


半蔵道しるべのすぐ南に「鷹岡一万歩コース」の表示板があって五郎の首洗い井戸の入口だ。
凡夫川の川岸に説明板と石碑が建てられていて曽我物語の伝説の場所を記している。ここから
250m川沿いに下って曽我八幡宮。わずかに残された参道前に交差点があり、右は凡夫川を
渡り一乗寺前に出る。この凡夫川を渡る所が「二本樋」と言われていて、潤井川から引いてきた
用水路をここで2本に分け鷹岡地区と伝法地区と引いていきますが、凡夫川が流れているため
川の上に2本の樋を渡して通したということ。当時の木製から現在はコンクリート製。



曽我八幡宮 下向道との分岐点 庚申塔の道標 分岐点を東に進む


曽我八幡宮は曽我兄弟仇討の後、源頼朝の命によって兄弟を祀ったそうでである。八幡宮ですから
主神は応神天皇。曽我八幡宮を後にして二本樋は鷹岡用水路が道の右側、伝法用水路が道の
左側を通る。100mも行くと右手の細い道の角にポツンと石柱が立っている。刻字が薄くなっている
のでよく見ると庚申塔である。正面は青面金剛尊、右側が曽我廟所江一町 右甲州道大宮 左吉原町
左側面には天明六丙午(1786)八月廿八日 鷹嶽山福泉寺 と見える。曽我寺のことだが元は
福泉寺といった。ここを右に行くと道標通り曽我寺で村山下向道になる。中道往還はここで下向道と
分かれて左吉原町の方向に歩いていく。



静岡銀行東の題目塔 玉渡神社 室伏半蔵道しるべ第6号 玉渡神社境内の道祖神


静岡銀行がある所の広い道(富鷹線)を渡って伝法用水沿いに東に進む。道を渡った所に題目塔。
文化七庚午(1810)九月吉辰に建てられた髭題目である。ここから200mで玉渡神社がある。
玉渡神社は虎御前が曽我兄弟を追ってここまで来た時に、2つの火の玉が飛んできたので兄弟の
冥福を祈ったことから村人が虎御前の死後祀ったといわれている。神社の境内にある室伏半蔵の
道しるべ第6号を見る。表示は「左 たき戸道 曽我寺 いわもと」とあるので、実際に建っていたのは
もっと西の方ではなかったのか。同じ境内には結構古いがしっかりとした道祖神もある。双体で舟光背
合掌型、元禄十四年四月というから西暦で1701年今から315年も前のもの。



厚原中の石塔群 厚原中の道祖神と子待塔 厚原クランク地点 クランク地点の題目塔


左側に伝法用水路を見ながら歩を進める。5分もしないうちに用水路脇の石塔群が見えてくる。
このあたりは古道を示すべく石造物が豊富に残っており気持ちも高ぶりながら快適に歩いていく。
厚原中の石塔群は右から下半分が埋まっている馬頭観音。楷書の文字碑で元治二乙丑(1865)年
正月二十八日。左に舟光背の題目塔で寛文十二壬子天(1672)と古いもの。そして中は真っ赤に
塗られた石祠と上半分が欠けている御神燈で文政十一子歳(1828)十一月と刻まれていた。
しばらく行くと道祖神と子待塔が並んで立っている。右側の子待塔は室伏半蔵のものらしい。甲子神
の後にまわると天保四年巳(1833) 川久保 室伏 という文字が見えた。左側の道祖神は自然石の
浮彫だがもう風化していてかろうじて双体だとわかるくらいで他は不明。ここから5分で現在の道は
分かれる。明治20年の地形図でも左にクランクしているので、一万歩の表示板通り左に曲がる。
曲がった角に小さな水神と題目塔が建てられていた。



本照寺 熱原神四郎廟 六地蔵前の交差点 地蔵堂前の道祖神


クランク地点から200m程で本照寺入口。ここは熱原法難の熱原神四郎の屋敷跡でご廟所と
なっている。また室伏半蔵の菩提寺でもあって天保三辰年(1832)に奉納された常夜燈も山門脇に
あった。本照寺で休憩してからさらに東に進んでいく。吉原自動車学校上の交差点に出る。この
北東角に小堂があって一万歩表示板がなければわからない建物ではあるが、六地蔵の納められた
地蔵堂らしい。その前に道祖神。自然石の行書文字碑。明治廿四年辛卯(1891)と新しい。



片宿公会堂前の道祖神 東名高速のガード 虎御前の腰掛石 南に下る中道往還の旧道


さらに東に進んで片宿地区に入る。公会堂の前に道祖神と宝塔が建つ。道祖神は自然石行書体の
文字碑、明治二十六年(1893)二月二十三日と新しい。隣の宝塔は釈迦牟尼仏とは読めるが、後は
刻字が薄くて判別しにくい。公会堂の前を通り過ぎて先に東名高速のガードが見えてくる。ガードを
くぐると虎御前の腰掛石。ここはT字路になっていて、南に下ると国道139号(大月線)を横断して
保寿寺から中村の集落を経て三日市、瓜島に出る中道往還のもう1本のルート。今回は明治20年
測量の地形図に「至 甲府道」と記されている中道往還のルートをとることにした。



伝法橋(伝法沢を渡る) 県道72号の題目塔 国道139号の伝法沢交差点 左の細い道に入る


腰掛石から南に下らずにそのまま東進するとすぐに伝法沢があって伝法橋を渡る。渡って川沿いに
カーブして本蔵寺下の県道72号に出て国道139号の伝法沢交差点まで下る。県道に出た所に
題目塔1基、本蔵寺への参道を意味しているのだろうか。国道139号は伝法沢沿いに横断してすぐ
左に入る細い道を見つける。このあたりから市街地は明治20年地形図と現在の地理院地図とを
照合しながらなるべく近いところを辿っていく。この細い道を左に入る。



伝法三丁目公会堂 公会堂前の道祖神 公会堂前の馬頭観音 村山道の合流点


このあたりは伝法三丁目の一番南側になる。公会堂の前に道祖神や馬頭観音等の石造物を
見つける。双体道祖神は舟光背の浮彫で合掌型、天明四甲辰(1784)五月四日とあり、その右側
にも双体道祖神と認められるが頭部が欠損、造立年等不明の石像がある。また馬頭観音は自然石
楷書の文字碑で馬頭観世音菩薩、安政七年庚申(1860)正月吉日のもの。他には火袋のない
また一部欠損した灯籠数基が置かれていた。一通り公会堂前で石塔群を見て先を急ぐ。公会堂から
300m程行くと吉原宿からの村山道に出合う。



伝法小東交差点 伝法第2地下道前の道祖神 三日市地区の馬頭観音 三日市地区の道祖神


村山道を少し下って東名高速富士インター下の大きな交差点(伝法小東)に出る。ここは交差点すぐ
南の伝法第2地下道を通って三日市地区に入っていく。大宮街道(新道)を通らずに住宅地内の
細い道をぬって通っていく。ここではまず地下道前に2基の道祖神。東名ができて取付道路を作る
時に移転されたのだろうか。2基とも下部がコンクリートで固められているが楷書の文字碑で造立年は
不明である。この前の細い旧道を東に入ると現在は道がクランクになっているが、馬頭観音と向い側に
道祖神が建つ。馬頭観音は会所の文字碑。昭和三年五月吉日、道祖神は自然石楷書の文字碑で
詳細は不明である。



旧道から大宮街道(新道)に出る 大宮街道の道祖神 大宮街道を右折 浅間神社に向かう


細い道は北に向かい大宮街道に合流する。合流点(スーパーヤマウチ前)に道祖神が1基。自然石の
楷書文字碑で大正十五年(1926)五月造立。大宮街道を少し東に進むと信号の交差点。ここを右折
して富知六所浅間神社に向かう。



勧正寺 勧正寺庚申堂 富知六所浅間神社 浅間神社から南に下る


浅間神社の西隣に勧正寺。勧正寺境内は一見住宅のような本堂と庚申堂の他は広い空地。
庚申堂内には4基の石塔・石像があり宝塔の庚申塔は元禄六年癸酉(1693)とかなり古いもの。
他は造立年不明の宝塔と舟光背庚申塔。あとの1基は子安地蔵の立像。そして堂の外にも
やや大きめの子安地蔵の坐像があった。勧正寺から斜め前の富知六所浅間神社に向かう。



瓜島(吉原一中の南側) 国道139号(大月線)を横断 西木戸跡の説明板 吉原宿西木戸跡


浅間神社から南に伸びる道(参道)を吉原一中の西側を通り瓜島に入る。中学の敷地の南西角で
虎御前の腰掛石で分かれた中村まわりの中道往還別ルートに出合う。ここから中学の南側に回り
込んで東に向かう。細い道は国道139号にぶつかり横断して進む。もうこの先が西木戸跡である。
吉原宿の西端、西木戸があった桝屋酒店前で吉原宿に入っていく。
到着時刻は14:53、出発から約4時間半かかり10.8kmを歩いた。



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